1月からほぼ毎週、メディテーションクラスでお話した内容をブログにしてきましたが、本日のブログをもって一旦お休みしたいと思います。
また何か発信したいと思った時には書くと思いますが、今は、今後の自分の人生に向き合う時間が来ていると感じているので、それに必要なことに時間を回すことにします。
ヨガにはまるで宗教のような「教え」があり、柱となるものは「8支則」と言われているもので、ブログに書いたこともありましたが、じゃあそれを本を見ないですべて言いなさい、と言われても、いくつかは忘れています。それが正直なところです。
ただ、私の根本には、このヨガの「教え」のようなものが小さい時から根付いていて、特別ヨガの教えとして勉強したり修行したりしなくても、それが当たり前の考え方であったため、もしかしたら、前世でも私は「ヨギ」であったのかもな、と、思ったことはありますね。
いわゆる「ヨガの先生」って、割と緩い、優しい言葉を掛けてくれることが多かったりすると思いますが、「なんちゃってヨガ先生」の言葉は、後付けの、ティーチャーズトレーニングなどで学んだことから出てくる言葉なので、言葉に重さが感じられません。
しかし、ヨガの先生の中には、厳しい人生を送ってきている方がいることも確かです。そのような先生から出てくる言葉は、その人の人生と経験を通じて発せられる言葉なので、力強く、時に厳しいものが含まれています。が、パワーがあり、うわべだけの言葉とは全く違う強さが感じられるものです。
過去の経験や、現状に、目を向けられず
「あの過去を忘れたい」とか
「なぜ私はこんな目に合わないといけないのだろう」と思っている方もいるのではないかと思いますが、
その経験はあなたの宝になるんだよ、という話を、今回の〆として、したいと思います。
私には15歳も年上の兄がいます。姉も11歳年上です。
兄は早稲田大学 法学部に入学しました。もちろんもう何十年も前の話です。
父は自分が3歳の時に父親を亡くし、その後母一人、子一人で、暮らしは貧乏。お弁当におかずはなく、ご飯に梅干し1個のお弁当しか持って行けず、周りのみんなに馬鹿にされたようです。こいつらをいつか見返す、そういう強い怒りが根付いていったようです。
その「見返す」の一つとして、自分の子供をエリートに仕立てたい、という気持ちがあり、兄に対して、父が思うように線路を引き、その上を走らせてきました。兄もまた従順だったようで、踏み外さず線路の上を走っていたようです。本当はそんな力もないのに、出来が悪い宿題は父が手直しし、完璧に近くして提出させたり、手直し出来ないものは、良いと思えるまで何回もやり直しをさせたりしたそうです。
兄本人が弁護士になりたいと思ったのかどうかは分かりませんが、父は兄を弁護士という、エリート中のエリートに「見栄」もしくは「エゴ」でならせたかったのだと思います。
入学はしました。実家は浜松です。早稲田は東京です。昭和40年代の東京では「下宿」というものがあり、何人かの学生を一つの家で預かり、そこの家のおかみさんがご飯を作ってくれたり、何かと面倒を見たりしてくれる、そういう制度なのですが、兄も東京で下宿することになりました。そのころ実家はまだ裕福ではなく、下宿先の兄の部屋は「窓のない4畳半」でした。父が引いていた線路は、早稲田に入学するところで途切れていたのです。窓のない狭い部屋=独房 です。独房に一人急に放り出され、走る線路がなくなった兄は、何をどうしてよいのかわからなくなったのでしょう。そのころ私は幼稚園児。しかし、頭の回転はよかったので、下宿先のおかみさんから時折かかってくる電話と父が話している会話内容をそばで聞き、「何か変だな」と、感じていたのを覚えています。学校に行かなくなった・・・。閉じこもりがち・・・。そんな内容だったように思います。そんなことが1年ほど続いたのかな?ある日両親が洗面所で「困ったね。入院だって。このことはひろみ(私の名前)には内緒にしておこう」と話しているのを耳にしました。その時私は幼稚園の年長か、小学校1年生だったと思います。が、その言葉だけですべてを理解しました。そして、私はこのことを聞いて知ってしまったけど、それも知らなかったふりをしなくてはいけないのね、とも思いました。
兄は、精神を病みました。今ではいろんな病名がありますが、45年以上前の時代では「ノイローゼ」という診断だったようです。
精神を病むとはどんなものなのか、それは言葉で説明できるものではありません。
45年以上前ではそんな人は「キチガイ」です。家の中でも外でも、急に大声で叫び出します。急に暴れ出します。
私が小学校から帰ったら、家のガラス窓のガラスが(そのころサッシなんてなかったので窓はガラスでした)全部割れていたこともありました。家の中にもガラスの扉があり、それも何度も割り、よくガラス屋さんが直しに来てくれていたのを覚えています。気分が急に荒くなり、茶碗や皿も手当たり次第に割ったり、夜中でも昼でも時間感覚がないのでわめき、怒りを父親にぶつけ、真夜中に父親の顔を腫れ上がるほどぶん殴ったり、包丁を持って人を刺そうとし、それを父親が必至で止めたり・・・
もちろん家にはおいておけない状態のこともあったので、精神病院に入院している時期もあったのですが、それにしても、なんとも普通ではない光景や状態を目の当たりにしてきました。
姉は11離れていたので、兄が一番ひどかった時期はやはり大学生で、岐阜の寮に入っていたため、このような状況の時にはいつも私一人で耐えなくてはいけませんでした。小さい心臓が、はち切れそうなほどドキドキしながら、「お父さん、殺されないかな」と心配になり、でも、自分は小さすぎて何もできずただ耐えていただけでした。
「強くなりたい」と思うこともあったけど、多くは「なんで私はこんな思いをしなくてはいけない?この兄のおかげで、友達を家に呼ぶことも出来ない。私は何も悪くないのに、なんでこんな家に生まれなきゃならなかった?」「死にたい」 そう思うことの方が多かったです。
18になり、大学を選ぶとき、両親は家から近いところに行くことを望み、また、大学生が終わったら、家に戻ってきてほしいと言いましたが、「もう戻りません」と宣言し、東京の大学に進みました。もちろん夏休みなどには顔見せに帰ったりはしましたが、それ以来言葉の通り、もう一度浜松に住むということはしていません。
この渦中にいる時には、嫌でしたし、何度も泣きましたし、苦しかったですが
今、その過去を振り返り思うことは・・・
この経験がなかったなら、私はもっと弱かった。私はもっと甘かった。私は困難から逃げる人間だったろう。
この経験が 私を強くした
と、断言します。
嫌であろうが、つらかろうが、自分から望んだわけではないのに、与えられてしまったこんな普通ではない状況。
しかも10年以上に渡る、逃げるに逃げられない状況と葛藤。それに負けることはありませんでした。
私が負けなかったのは、父親が強い精神力を持っていたからです。
父が原因を作ったのかもしれない。そうかもしれないけど、その状況に負けて自分も病んでしまう人だって多々いると思います。
でも、父は強かったです。まだ小さい私にも、出来る限りのことをしてくれました。
私以上に、その時期の父の気持ちを考えれば、どんなに苦しかったろうと、推し量ることも出来ないくらいだったはずなのに。
私が父の立場だったら、耐えられなかったかもしれないのに、父はどんな状況でもいつも自分の弱い気持ちを出すことなく、くらい表情をすることもなく、自分を自分で支える強さを持っていました。
その父の唯一の支えになっていたのは、さらに精神力が強かった祖母でした。
祖母は父が3歳の時に伴侶をなくし、ものすごく貧乏だったのに、働き者で女手一つで父を育ててきたので、本当に強い女性でした。
父が仕事で不在の時には、暴れ回る兄に、祖母は勇敢に対応していました。泣くことも、泣き言をいうこともなかったです。
父と祖母に人生を学びました。
そんな家庭だったから、旅行に行ったり、外食したりしたこともなかったですけど
芯の、真の、強さを身に着けることができました。
負けそうになる時にはいつも、この二人を思い出し、私はこの人たちの強さを受け継いでいるはずだから頑張れる!と言い聞かせます。
「心の強さ」は、普通の人生を送っている人には養えないものなのかもしれないなと思います。
24時間、365日、逃げることが出来ないプレッシャー下に置かれ、それに負けないように、自分の中に「何か強いもの」を芽生えさせる、ということをしないと、精神力の強さはなかなか身に着けられないのではないかと思います。
私の人生は全然普通の人生ではないし、楽しかった思い出もないし、普通の家庭ってどんなものなのか、今でもわからないし、誕生日を覚えてもらっていたことさえないけど・・・
望むことなく、選択の余地なく、こんな状況下に置かれ、10年以上に渡る精神修行ができたことは宝だったなと、心底思っています。
私の根底にある、ゆるぎない「強さ」は、この経験がなかったら絶対に得られなかった「宝」です。
私の口から出てくる言葉は厳しく、あまり優しい言葉はないけれど(自分でもわかってる)、人生通して発せられる言葉なので、適当な慰めの言葉やうわべだけの言葉なんて言えないんです。
もしかしたらこれを読んでくださった方の中には、ご自分の過去や現状に悩んだり悲観したりしている方がいるかもしれませんが
そういう方に言いたいです。
あなたは、ほかの人にはないチャンスを手に入れているんですよ!
と。
あなたは選ばれているんですよ。
「この状況に負けてしまえばただの人。勝てる強さを身に着けられたらあなたは他の人を導く立場の人になれますよ。さぁ、あなたはどちらに入るのだ?」
と、神様からの試験が与えられているんです。
神様は、乗り越えられる可能性がない人には試験も与えません。
乗り越えるのです!
どのくらい時間がかかるのかはわからないですけど。
乗り越えた先には、今のあなたと全く違う、レベルアップしたあなたが待っています。
もう「絶対」って言いきれます。
今までに何度も言ってきました。
普通からは普通しか生まれない。
人より優れた何かを手に入れたいのなら普通じゃダメなんです。
自分だけ蹴落とされたかのような経験、そしてそこから這い上がる経験をしなければ、人を超えることは出来ないんです!
失敗しないように、恥かかないように、自分だけ違うことしないように、楽しいことだけでできるように・・・
という思想はむしろ残念
まるで自分は凄い人であるかのようにうわべだけ作っても、そんなものは薄っぺらくて弱っちくて見破れちゃう。
アンユージュアル(普通でないもの)から凄いものが生まれる!
失敗や屈辱を避けるのは自分をレベルアップさせるチャンスを逃すのと同じこと。
悩んでいたり、悲観したりしている人にエールを送ります
あなたは凄いことができる力を持っています。
普通の人なんかの何倍も、あなたの可能性は大きいです。
あなたでなければできないことがあるんです。
そのマイナスを、プラスに変える力を出すのです。
既にあなたは持っているのだから!(^^)!
持っていない人には普通でないことは起きないんだよ。
ねっっ!!
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さてそれでは、しばらくブログを書かないので、まとめてここで、「疲れた時には自分にご褒美」グッズを紹介しておきます。
過去に紹介したものばかりですが、もう一度pickしておきますね。
背骨の脇や骨盤周囲、お腹をマッサージするときにはこれがいいですよ!
使い方は記事に書いていますのでご参考になさってください。
肩や首元、腕の付け根やお尻はこちらをお勧めします。私も使っています。
お風呂の中では自分の手でこのオイルを使ってデコルテや足裏から脚をマッサージします。
大容量でお買い得。ウォーターソルブルなので、簡単に洗い流せます。
背骨の柔軟性の低下は「老化」です。
3つの直径のヨガホイールは背骨を柔軟に保つための必需品。
小と中サイズが特に効果的!