宿屋のおやじ日記 -82ページ目

324. YM様 コメント感謝してます

M様より 早速のコメントを頂きました。


思えば 御出発の時にアレコレとお話しをさせて頂いたので「 323 」は 投稿

する必要がなかったのかもしれません。 ただ かなりの部分を書き終えて

いましたのでそのまま送信してしまいました。  どうぞ ご寛容に。

いつか機会が出来ましたら この最近 熱帯魚が 特に増えてきたらしい 

青海島でぜひ ダイビングしてみましょう。ご連絡をお持ちしています。


今朝は朝早く目が覚めて つい本を読んでおりました。四時二十五分頃に雨が

降り始めまして いつの頃にか 降り止んでおりました。


空気もきれいになって 快晴の湯本温泉です。


こんな朝には 事務所から外に出て ゆっくり散歩したくなります。

今日もまた 素敵な出会いがありますように。

                                  宿屋のおやじ でした。

323. 客室でのご挨拶と ダイブスポット

以前にも書いたけれど、半年前から お二人のお客様にはご遠慮申し上げて 

三名様以上のお部屋には 御夕食時にお礼のご挨拶にお寄りしている。


時々 というか ごくたまに あれっ、あらマー、なんて出会いもあったりして

両方がドギマギする場面があったりするのだけれど この最近 ありがたい

のが このブログを見て頂いてる方から あら 社長さん ( スナック や パブ

で 呼びかけられる 『 社ッチョ さん 』 や 『 部ッチョ さん 』では ありま

せんので 念のため )と、すぐに反応して頂くことなのですよ。


昨日も 兵庫県の 有名な歌劇団の存在する市からおいでいただいていた

四人組のご家族のお部屋に参りまして、僕の姿が見えるやいなや お母様と

思しき方から こちらが言葉を出す前に 「 あら 社長さん 」・・・すぐに 僕の

知っていた方かと記憶脳を働かす途中に 「 みてますよ。ダイバーさんで

しょう。日記もよく書かれていて・・・・。娘も ダイバーなんですよ。 」と正面に

座っていらっしゃった おきれいなお嬢様に目配せ。


日頃の決まったご挨拶にすべきか その場の雰囲気のものに変更すべきか 

忙しく頭を回転させつつ、まずは いつもどおりのお礼を申し上げる。


せっかくだから 地元 青海島でのダイビングスポットのアピールもしなければと

思いつつ これは 叶いませんでした。


十年ほど前に 目のトラブルから解放されてしばらく後に 白木屋グランドの

専務と 当時の某テレビ局でアナウンサーをされていた方と その島で体験

した事。それ以来、無沙汰である事が思い出されて、オマケに二年前の血圧

のドタバタ原因でこれまたこの最近は・・・・、そんな話を始めたら 小一時間

くらい話す羽目になりそうで ソコソコにおいとま致しました。  


青海島は 潜水を開始する沖までに移動する 道行・みちゆき の景色が

とてもすてきです。

本格的に この島で ダイビングが許可されて まだ 数年ですが 今は 

夏休みにエントリー場所に行きますと タンクが150本程度置いてあって 

驚くことも多い 人気スポットなんですよ。


西長門リゾートホテルの東側で 最近特に人気の角島大橋の西側も 砂地の

広がる 楽しいスポットでもあります。

ココでは その当時、中学校だったか高校生だったか忘れちゃいましたが 妻が

危険なスポーツだという判断からいい顔をしないことがあって 長男とこっそり

潜ったところで このときにも ダイブの一本目と二本目の間の休憩時間に

女性インストラクターから レスキューダイバーのお父さんより お子さんの

方が落ち着いていらっしゃいますねぇ、と感想を言われて 父親の面目丸つぶれ

だった事があります。


二本目には やっと落ち着けて 面目を取り返せました。


ご出発時に お話できなかったらと書き続けておりますが また機会があり

ましたら といいますか 機会を作って おいで下さいませ。


スキューバにご興味のおありでない方に。


これは所謂 カナヅチ のかたでも体験できます。何の問題もありません。

どうぞ気ままに 気楽にお申し出下さい。


確かに僕は 最初の教室で 「 私 カナヅチ なんですけどー 」とのたまわ

った 若いオネーチャンに( おいおい なんだこいつ、出来るわけないやろ、)

と心でののしったのも事実だけれど 即座に「 平気ですよ、」と回答された

先生の説明に、よく考えてみたら 確かに空気はあって 浮く為の道具が

そろっているわけだからなんの心配もいらないのかと、得心したことがあります。


これから 何らかのチャンスに 思い出に 青海島を記憶しておいてください。

                          宿屋のおやじ でした。 

322. 雨の日が多い?

天気予報でキチンとした集計を見ていないから 実際のところは不明ながら

今年は雨の日が比較的に多いのでしょうか?


今朝も昨夕からの雨が降り続いています。


人を哲学者にする雨もあれば ただ舌打ちの対象物としてしまう人もある様で、

人間という存在に一番大切なものを供給しているハズの雨にとっては 災難

みたいな思いでしょうねぇ。


これこれこうしてあげているのに・・・・と思うのは 不満の始まり。

愛するというのは ひたすら 与えるものだから 不満の感じとは相容れない。


字句は忘れてしまいましたが こんな内容の言葉を思い出しました。


ただひたすら 傘をさして 徒歩にて通学した 六年間。

自転車通学で ガサガサの 正直かっこ悪いカッパを着込んで通った中学時代。

それなりにカッコ良く見えるカッパを買ったものの ヤッパリ 見た目そのものが

悪そうで 時々 父に内緒でバスにて通った 高校時代。


失恋して 路線バス40分ほどの距離を友達の家まで 海を見ながら ひたすら

歩いた 高校二年の雨の日。


いろいろな雨のシーンが浮かびます。


折角の土曜日が雨のようですが どうぞ お車等には気をつけられて 

お回り下さい。 御無事なお出でを お待ちしております。

321.高校の方の同窓会企画

大津高校 25期会のメンバーへ。


数日前に、 数年前に 女性を大量動員してくれた 大立者 O 崎 サンカラ 連絡

がありました。


なかなか仕事が忙しくて ( 彼女らしく ある会社を立ち上げて頑張っている )

実家に帰る機会が随分減りそうです。子供達が 東京の我が家を実家として

育っている事もあります。 特に長門の思い出のわが家の ギターを弾いたり

していた部屋達が寂しがって待っているかも知れませんが 母が離れた事も

あって仕方ありません。これが時の流れ なんでしょう。 あの頃のかわいい子

を集めるから あなたも 加藤君や和田君とイケメンを集めて・・・・なーんて

年でもなくなったしねぇ。すいづクンも元気でね、なんて結んであって なんとも

残念な一報ではありました。


同窓会では 即座に18歳になれる自分にとって 相手の女の子も皆あの頃の

セーラー服の高校生のままに映るのだけれど  これは僕だけの病気みたい

( と一正に言われてしまった )なものらしくて、 とても残念な内容でしたが

これも特に女性にとっては 当然の時間の経過なんでしょうね。


ファンの多かった彼女だったから ここまで読んで もう参加する気をなくして

しまうであろう かなりの男の顔が浮かぶのだけれど 絶対帰らないってわけ

でもないだろうから いつかのチャンスを気長に待つしかないか。


一方で 数章前に内田のペッタンとのヤリトリを書いた 直ちゃんみたいに 

あなた達がこまめに企画してくれてるから なかなか参加できないのは残念

だけれど 今年も何かやってるんだなぁという 温かい気持ちで 葉書を

見られるのは嬉しいものよ。大変だろうけれど がんばって続けてね、という

報告も届いていて キカク三人 委員会は張り切っています。


いつかいつか 1泊2日の 25期会 を虎視眈々と狙っている、宿屋のおやじ

からでした。

320. 急に暑くなりました

朝のお見送りを玄関先でしています。


昨日の朝は 急に暑くなった様に感じました。


こいのぼりの川流しは 四連休中の夜中に降ったりした雨の為に 増水と川の

水の汚れの為に 結局 実行出来ませんでした。


その代わりに いつもは 大きなこいのぼりに おびえて 離れた場所に移動

してしまう本物の鯉が 元の位置の岸辺に戻ってくれましたので お子様を

連れられたご家族には パンを使ったエサやり で楽しんで頂いたようです。


この五月は時々 小学校の修学旅行を お引受けしております。


いまだ 同窓会では 修学旅行の話が出ることの多い五十二歳にて、

これからご来館になるお子様にも 楽しい思い出を作って頂くべく 精一杯の

お迎えを致します。 


どうぞどうぞ 気をつけておいで下さい。お待ちしております。

319. GWも終わりました

いつもの事ながら あっという間の四連休でした。


昨日地元の FM局のアクア で 六日が四日の みどりの日の振替休日で

ある事を知りました。第一 五月の四日が みどりの日と言う祝日であること

さえ知らなかったので 新鮮に驚いてしまいました。


四月二十九日が「 昭和の日 」という名に変わったのは 支持すべき事と

して理解していたけれど その後の事は何も存じておりませなんだ。

お恥ずかしい。失礼致しました。


三日 四日に相次いで里帰りしてくれた三人の子供達でしたが 旅館の

子供の宿命で 誰にも相手にされず 子供同士で出かけたり 遊んだり

手伝いもさせられながら 昨夜 二人が それぞれの住処に帰りました。


僕は ある同級生との付き合いで 棚田というか 油谷 後畑の段々畑という

ものが 比較的に身近にあったのだけれど 子供達は 一度妻と三人で

出かけた長女は別として 見た事がないとかで 昨夕 連れて行きました。


快晴に恵まれて とても素晴らしい 夕陽に映える 棚田を満喫してきました。


一度 旅館に帰り 今度は 妻を同乗させて 新山口駅まで送りに行き

ました。妻にとって この連休中に 子供達と初めてゆっくりと話せた一時に

なった様でした。 僕の責任がやっと果たせたみたいで  なんともホッとして

ハンドルを握りました。

 

時の流れって 本当に アッと言う間で 自分が 父に送られて 当時の

国鉄の小郡駅や宇部空港に送ってもらっていたのが ホンの昨日の事の

ように思い出されます。いつか この三人が 僕の事を思い出すときが

あったとしたら どんな父親像の話になるのでしょうか。


夕飯がまだだった妻の為に ケンタッキーに寄っていろんなセットを買い

込みまして そのうちに その父の思い出から 自信と不安が 微妙に

入り混じり始めて 随分と無口になった事を自覚しつつ ひたすら 安全

運転で帰宅した 宿屋のおやじ でした。

318. 露天風呂とは、

昨夜 ゴールデンウィークの中日 何ともかんともあわただしい日に おとずれ

夜市 じゃらんじゃらん が開催されました。


毎月のこととはいえ ヤッパリ お盆や正月みたいに 一人のスタッフも派遣

しずらい状態なのは どこの旅館もみな同じの様子で やっと 準備の終わり

頃に出ることが出来ました。担当委員の方には 有難うございました。それと、

申し訳ありませんでした。


途中で 帰社して また復帰と考えておりましたが これが又 社を出られ

なくなり いつもは アコースティックライブの最初の方から 聴いているのに

三人目の出場者からの拝聴がやっとでした。


一番に歌って頂いた、声だけは聞こえていましたのでわかったのですが、 

このイベントの チャーターメンバー 萩市の中学校の国語の先生 白沢先生

から 「 今度は 露天風呂についての一考察 ですか 」と小声で耳打ち。

( やばい 読まれている )と若干緊張しつつも これで明日の内容は決まり

だな・・・・・・。


ただ昨日と同じように こんな連休の日の朝には ゆっくり事務所で 自分の

ブログに専念できる状態にはなくて、これまた 思いつくまま、とそれからの

数分間の カクテル スナック ロペの マスター そうです、同級生から

未だに リンダと呼ばれる 山本マスターとのヤリトリです。


彼も 偶然に あの番組を観ていたようで どう思う?? なぁ。 で共通の思い

だったのは 混浴であるという事が理解されていて 後から 入ってこられた

女性に目を向けるな、といわれても無理だよな。でした。 それに 僕は 「

僕もそう思う。第一 裸の女性、勿論 前の部分を隠していらっしゃろうと、 

それにさえも目が向かないような 精力の男では キチンとした結婚が

出来ても 種の保存が出来ないのではないだろうか 」と、付け加えました。


時々 テレビで キャミソールとミニスカートで 満員電車に乗ったら チカン

されました。私にも 人権があります。と意見具申をされる 若い女性が

いらっしゃるけれども 主張すべき権利と 現実世界での 生きる為の知恵

とが こんがらがっているようにしか 思えない。と考えるのですが いかが、

ですか。


勿論 チカン が全て女性のせいだというほど無知ではありませんので

念のため。

何度も書いていますが 本当に 男は 弱いものです。「 何 見ているん

ですか 」と一にらみ か 一喝 されたら まず間違いなく百パーセント 

男はビックリして ひたすらうつむくか ごめんなさい と退散します。


でもそれでは 多分 お互いが 不愉快な時間を共有しなければならないし

せっかくの 混浴という場を提供し続けてくださった 先輩達に申し訳がない。


複数の目が女性に向かっていても (  まったく 男ってのは バッカだねぇ。

それとも 私が そんなに 魅力的ってかぁ )なんてくらいの さっぱりした

心持で お付き合いいただけませんか。


どうでも駄目だとおっしゃる方には そういう 混浴の温泉地では 女性だけの

お風呂がありますから そちらをご利用くださいな。残念なことに 男には

その選択肢がないところが多いのですよ。


勝手な男の思い込みだ、と ののしられたら そうかもしれませんが テレビに

出されるくらいに深刻な問題になっているのだとしたら つい一言と 書き始め

ました。


とにもかくにも 「 混浴を守る会 」とか言われる会から 嘆願書に一筆お願い

の連絡があったら 協力したいなぁ。  それも 女性の支持者を 数人でも

探して連名で記入したいと 考えている 宿屋のおやじ でした。

317. 昨日聞いた 混浴での視線の 問題

どこかのテレビで 昔から混浴の伝統のある温泉地で 男性の視線が問題に

なっている事をニュースにして流していた。


時間があったら アレコレ書いてみたいのだが 残念ながら あまり時間が

ない。つい思いつくまま・・・。


これは 随分と地域差、というか その場の当事者の雰囲気が多分に関係

していると思のですが。


学生時代に 東北に行ったときにも体験したけれど 男性は黙ったままで 

後から入られた 御婦人をつい眺める形になってしまい、当時は 今の自分の

様に 気楽に声をかけられなかったから 妙にその場が緊張した状態になって

気まずい思いをした事がある。

そのうちに 髄分と御年を召した おばあちゃまが どうやら地元の方らしくって

まぁまぁ みなさんどちらから おばあちゃんで ごめんなさいね。とごく自然に

話しかけてもらって その場全体が一気になごやかになった。

 

その後 かなり時間も経過して 湯布院や黒川温泉の名前が 次第に大きく

なる途中に 体験した こちらでの思い出は なんともかんともザックバラン。

何箇所かの九州の かく混浴での 思い出は こんな感じ。


共通した思い出のある方も 随分おられる様だけれど 第一 今頃の若い女の

子は 前を隠さない。女の子同士で キャハハハ、ウッソー、フーン と話し

ながら タオルはっ てぇと、片方の手でぶらぶらさせたまんま、いきなり

何のテレもなく ザブンとお入りになる。


おい君達、かかり湯 くらいしろよ、そんな入り方するから レジオネラなんかが

増えるんだぞ・・なんて 言う間もない。 


なんともあけっぴろげ。


こちらが一人だけで 慌てて 逃げ出した体験も 一度や 二度ではない。


正直 自分の子には こんなマナーは出来ないはずだと 信じ込もうとして

悶える宿屋のおやじ が私です。


また続きを書きます。

316. いよいよ四連休

子供の頃から 家族で遊んでもらうという意味では 何の縁もなかった 

ゴールデンウイークに突入いたしました。


朝目覚めた時には 父も母も忙しく 学校から帰ったときにも せいぜい挨拶

くらい。 これがまた 土曜に祝日 盆や正月に至っては しばらく一度も両親の

顔を見た事がない というのが 当たり前の事として育った宿屋の息子であった。


強いて不満に思うでなく ごく 自然の事として成長したが やはり 何かに

つけての 母の洗脳と 洗い場のおばちゃんや 当時 女中さん と呼んでいた

お姉さん方の温かい応援のお陰だとシミジミ思う。


「 おやじよ、言いたい事があったら キチンと声に出して言ってくれ。

  おふくろよ、言いたい事があっても 全部を口に出さないでくれ。 」


まだ 山口県高等学校のPの連盟のお手伝いをしていた頃に 当時の山口高校

の校長先生から聞いた笑い話。一度書いてはいるが 僕の子供達みんなが

高校を出てしまった今になっても 時々思い出しては笑ってしまう。


自分の下の弟も そのまだ下の妹も それが 当たり前の事として なにひね

くれるでもなく それなりに大きくなっているから 要はメリハリのある親子の

会話が必要なんでしょうねぇ。


同じ宿屋の子供として あまりのワンパクに 洗い場の柱に 長くした何本かの

帯紐でくくられて子供時代をすごしたという体験を話された東海地方の宿六

いや先輩がおられたけれど それに比べれば ありがたい環境だったのでしょう。


 これから数日、旅行をされるお父さんに特にお願いです。


ガソリンも高くなりましたが どうぞ 御家族仲良く この数日は 怒鳴りたい

気持ちも グッと飲み込んでもらって 交通安全に気をつけられて おいで

下さい。

美味しいお料理と 少しぬるめの温泉のお風呂で お待ちしております。

 

                                  宿やのおやじでした。

315. お茶会 報告

遅くなりました。 無事お茶の会より生還いたしました。


この会に出席するたびに 少しは 勉強しないとなぁ、と思うくせに その瀬を

過ぎると 元の木阿弥。なかなか うまく進みません。謡曲と同じです。


今回も 受付を済ませまして 「 例によりまして無作法で 」とお願いというか

助力の懇願を致しましたら  田原陶兵衛先生の奥様が 一応の形は来賓で

あるという印のお花のリボンをつけられながら 「 どうぞどうぞ 御心配なく、

主人のそばにいらっしゃって下さいな 」とこれ以上はない安心のご案内。


かなり以前に 「 集中力の話をされた 」と書いた上場企業のコンサルタント

会社の勉強会で  京都の叶匠壽庵様の 広大な敷地の中のお茶席で 

茶懐石を頂いた事がある。


何の作法も知らないくせに 「 山口県の方なら萩焼なんかにもお詳しい

でしょう 」と誰かに聞かれ 「 実は湯本温泉には 萩焼の深川窯があって

それぞれの( 当時の )お若い先生は 皆さん僕の小学 中学 高校

の先輩ばかりなんですぅ 」なんて自慢げに応答してしまった。「 ならば

尚更 どうぞどうぞ 」と大きな誤解のもと、一番の先頭に押し出されてお席に

はいった。


担当の方が説明を始められて、僕が口にした言葉は 「 いやー どうも 

どうも 」 「どうも すみませんねぇ、サッパリ分かりません 」といろいろの

説明を頂きながら 何も理解できずに その場の緊張を ほぐす というか 

見方によっては くずしすぎて噴飯もののヤリトリしかできなかった・・・という

貴重な体験をした。


それからは とにかく 先頭とお尻についていては ヒドイ目に合うこと

だけは理解出来ていた。


ただ一方で こんな思い出もあるのですよ。


湯本に帰ってじきのころ 大津高校の各種寄付の要請と 受取の担当が 

大谷山荘の 大谷専務( 当時 )と僕になっていて、いつも最初は 萩焼

窯元の里のからスタートするが常だった。


その時に 先代の陶兵衛先生が、僕の父とも大変懇意にして頂いていた

ありがたさもあって、 無作法を異常に気にする僕に 「 なに 気に

しているんだ。美味しくお茶を飲むってのが 一番大切なことなんだから ヘンに

気は使わないでいいよ。」 「 今頃は やれ お辞儀は 何度くらいで 手は

正三角形にして ひざの これこれの位置で なんて、強調しすぎて 本当の

楽しみといものから 離れている気がしている。」と O先輩との会話を聞き

ながら随分と気が楽になったこともありました。


無事に 濃茶 お薄 と頂きまして  他のご来賓の皆様と お弁当を頂いて

帰宅した次第。途中から くっつくお相手が 下関からおいでた お茶道具の

商いをされている先生に変化はしましたが・・・。


とてもいい天気の中、嬉しい充実のひとときでした。