「健康目的でヴィーガンになりました」
「ヴィーガンですが、たまに魚を食べています」
「ヴィーガンやめました」
ヴィーガンというキーワードに対して、こういう使われ方をするのを見た方もいらっしゃると思います。
これは正しい使い方なのか?
以下の動画は、ヴィーガンとは何か、ヴィーガニズムとは何かについて詳しく解説された動画です。
****************引用****************
ヴィーガン、ヴィーガニズムという言葉は、
1944年にイギリスの木工技師ドナルド・ワトソンが作った。
当時、ドナルド・ワトソンは、イギリスのベジタリアン協会に所属していたが、
ベジタリアン協会は卵や牛乳は食べてもokだった。
ドナルドワトソンは、それはおかしいんじゃないかということで、
ベジタリアン協会と対立して、袂を分かつ形でヴィーガンという言葉を作り、
1944年の11月1日に、英国ヴィーガン協会を作った。
この日は今でも、世界ヴィーガンDayとなっている。
その後1951年、ヴィーガン協会の副会長レズリー・クロスが、
ヴィーガンをという言葉を定義した。
ヴィーガニズムとは
「人間が動物を搾取することなく生きるべきである」という主義。
ヴィーガン協会の目的は人間による動物の搾取を終わらせることと明確に言っている。
なのでヴィーガンという言葉っていうのはもともと動物の搾取を止めるだったりとか、
搾取することなく生きるべきであると言うっていう意味。
現在、完全菜食主義という日本語訳があてはめられているが
これは実際は、ヴィーガンという言葉の概念を知らない方が訳したと思われる。
完全菜食主義っていうのは、ヴィーガンの考え方のほんの一部分にしかすぎない。
菜食には、東洋の流れと西洋の流れという大きな2つの流れがある。
東洋のルートの菜食の原理は、アヒンサー(非暴力・非殺生)から。
自分が輪廻して、来世 動物に生まれ変わるかもしれない、あるいは前世 動物だったかもしれないというところから、
その他の生物を殺すのはよくないという考え方。
そこから、ジャイナ教だったりヒンズー教だったり仏教だったりに展開していったので、
東洋のルートの菜食のリーダーっていうのは宗教者だった。
菜食になる理由っていうのは霊的な理由。
つまり、自己の成長ということで、利己的な理由に入る。
西洋のルートの菜食の原理は、ギリシャ哲学あたりから確認されている。
その後、ピタゴラスだったり、プラトンだったり、ダヴィンチだったりといった
学者だったり学問の流れにつながる展開をしてきたので、
西洋のルートのリーダーっていうのは知識人。
根本的な理由としては倫理だった。
倫理というのは、他者との関係性の中で考えられること。
倫理という文脈の中からヴィーガンというものが出てきた。
東洋ルートというのはもともと形のない信念に関する理由だったので、
信念というのは自分の解釈次第でいかにようにも作り替えられる。
東洋ルートの、例えば、日本の仏教、仏教徒、仏教者たちというのは
現在、平気で肉も食べるし、肉を食べるということは殺生している、傷つけているわけだが、それを良しとしている。
現在、非常に堕落している状況だと言える。
そのため、日本だったりアジアっていうのは、現在動物に関する意識というのは極めて低い状況にいる。
法的な整備というのも非常に遅れている状況。
一方、西洋ルートというのは、理性で考えてきた。
そこから論理展開していって、動物に権利を与えるという流れになってきた。
なので現在、西洋は動物に関する意識が高い。
法整備に関しても、アジアよりは遥かに意識が高い、整備された法令と法体系を持っている。
1842年にベジタリアンという言葉が初めて使用されたことが確認されている。
1847年にベジタリアン協会ができる。
当時で130名の会員がいた。
1944年に、ヴィーガンという言葉を作り、英国ヴィーガン協会を設立した。
ベジタリアンという言葉ができてからおよそ100年後にヴィーガンという言葉ができた。
2014年には、イスラエル人の5%がヴィーガン、8%がベジタリアン。
2017年には、アメリカ人の6%、約2000万人がヴィーガンになったという統計が出ている。
ヴィーガンになるという流れは決して後退することはない。
増えることはあっても減る事はない。
ヴィーガン・ベジタリアンの種類の定義について。
http://animal-liberator.net/animal-liberation-lab/type_vegan-vegetarian/
ベジタリアンに関しては、一般的な分類。
ヴィーガンに関しては、リブ独自の分類の仕方をしている。
どういう基準で分類したかというと、動機の部分。
青字のヴィーガンは、英国ヴィーガン協会が提唱した定義に基づいている。
環境ヴィーガンというのは、
気候変動だったり地球環境がおかしくなっているということで
その地球環境の主な原因として動物利用があるというところから、ヴィーガンというライフスタイルを選んだ方々のこと。
宗教ヴィーガンとまとめているのは、スピリチュアルだったりとか、色々な信念体系においてヴィーガンというライフスタイルを選択した方々。
健康ヴィーガンと名付けたものは、自分の健康のために菜食が体にいいということでヴィーガンというライフスタイルを選択したという方々。
この4つが、主にヴィーガンとなる動機となっている。
左によるほど自利、つまり利己的な理由によるヴィーガン。
右によるほど利他的なヴィーガン。
元々の定義のヴィーガンっていうのは、利他的な動機になる。
例えば、動物を一生懸命サポートしても、動物はありがとうとは言ってくれない。
見返りも何もない。
一方、環境っていうのはどっちもある。
環境が良くなって、最終的にメリットがあるのは自分である。
しかし、他の人類だったり、地球だったり、動物にとってもメリットがあるという意味では
利己と利他の中間だったり、人によってより幅が違う。
宗教ビーガンっていうのは、自分の霊的な成長だったりとか、自分の内部をクリアにするためにヴィーガンっていうライフスタイルを選んでいるので、利己的な理由に近い。
健康ヴィーガンに関しては、自分の体のことなので、利己的な自利的な理由になる。
という風に、現在のヴィーガンという言葉はこれぐらい拡大解釈されている。
これが人それぞれパッキリ分かれているわけではなく、
この4つの理由が組み合わさってヴィーガンというライフスタイルをとっているパターンが多い。
本来的なヴィーガンという言葉の意味は、動物のため動物を搾取しないためっていう意味。
ですので、私の感覚では、少なくとも50%以上動物のためである人達が
本来的な意味のヴィーガンであると思っている。
実際に、ヴィーガンがどういうライフスタイルを採用しているかは、非常に単純。
要は、動物を利用した食べ物も衣類も娯楽も利用しない。
動物が利用されているものを認識してそれを避ければいい。
ヴィーガンの日本語訳というのは、完全菜食主義あるいは絶対菜食主義と言われている。
しかしこれまで見てきたように、完全菜食っていうのはヴィーガニズムの全体の概念の中のほんの一部分にしかすぎない。
動物を利用した衣類を使わないし、
動物の種によってあるいは人間臭と動物の主を差別しない「種差別否定主義」であったりとか、
動物園水族館に代表されるような動物を娯楽に利用することを拒否する主義であったりとか、
狩猟を拒否する主義であったりとか、
動物の権利を付与しようという主義であったりとか、
色々な概念、目的がある。
その中の完全菜食主義ってのは、ほんの一つ。
ヴィーガンというライフスタイルの最終的な目標は、動物に権利を付与し動物を解放するという主義になる。
なので、ヴィーガニズムの適当な訳語っていうのは、「動物解放主義」のほうがはるかに適当な訳語。
(中略)
私はこのヴィーガンという言葉を非常に大切に考えています。
ヴィーガンになるということはとても素敵で、清々しいことで、
動物を傷つけてないっていう、この自分の罪悪感だったりとか矛盾のなさというのは、何にも代えがたいもの。
私の人生において最も良かったことっていうのは、ヴィーガンになったこと。
おそらくこれっていうのは一生変わらない。
私はヴィーガンになって本当に良かったと思っている。
ヴィーガンになってない自分を想像したら本当に恐ろしいと思う。
今だにああいうことを続けていたとかと思うと。
今も動物っていうのはひどい目にあって、搾取され、
親から離され、子を奪われ、痛めつけられ、殺されている。
もしよかったらヴィーガンになりませんか。
動物を守る生き方をしましょう。
*******************************************
ヴィーガンというのは、
「人間が動物を搾取することなく生きるべきである」という主義であり、
犬猫は可愛そうだけど 牛豚鶏魚は感謝していただきますなどといった「種差別」に反対する主義であり、
健康のためとか、やったことが自分に返ってくるからとか、霊的にどうかといった利己的な理由ではなく、
動物という他者のためという、利他的な理由で始めるライフスタイルです。
なので、ヴィーガン=完全菜食主義者という、食だけにフォーカスした訳は、誤訳であり、
冒頭の
「健康目的でヴィーガンになりました」
「ヴィーガンですが、たまに魚を食べています」
「ヴィーガンやめました」
などはすべて適切ではありません。
・「健康目的でヴィーガンになりました」
例えば、娯楽施設・動物園や水族館に行っても、健康とは何ら関係がありませんので、
健康目的のみでヴィーガン、つまり動物搾取をやめました、は適切な言葉ではありません。
というか、実際勘違いしていると思います。
「健康目的で完全菜食になりました」が正しいです。
1つ注意したいのは、健康目的で菜食をしている人を否定しているわけではありません。
何を目的にしようが個人の自由であり、単に言葉の意味が違うよ、使い方間違ってるよって話なだけです。
あと、健康目的から菜食を始め、調べているうちに動物問題を知り、ヴィーガンになった人もいると思いますが、それはヴィーガンです。
ただ、それでヴィーガンになった人は、「健康目的でヴィーガンになりました」とは言わないでしょう。
・「ヴィーガンですが、たまに魚を食べています」
種差別に反対するのがヴィーガンの主義です。
たまに魚を食べているというのは、言い換えると、
牛豚鶏などは常に差別しませんが、たまに魚だけ差別します、となるので種によって差別していることになります。
なので、最初のヴィーガンですが、というのが誤りになります。
人種差別反対主義者と言っている人が、たまに黒人だけ差別します、と言っているようなものです。
というか、多分これを言っている人は、やはり食のことしか考えていないと思われますので、
「極力動物性の食べ物は避けていますが、たまに魚を食べています」が正しいです。
もう1度書いておきますが、たまに魚を食べる人を否定しているわけではありません。
個人の自由なので好きにすればいいでしょう。
・「ヴィーガンやめました」
言い換えると、動物虐待反対派から動物虐待賛成派になりました、ってことになりますね。
まぁ、ありえない話ではないですが、この手の発言をする方は全員、
健康がどうとか、精神的に疲れてもっとゆるくでいいと思うようになったとか、食の話だけをしていますので、元々ヴィーガンではなかったという事になります。
「完全菜食をやめました」というのが正しいです。
何度も書きますが、完全菜食をやめたければ、個人の自由なので好きにすればいいでしょう。
健康だと気づいたから、やったことが自分に返ってくるのが嫌だからといった利己的な理由で始めていれば、
それが関係ないと分かった瞬間に、やめるという選択肢が生まれます。
動物搾取に気づいた瞬間から、こんな事は間違っていると感じてヴィーガンというライフスタイルを選択します。
利他的な理由で始めれば、やめるという選択肢は生まれませんね。
ヴィーガンの入り口は様々です。
ストレートに動物問題から入った人もいれば、
健康面から菜食を始め、調べているうちに動物問題を知った人。
環境問題を知り、調べているうちに動物問題を知った人。
入り口はどうであれ、動物という他者のためという、利他的な理由で始めればヴィーガンです。
動物問題を知らない方、感謝して頂きますと言えば 肉食を正当化できると思っている人は、
ひとまず以下の動画をしっかり最後まで見ましょう。
※リブログ、SNSなどへのシェア、引用は、ご自由にお願いします。 確認は不要です。
訳あって3羽同居中
— クックハウスokinawa~闘鶏で傷つき捨てられた鶏達の生きる場所~ (@LOfndnUtstj7z8V) November 21, 2022
なんかうまくいってる
女番長&子分2 pic.twitter.com/o2yuMf3Qx2