人も動物も自然もいきいき輝ける空間 | チロ・ツグミ・メリー・マフユと 動物問題 ~ ヴィーガン ~

チロ・ツグミ・メリー・マフユと 動物問題 ~ ヴィーガン ~

愛猫チロとツグミ、愛犬のメリーと暮らしています。
主に、動物問題について書き記します。
超偏食&料理経験なしでしたが、畜産の悲惨な実態を知ってから、ヴィーガンになりました。

以下の動画をご覧ください。

放し飼いされている牛たちが映っています。

 

とても快適そうです。

角もしっかり生えています。

 

彼らは元々は肉牛として生まされた牛たちです。

 

 

こちらもご覧ください。

 

同様に、放し飼いをされている牛が映っています。

 

見ての通りホルスタインですので、乳牛として生まされた牛です。

先ほどの牛たちと異なり、除角されているのが分かります。

 

 

動画は、「もーもーガーデン」「もーもーワールド」で暮らす、

元被災牛と、レスキューされた牛たちです。

 

彼ら彼女らは、元肉牛,元乳牛ですが、もう人間の食のために利用されたり、用済みになって殺されることはありません。

 

 

もーもーガーデンとは、福島の震災・原発事故をきっかけに、

死んでいく牛、行政に殺される牛に心を痛めた1人の女性が、

牛たちを救うシステムを考え、牛たちの生きる場所として作られた地です。

 

****************引用****************

 

震災と原発事故により、この地域では人々が着の身着のままの避難を余儀なくされ、
大混乱の中、牛たちは牛舎に取り残されました。


飼い主たちが最後に置いていった餌と水の尽きる中、多く命が、次々と失われていきました。

 

その中で、壊れた牛舎から、命からがら野山へ逃げ、生き残った牛たちがいました。

 

しかし、その牛たちも、徐々に捕獲され、
飼養管理ができない場合は処分されるか、
飼養管理できる場合は避難区域内から出さないかの2択を迫られることになり、
当時、避難区域内での飼養管理は困難と思われたことから、処分が推奨されました。

 

そこにある悲しみと絶望は、とても言葉にできないほど深いものとなりました。

私は、その姿を、これ以上見たくありませんでした。


せっかく命をながらえたこの牛たちに「生きてほしい」と願いました。

 

そして、農家の方達とともに、柵を作り、さまよっている牛たちを1頭1頭集め、
警戒難区域内でも飼養管理できる、手間の極小化された新たな形の飼育を模索しはじめました。

 

一方で、避難生活によって何年も手をつけられていない庭や田んぼ、畑は、
雑草や木に覆われ、藪や森となっていきました。


民家がある場所にもイノシシ等の野生動物が住むようになり、
地域そのものの保全もままならない状況が続いていました。

 

私は、その状況下で、牛たちがいたところだけ藪がきれいになっている光景、
雑草や木立をバリバリ食べていく姿を見て、思いました。

 

「 この旺盛な食欲で、この状況を打開していくことが出来るかもしれない。
生き抜くために雑草も木も大好物になった牛たちは、
毎日、農地に生えた雑草や木を食べている。まるで草刈りをするように。

それは、この土地の保全に役立つのではないか?
それが彼らの生きる道となり、処分を免れるかもしれない 」

 

私は、農家の方々や専門家とともに検証を始めました。


そして、柵さえ作って放牧させれば、

後は勝手に草を食べて、糞も自然分解されるので、避難区域でも飼養管理ができること、
 

また、牛たちが荒れた田畑などに生えた雑草や木立を食べることが、
人が住めない地域でのクマやイノシシ等の野生動物、病害虫の大量繁殖を抑え、崩れた生態系を回復させる効果があり、
火災や不法投棄の軽減にもなることがわかって来ました。

 

それは、地主さんたちにとっても嬉しいことでした。


「イノシシや野生動物がどんどん家に近い場所に出現するようになり、自分の家なのに近づくのも怖い、
草刈りもどこから手をつけたらいいか分からない、ジャングルになった庭を見たくもない、、」

 

そんな暗い気持ちが、牛たちが草刈りをしてくれたことで、一気に晴れていったのです。


また、元々の庭にあった花が再び息を吹き返した家もありました。

 

人が管理しきれない土地の草刈りを牛がすることで、土地の保全が出来る。


被災牛たちが、役目を持つことができれば、被災牛たちが生き続ける理由になる。

 

餓死や処分等で愛する牛を失ってしまった方々が、
苦しみの中でも、協力して下さることに、心より感謝しながら、、


そして誰よりも生かしたかった思いをつなげられるよう、、

 

私は、東日本大震災を生き延びた牛たちに、毎日お腹一杯草を食べることで活躍し、
人も動物も、その他自然もいきいき輝ける空間を作ることで、
少しでも被災を乗り越え、この地に再び笑顔が戻ることを、願っています。

 

ふるさとと心を守る友の会の代表
谷 さつき

 

****************引用終***************

 

 

 

以下は、生い茂った雑草を食べる、もーもーガーデンの牛たち。

 

 

そして、これが2週間経ったときの同じ場所です。

雑草がなくなり、綺麗になっています。

 

 

被災牛たちに荒れた土地の雑草や木立を食べてもらうことで、土地の保全につながり、

そうすることで、被災牛たちは役割を持ち、生きることが許される存在となったのです。

 

人間のために役立たなければ処分するという狂った現代の中で、

谷さつきさんは、牛たちが生きられるシステムを確立したのです。

写真の説明はありません。

 

 

 

もーもーガーデンで、草刈り隊として活躍する牛たちは、元11頭いたため、

もーもーイレブンと呼ばれているそうです。

 

 

残念ながらこのうちの1頭「片美」という子が、昨年6月に亡くなりました。

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片美は、2006年2月27生まれでした。

(耳標番号1112287266 独立行政法人家畜改良センターの「牛の個体識別情報」にこの番号を入力すると片美と片美のお母さんとおばあちゃん等先祖代々の詳細情報が出てきます。牛の個体識別情報 (nlbc.go.jp))

 

生まれも育ちも大熊町野上で、2004年に生まれた宮崎県出身のお母さんが福島県に初めて来て2歳の時に生んだ長女です。

お母さんと一緒に、自由度の高い清潔な牛舎内の個別スペースで畜主に大切に飼われていました。

 

屋根から日光が注ぐ畜主のお父さん(私に託してお亡くなりになりました)が古電柱で作った木造牛舎の奥が片美たちのスペースでした。

 

2011年3月東日本大震災があり、牛舎の壁の一部が崩れたのですが、そこから逃げた際か、

山中で放浪している間に、片美は右目を怪我して失明してしまいました。

角も片方折れてしまいました。

 

しかし、原発事故で大熊町民は着の身着のままの強制避難だったため、牛舎の中でつながれたまま亡くなってしまった牛も多かった中で、群れの中でも奇跡的に脱出できた牛の一頭でした。

 

2012年にお母さんが亡くなった時も、傷心の片美を群れの他の大人牛たちがケアしてくれていたようでした。(片美も後年、孤児のカールや他の年下牛をケアする優しい牛でした。牛は社会的な生き物なので、群れ内での習性なのかもしれませんが、経験や性格からの要素もあると思います。)

 

私がこの大熊町の畜主の方から依頼を受けたのが2012年。

 

役場に最も重い誓約をして厳しい手続きを経て立入許可証を得、2012年に畜主のお父さんとお母さんとボランティアの方々と最初の柵を作りました。

生き残った牛で山神山に逃げた牛はたった3頭。

その3頭を保護して柵に入れるため、捜索していた際に、片に初めて出会いました。

 

右目は不自由なものの、自由に山麓で生きる黒く輝く美しい牛がそこにいました。

肉付きも見事で、背が高く、脚のすらっとした和風美牛でした。年配で逞しい優秀なボス母牛の右腕のようでした。

 

新しい柵を作っている最中に度々片美達3頭が遠くからこちらを眺める様子が目撃されましたが、仲間たちがすぐ近くで処分されてきたのを見てきたからか、人間に対して非常に警戒していて、どんなにおいしい餌を使ってもなかなか捕まりませんでした。

 

しかし、通い続け、大丈夫と語りかけていくと、次第に、100m先に姿を見せるようになり、70m先、50m、30m、10m、1mと近づいてきてくれるようになりました。

 

この先頭が片美でした。

片美が、最初に私を信じて近づいてくれたのでした。

 

そして、無事保護できた後、牛とはどういう生き物か、どのような感情があってどんな行動をするか、牛と人とはこんなにも意思疎通することができ、深く信頼関係を築くことができるのだということを、こちらが驚くほど、その姿で示し続けてきてくれました。

 

●●●●●●●●●●●片美への思い●●●●●●●●●●●

片美、本当にごめんなさい。

苦労して苦労して、すごく頑張って生きてきたね。

最期の最後まで頑張ってたね。

 

苦しいのに群れのことや私のことまで気遣ってくれて、どれだけ優しいの。

もっともっと自由に青草食べられるようにして、もっといっぱい甘える時間とれる仕組みにするつもりだったよ。

今まで、、、どうもありがとう。

 

片の生き様が目に焼き付いています。

写真の説明はありません。

絶対に繰り返さないから、必ず残りの牛達は守るから。教えてくれたことも大切に生かします。どうか安心して天国で見守っていて下さい。いつまでも、ずっと一緒だよ。

 

****************引用終****************

 

 

2006年に生まれた黒毛和牛の片美。

肉牛は2~3年で殺されるはずですが、2011年まで生きていたので繁殖牛だったのでしょうか。

繁殖牛だったとしても、寿命を全うすることはできません。

 

被災にあい、放浪する中で右目を失明してしまいました。

苦労して生きてきた中で、運良く谷さんにレスキューされ、

16歳まで生き、寿命を全うすることができました。

 

この日本で、寿命を全うできる牛は全くといっていいほどいません。

 

 

 

被災牛である元肉牛たちが活躍する地が、もーもーガーデンです。

 

もう1つ、もーもーワールドという場所が別にあります。

 

今年1月24日。

酪農家が廃業し、不要となって殺される予定だった乳牛が、谷さんにレスキューされました。

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乳牛2頭は24日、家畜運搬トラックで、大雪の北海道~秋田~岩手~宮城を回って、福島へ夕方、日が暮れる頃到着したため、

1日中大きな揺れと寒さと初めての急激な環境の変化にだいぶ疲れたり怖がっていたようで、

実は最初は2頭とも気が立っていました。

 

しかも、富岡の新しい農地は道路が細くて12tトラックが入れず、途中から家畜商のお兄さんと私で数百m引っ張って連れてくる形になったため、牛にとっては更に負担で、最初は右に左に800㎏の四つ足パワーで抵抗していましたが、途中で名前を呼んで話かけると、なんと、ぴたり、と動きを止めました。

 

いかに北海道で酪農家の方が大事にされていたのかがその時分かりましたが、一瞬で大人しくなってくれ、

11年鍛えてきたナンチャッテ牛語(笑)を理解しようとじっとこちらを見て、ずっと話を聞いてくれ、

そして犬ころさんのように、牛にとっては長~い道のりをゆっくり歩いてくれ、突貫作業で作った牛舎に入ってくれたのでした。

初めての場所。

 

しかも、草木がぼーぼーと生い茂る暗い山の中…とっぷり日暮れ😅

そりゃあ怖いですよね。

 

北海道の美しいグリーンな牧草地と、仲間達がたくさんいる大きく立派な牛舎から来た箱入り娘たちからしたら、

『何ココ❕❔

しかも何このジャングル❕

何この小さな…、、もしかしてこれが家❔

お父さんとお母さんどこ~❔❕

という心情だったかもしれません(笑)

 

唖然、としていたところ、今度は家畜伝染病予防法のルールで、

相双家畜保健衛生所の職員さんたちがヨーネ病と牛白血病検査の注射器持って近づいたため、

怖がってしまって逃げ回りかけてましたが、

またナンチャッテ牛語(笑)で話しかけると、本当にぴたっと大人しくなり、

2頭とも終わるまで全く微動だにせず、注射を受けてくれました。

 

初対面でしたが、この牛たちも、話を聞いてくれて、安心安全なうちに終わって良かったです❣️❣️❣️

 

その夜、ここは立ち入り時間制限がないとっくに解除されたところですので、到着したばかりの牛に過去最大の大雪寒波が襲来するのが心配で夜も付いていたのですが、、、風はすごかったですが、雪は舞う位で終わってくれ、

そして、一晩明けて、朝日を浴びてリラックスしてくれた時の牛の様子がこちらです~💕

えがったえがった~

 

そういえば夜コンビニで寒さ対策でおしるこ等買ってたら丁度777円。

単純なので、ラッキーセブンにもるんるんでした(笑)😃🎶

 

もーもーイレブン+41ちゃんもとってもかわいかったり美しいですが、

 

このぽてころちゃん(ぽてっ、ころっとしていて乳牛のわりには足短くずんぐりむっくり…あれ、うちのたくま❔)と

ブンさん(顔に大きく7の模様があり、正式名称はセブンさん、言いやすくブン、さんになったそうです。菅原ブンさん!とボランティアに敬意を持って呼ばれ始めてますが…め、めすで~す😅)

もなかなかの美牛(笑)箱入り娘です。

 

この2頭は、これから、自分たちで、このぼーぼーの荒れてしまった農地の雑草を食べて、美しい大草原に変え、熊や野生動物から人と里を守り、循環する再生農業で地球環境にもエコで美味しいもーもー農作物を作る役目を担います。

 

皆様、どうぞよろしくお願いいたします🙇

 

****************引用終***************

 

 

この乳牛たちがもーもーガーデンの被災牛同様、

別の場所で草を食べ、土地の保全のために活躍します。

 

この場所が、もーもーワールドです。

 

もーもーガーデンとは少しだけ離れていて、車で数分程度だそうです。

 

 

 

畜産や酪農とは異なり、もーもーガーデンや、もーもーワールドの牛たちは、

彼らは好きなだけ、彼らに適した餌を食べることができ、

ずっと自由に快適に、寿命を全うするまで生きることができます。

 

 

日本人のほとんどは、肉牛も乳牛も広々としたところで快適に過ごしていると思い込んでいます。

特に乳牛は、牛乳パックなどの影響で北海道の放牧が主流などと思い込んでいる人が多いでしょう。

 

しかし、実際はほとんどの牛は繋がれっぱなしで身動きができない、

あるいは糞尿だらけの狭い牛舎の中しか歩き回れない牛がほとんどです。

 

北海道ですら、放牧主体の酪農場はわずか5~10%程度です。

 

一見、牛を大事にしてそうな農家でも、彼らの本質は角を見ればすぐに分かります。

もーもーイレブンたちのように、牛は本来 角があります。

 

ところが日本の農家の多くは、除角を行っています。

しかも、肉牛農場の約50%、酪農場の約73%は麻酔なしで行っているのです。

 

角をワイヤーで切り、血が噴き出ている根元の部分を焼きゴテでやけどさせるのです。

牛の角を切ることは、人間の指を切ることと同様の痛みがあると、農家自身が認めています。

指を切られて、その切断面を焼かれる事を想像してみると、どれだけひどいことを彼らが行っているか理解できるでしょう。

 

仮に麻酔があったとしても、麻酔が切れれば激痛を感じます。

角を切ること自体が凄まじい虐待なのですが、

作業を効率的に行うために、彼らは家族と謳っている牛の角を平然と切っているのです。

 

また、肉牛と違って、乳牛は殺されないと思いこんでいる人がいますが、それは大きな間違いです。

乳牛も5~6年すれば生産性が下がるので、用済みとなり、酪農家たちによって屠殺場に送られます。

牛の寿命は20年ほどと言われています。

 

また、肉牛は太らせるため、サシを入れるために、カロリーの高い餌を与えられ、ビタミンA不足にさせられ、

乳牛は母乳を大量に出させるため、牧草ではなく、穀物を多く与えられ、病気になりやすくなります。

 

なので、一見、牛を大事にしてそうな農家であっても、虐待しているし、殺しています。

結局、畜産や酪農は、利益ありきなのです。

利益がある前提で、マシな暮らしをさせようというのが福祉の考え方です。

 

人間で言えば、奴隷を買って、奴隷に仕事をさせ利益は得たいけど、せめて奴隷にはマシな生活をさせようと言っているのと同じです。

 

 

もーもーガーデンや、もーもーワールドの牛たちは、

建前上人間のために草刈りをしていますが、この目的の本質は牛を生かすためです。

 

寄付によって成り立っており、利益ありきではありません。

つまり、人間側の都合による虐待や処分は発生しないという事です。

 

 

サンクチュアリ同様、家畜と呼ばれる動物達の安住の地なのです。

 

 

サンクチュアリとカテゴライズされるかは分かりませんが、実質的にはサンクチュアリと言えるでしょう。

 

 

 

もーもーガーデン、もーもーワールドでは、ボランティアを募集しています。

お近くの方や、牛たちに会いたい方は、お手伝いに行ってみてください。

 

 

当ブログで何度も紹介しているヴィーガンの教師 杉山先生も、ボランティアに訪れたことがあるそうです!

私が出会った本当のヒーローたち | 泣き虫ヴィーガン教師の動物解放教室 Vegan Teacher's Animal Liberation

 

 

 

こちらはボランティアに行かれたヴィーガンの方の動画です。

 

 

 

私も行きたいんですが、飼い猫のツグミが完全に私に懐いているというか、依存していて、私から離れない感じなので、

長期間、家を離れるのは心配でなかなか踏ん切りがつかない状況です。

まぁ他に家族はいるし、チロくんもいるので、大丈夫だとは思うのですが。


 

 

また、寄付も募集されています。

 

この機会に、ぜひ畜産動物たちを助けてあげてください。

 

 

 

 

こちらのライブで、ボランティアに行かれたヴィーガンの方々が

もーもーガーデン、もーもーワールドについて、さらに詳しく語っておられます。

 

ぜひ見てみてください。

 

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