宿屋のおやじ日記 -66ページ目

484. 強い風の温泉場です

子供達が子供の頃から 「 はい お父さん。 」だの、 父の日だ、 誕生日だ、

クリスマスだと、プレゼントしてくれた 肩たたき券だの 貼り絵だの 大学ノート

だの ボールペンだのを捨てられなくて パウチングしたり 引き出しに溜め込

んでいた品物が随分とあった。


それなりに大きくなってからの 贈り物は 下着だ ハンカチだ 靴下だと 妙に

実用品がふえて 今も有難く使わさせてもらっているが 数年前から その

たまった大学ノートを機会がある度に使用するように努めている。


昨年 秋の ビル管理の調査では 保健所の方から 「 では 年間

スケジュール表から拝見します。出して下さい。」というお問い合わせに はい 

と提出したら これが 表紙に 頭の薄いおじ様が キックボクシングよろしく 

空手チョップにした右手を振り上げて 「 トリャ 」という台詞。そばで 黄色い犬

が 「 ワン 」という一言とともに同じように飛び上がっていた。


十数冊のノートのうちで一番とりやすい位置にあったから それに

「 ビル管理 」 平成20年度 責任者 水津弘人 と書いて 記入し始めた

代物でした。


もし この係官の方と僕が初対面で なおかつ 非常に生真面目な方であった

ら きっと 一言お小言を頂戴したかもしれないのだけれど 三年続けての

担当の方であったから 最初の 「 ほー。」という ため息とも 一瞬 責任感を

疑われたような気持ちが伝わってくるような 短足、いや嘆息ともとれる一言が

漏れただけですんだのでした。


すかさず裏表紙の「 平成五年○月○日 まきさんより 」というメモを読み返

して確認し「 もうしわけありません。末娘の五歳のときの父の日の大切な

プレゼントなもので、ちょっと使ってみました・・・・。」 と これ弁解。


さすがに二年連続で ふざけた表紙のノートは使用できないから 今年21年度

についてはきちんとした物を使用している。


一時 大流行の ジュリアナ東京の ピンク色した ひらひらの扇子二本と

そんな子供達の思い出の品を 昨日 大き目のスケルトンの箱につめなおした

山口 湯本温泉の 宿屋の おやじ でした。


今朝三時の 夜空は 雲ひとつない 正に 満点の いえ 満天の星 でした。

皆様 今日もお元気で。

483. なかなか読み返せず ぺタできず ぺタされず

ここしばらく 書くばっかりで 読み返せず 書きっぱなしの書きなぐり ぺタも

出来ずに ぺタしてもらえず みたいな状態です。


45才過ぎて涙もろくなったせいか またまた 素敵な歌を耳にしました。


NHKの朝ドラというのでしょうか 「 ふるさとの 夕焼けが あたたかい 」という

箇所にこれまた ジーンとしてしまいました。


突然に 高校一年か二年の 秋の頃 当時は片道六キロの自転車通学での

一シーンを思い出しました。

 

その日は クラブ活動もなかったらしく めずらしく 早めに校舎を出て いつも

の道を走りはじめました。


校門を出て バスの通る道路までが百メーターほどの直線道路。


すぐに目の前左手の少し上から差す日の光に目を上げたら 本当にまん丸の

真っ赤な夕日が 松原の少し上方に見えました。


子供の頃から 何度も見ているはずの夕日なんですが この時の 夕日だけは

未だにまぶたに浮かんできます。


がんばれよ、というか ただ無言で ひたすら 周りを照らし続ける太陽に 

なんもいえない力を感じて いつもは通らない海岸沿いの狭い道を 夕日を

追いかけ追いかけ大回りで帰りました。 これからの 楽しい高校生活を

応援してもらっている様な感じでしたから 一年の頃だったのでしょうか。


ここまで書いて帰宅。今朝 出社して のぞきながら ふと外を見ますと 六時

二十五分なのに山の稜線が明るくなっておりました。日の出の時間も確実に

早くなっているようですね。


ただ温度だけは確実に零下に感じる 湯本温泉 宿屋の おやじ でした。

482. 久しぶりに内田君を囲んで

シーカヤック界の大御所、???、内田君が帰って来ているという連絡を宗本

からもらって プチ同窓会をいたしました。


男ばかりもいいけれど 折角の集まりならば やっぱり 女性がいたほうが、と

勝手に気を回して 桑原の直ちゃんと 小野の典子さんに来てもらいました。


それなりにいい男で、 それなりに、という僕の微妙な嫉妬もあって、やっぱり

それなりに・・・・という表現でしか書けないのだけれど、今回は昔の思い出話に

大きな花が咲き続けました。


「 あの人( つまり 内田のぺっタン )が好きなんだけれど 」という女の子が

何人かいたのは知っていたし、クラスメートとして ラグビー部を花園に連れて

行ってくれた頼もしい恩人でもある。このブログにも何度も出てくれて

いて楽しい友人ではあるし、今回 正式に 海洋大学の講師になったことも報告

してもらった。


悔しいけれどというか正直なところ 女性との関わりがさほどなかった僕に

とって あの高校三年の夏の折の 「 どー○い かどうか自主申告事件 」( 0

から 10の間のどこかに書いています )の挙手の報告が正しいものかどう

なのか、今回 いろいろな話の中で 高校を卒業する頃の話の中で、皆が

それぞれにそれなりに まじめであったことを確認できて ホッとしたひととき

でもありました。


ついでに ぺっタン という呼び名のいわれや 懐かしい友達との長電話。


やはり同級生との語らいは時間の経過を忘れさせる とても大切な行事である

ことを再認識して 直ちゃんとぺっタンは我が宿にご宿泊。翌朝 お互いに元気

であることを感謝しつつ 送りました。


ついでに ついでに 昨夜 安倍晋三 元首相の 新年の集いに参りましたら

のうのマサナオ が同じテーブルでした。


早速 前夜に 小野さんと桑原さんとに 取り付けた 一泊同窓会の開催を

持ちかけました。


何回か M女史に持ち込みながら なかなか許可の出なかった企画。


桑原さんの「 この年になると介護や親の世話で 出にくくなるから どこぞの

宿で 昼過ぎからダラダラ長い同窓会もいいんじゃないの。」と前向きな理解で

小野さんにも、無理やりの理解ながら 反対はしない、と約束してもらいました。


病み上がりの加藤に話して改めて また 御案内いたします。

どうぞどうぞ お楽しみに。

                  宿屋の おやじ でした。

481. 久しぶりに夜書いています

お客様の お二人に一人充てコンパニオン付きのご宴会がございまして、

あまりの盛り上がりように ちょっと抜けまして 我が部屋で 感動の歌 何ぞ

という番組を観ていましたら「 今 宴会が終わりました。」との連絡が入り

助っ人として馳せ参じまして 先程片付けもおわり 久方ぶりに 夜 この

場面をのぞいております。


それにしても 随分前の、私もまだ独身で お酒の入ったときには 妙に強気

になれていた時代、 ある会で一度だけ ひとりに一人のコンパニオンさんが

ついてという宴会を体験しております。


今から思えば ただ酔っ払って カラオケ歌って 酔いつぶれて 何のことは

ないただそれだけのことでしたが 一つの思い出にはなっていますねぇ。


それにしても 感動の歌 の紹介の 歌手名は忘れてしまいましたが 

「 母賛歌 」という歌には テレビを観つつ感動しておりました。


さびの部分に行くまでの歌詞は さほどとも感じなかったのですが 「 母よ

母よ 感謝しています 」 「 母よ 母よ 私を生んでくれて ありがとう 」という

サビの箇所では 胸をつまらせてしまっておりました。


全国の家庭において 母親の日々の務めに対して ただひたすら恐縮に思う

父 つまり夫や 子や その兄弟姉妹の姿が存在している、と信じていますが、

その同じ家庭の数だけの ありがとう がきっと存在しているのですよね。 


改めてその言葉を発するばかりではなく、やっぱり 常日頃から 「 ありがとう」

の感謝の言葉を出しておくべきだなぁ、と確信した 宿屋の おやじ でした。


レゲエ歌手(???)の何とかさん、って紹介でしたが 重ねてお名前、申し訳

ない。 というところで 二十三時三十分 そろそろ おやすみなさい。

480. 地元の大手企業 元相談役の告別式

昨日 地元の大手鉄骨会社の 元相談役の告別式が ルネッサ長門で挙行

されました。


開催ではなく 正に挙行という雰囲気の 荘厳な式典でした。

ルネッサ の アリーナ部分の板張り部分全スペースに置かれた椅子が

満席で 各種競技見学の為にある斜めになった 据付られた椅子も

ほとんどが埋まるという 参列者の数にも驚きましたが ビデオで紹介され、

あるいは親族の方からご案内のあった 生前のそのご本人の思い出話に

感動いたしました。


六本木ヒルズのほぼ四分の一にあたる鉄骨の供給をされていた、というお話し

を聞いたのが ヒルズが完成して随分経ってからの事で驚いたのですが

その後の ミッドタウンや 東京駅周辺の 三菱のビルをふくめた十棟近い

ビルの建設に携わっておられたという話も やっと昨日キチンと知りました。


ご本人の紹介ビデオで 事業家としての心の原点として案内されたのが

次の様なふたつのお話でした。


負戦後、満州からの引き上げの車両の中。


ある駅で待ち合わせの為かなにかで停車していた 反対車線の列車から 

いろいろの食料が投げ込まれた。


「 日本に帰ったら 俺達の分まで頑張れよ。 」という叫び声とともに。


五歳の自分には ただ 嬉しかっただけだったけれど 後で聞いたら その

車両は シベリアに向かう日本兵を満載した車両であったこと。そして 折角

手にした食料を、母からは 「 ただでさえ少ない食料を出された兵隊さんの

ものだから 口にしてはいけない 」と叱られて どうにも困ったという思い出話

。 これが ひとつ。


長崎に引き上げたが 住む場所がない。 母方の親戚を頼って 山口の萩に

来たけれど あてがわれた家は 牛小屋を改良した 粗末な 家であった。

という 二つのお話でした。


「 よーし、今に見ていろ 」という強い原動力になったという事でしたが、昭和

も三十年になって生まれた自分にとっては それこそ誰かの自伝や 物語の

世界のお話の様で こんな事の体験者がこんな身近にいらっしゃった事にも

驚きました。


父とは高校が同窓であったことや、当館の設計士とお親しかった事もあって

父の生前中には時々 お話をして頂く事もあったのですが こんな話は一度も

された事はなく 昨日 初耳の内容ばかりで驚きの連続でした。


現在の 長門市商工会議所の藤田光久会頭が 「 戦後は すべての 

事業家が みんなベンチャー企業だったんだ。物も お金も何もないという

徒手空拳の中で 気持ちだけは強いものを持って動いていた。若手諸君も 

元気を出して全ての事に全力を出して事業に打ち込みなさい。」と激励された

数年前のある会での 強いメッセージを まざまざと思い出しました。


平和な時代である事をしみじみ感謝しつつ 大きな事業家でいらっしゃった

ヤマネ鉄工建設㈱ 元 相談役 山根 國広 様

どうぞ 安らかにお休み下さい。   ありがとうございました。

479. なんとも寒い

なんとも寒い日が 続いております。


これが普通の事なんでしょうが ただただ外出時には震えております。


一昨日 ある旅行エージェントさんの総会に福山市に参りました。


大手旅行会社さんとは違い 社員の半分程度の あるいは それ以上か、の

スタッフの方々も 各持ち場での仕事を終えられて 三々五々会場のホテルに

ご集合されたようで「 精一杯のおもてなしを 」と感じていらっしゃる様子が 

伝わってきて、総会後の楽しい懇親会の時間を過ごさせていただきました。


ここで すごく嬉しかったことを ひとつご紹介。


当社の名前は キヘンの「 枕 」( まくら )と 「 水 」で 「 チンスイ 」。


時々 この「 枕 」が サンズイ の 「 沈 」、つまり 沈む になっていること

があるのですよ。


地元の会合では これは違いますと全資料を訂正して頂いた事もあります。


ただ旅行会社さんで また出席の方が 200 300を越えたりしますと あまり

ご面倒をおかけしても、と つい気がつかぬフリをしてその名札をつける事もある

のですが、このときも 最初は そうでした。


少し 僕が遅着した事もあって そのまま むねポケットにつけて 座って

おりましたら 乾杯後に 総務課の女性が僕を探してこられて 「 どうも

スミマセン。皆様にお配りする時間になって気が付いて 気になっていました。

今 打ち変えてきましたので 交換させてください。」と ご丁寧に 名札を交換

して頂きました。


婚礼や 大切なお集まりでの お名前のミスは 非常に大きな問題で 後々まで

尾を引く事が多いのは ご存知かと思いますが、 どちらかというと 呼んで

頂いた側の僕の立場からすると ここまで気を使っていただいて、と大変に

嬉しい出来事なのでした。


世界が大変になってて、これからは 本物の時代、ウソがつけない時代、共生

の時代、自分さえよければという人は振り落とされる時代、 なとなど 様々な

形容がついた本が出ておりますが 一貫して 心の時代であろう事は 容易に

理解できます。


新年明けて 二十日弱。 周りの人に ものに 事に 精一杯の心を配って 

温かくて素晴らしい 美しい地域に そして素敵な国にしたいものだと 小さな

感動の体験から 思いをふくらませた 宿屋の おやじ でした。

478. ほっちゃ テレビ 感想 続き

なかなか 短く出来ません。失礼致しました。


昨日は ニュースの感想を書くつもりが 昔の思い出がドンドン浮かんで

きまして削除せぬまま書き連ねてしまいました。


地域のテレビ局ですから 時間を使って 「 成人になった感想は 」「 今の

目標は 」「 今年は 何をしたいですか 」なんて質問が繰り返されまして

もし 知ってる子達がいなかったら かなり退屈な番組だと思われますが 

そこは( いつ末の愛娘がでるのであろうか )という親ばか二人がみている

わけですから苦痛にはなりません。


随分遅い登場ながら それなりに返事をした 新成人の娘が映っておりました。


で、ここからが感想です。


おひとりか おふたり、何を言われたのか分からなかった場面もありましたが

それは別として 「 まだ このポーズを引きずっているのか 」と残念に

感じたのが あの 「 ピース 」のサイン。


大好きな さだまさし さんも何かの本に書かれており、氏は 「 ピース 

なんとか 症候群・シンドローム 」と命名されて一説ぶたれておりました。


第二次世界大戦の最中、イギリスのチャーチル首相が始めた と記憶している

のですが そうだとすれば 早半世紀以上 この日本だけが 彼のポーズを

後生大事に育てている、ということなんでしょうね。


随分以前に ちょっと書いた記憶もありますが、もうそろそろ他のしぐさは無い

のでしょうか。


国際化 個性化 個人個人の個性を大切にといわれ始めて もう二十年ほど。

これまでは 親指を使ったポーズをとウッスラと考えておりましたが 昨年の

グッグッグーの女性タレントのパフォーマンスで ちょっと不適当になったのか

しらん・・・。


だれぞ 何らかの方策を考えて欲しいと とりあえず 間が取れなくて その

場を取り繕う必要が出たとしてもあの ピース だけは やめて欲しいなぁ、と

思っている、宿屋の おやじ でした。

477. 成人式の地元ケーブルテレビのニュースから

末娘が「 あのねぇ、今日 テレビ局の取材でいくつかの質問に応えたから

もしかすると二ユースに出るかもよ。」と アナウンスして福岡に帰りました。


地元のケーブル局ですから、番組作りもそれなりのスピードで、もうそろそろ

編集も出来上がって放送されるのでは、という妻にのせられて 昨夜

二人でジックリと鑑賞いたしました。


テレビ局の放映では 僕個人にとって こんな思い出があります。


ほぼ20年前、地元の大きなテレビ局の親しい方から CMもそろそろ静止画像

から動画に代えられたらどうですか、日本海側のスポンサーさんにはまたまだ

少ない取組みですから いろいろ特典も考えますよ・・・・・。 という


なかなかお上手な口車に、乗せられて取り組みました。


当時 山口県にはなかった露天風呂、特に三年ほどは 混浴対応しており、

これがまた 人気の時で こんなシーンでした。


芸子さんの髪型のカツラをかぶった 「 僕 」が後姿で入浴している。


そこに ビートたけし さんの 「 ソックリさん 」が入ってきて 「 おっ 」という

雰囲気。


「 僕 」に話しかけるべく近づいたところで 僕が振り返る。その顔に たけし

師匠が ビックリして 大仰な仰向けで 湯壷に沈む。


お湯の上にでるハズの僕の肩から上の後姿は さすがに自信がなくて 当時

この局の 局アナ、今考えたら よくもまぁ、申し込んだなぁ という驚きと その

人気アナウンサーがよく受けてしてくださったなぁ、という二重の ビックリ。


その方の 後姿の撮影の時だけは 僕他のスタッフは全員退去させられて 

撮影後、その 担当者から「 彼女も 水津さんを知っていたし 第一 

面白がって協力してくれはしましたけれど 当分の間 あの彼女だと言う事は

誰にも言わないで下さいよ。これは命令に近いお願いです。」


と何度もなんども 念を押されてしまいました。


お陰で かなりのニュースソースにもなりましたし、「 お前の肩のライン、

中々のもんじゃのぅ。今度 ジックリ拝ませてもらおう。」などとホザク友達も多く

出てきて冷や汗を感じつつ喜んでおりました。


最初の撮影の説明会で、「 あなたの顔は 画面全体からすれば ほんの

一部で パッと見 には誰だか絶対にわかりませんから 。」というプロデュー

サーの言葉をウのミに信じて 撮影してもらったのに しばらく後に届けられた

デモテープでは 画面の80パーセントが 僕の顔で 卒倒しそうでした。


大雑把な僕でもさすがに躊躇しまして 放映はちょっと待って、と連絡を入れて

ダビングした数本を 山陽スジの 四人の女性に贈り、いえ送りました。


「 どう思いますか。正直なホンネの部分を教えて欲しい。」と一言添えて。


三人からすぐに連絡があって 三人とも 「 御本人は お恥ずかしいでしょうが

かなり話題にはなるはず。」とのご託宣。中のひとりは 「 スミッコにか 『 この

人専務さん 』なんてテロップか 矢印入れたらどうですか。」と 無責任発言に

おびえましたが そんなこんなで 都合数年間山口県の皆様には ご鑑賞して

いただきました。



本当は 他の 放映での思い出と 昨夜観た ホッチャテレビのニュースの感想

を書く予定でしたが またまた ノチホドに失礼致します。


                     どーも どうもの 宿屋の おやじ でした。

476. Y 染色体

小学生時分から 理科の実験とか 高校時代のいわゆる「 生物学 」分野が

好きではなかった。


染色体の XX とか XY だとか どちらが男で どちらが女だとか すでに

記憶にない。


お正月から ゆっくりと、というか 何時間か連続してという意味でテレビも観て

いないのだけれど 昨日 ふとスイッチを入れた直後に こんな番組案内が

ありました。


ここ数年 男性の染色体である「 Y 染色体 」の動きが鈍くなっているという

研究論文が発表されました。〇〇日 〇〇時より「 ・・・・・・ 」というテーマで

採り上げます。セリフはわすれたけれど そんな内容でした。


僕が社会人になって後、この湯本温泉に帰ってすぐの頃 ある雑誌で こんな

記事を読んだことがあります。


「 日露戦争まで 男はよく泣いた。議論して泣き 悔しい時 悲しい時 男たち

はあたりはばからず泣いた。 一方で こんな報告もある。


現在の成人男子の 精子の数は 明治男のそれと比較して20パーセント

減少している。 」     と。


当時 やっぱり 素敵な女性と結婚して 少なくとも自分と同じ三人くらいの

子供が欲しいと ただ漠然とでも思っていたから この記事は 妙に記憶に

残っている。


確か この続きに 減少し続ける事への警戒が書かれていたはずだが もう

忘れた。


ある意味で サブプライムの問題より こちらの方が大切かも知れんなぁ、と

感じつつも これは日本だけの問題ではないようで テレビでも「 世界的に

」というセリフがあったように思っている。


確か土日の案内だったようで 必ず鑑賞できるという約束は出来ないけれど

もしタイミングよくめぐり合えたら ジックリ観まして 感想を書かせて

もらいます。


あれだけ「 大雪だ、大寒波だ 」と 連呼して 人の行動を制限しておいて

今になって 雨の予報です、なんて 厚顔無恥で破廉恥な天気予報の

いい加減さに 何が国家試験だ、と少々むくれ気味の 湯本温泉の


                                宿屋の おやじ でした。

475. 大雪ですか

ニュースを見ていないのでなんとも言えませんが 大雪が昨夜から・・・・

という事だったそうですが 全然降っておりません。


昨年にも書きましたが こんな無責任な予報に対しては 何らかの罰則が設け

られないのでしょうか。昨夜から数組の方のキャンセルと問い合わせが続いて

おりまして 心中穏やかではございません。


軽く伝えて 大きな事になったらと あえてオーバーに報道しておられるの

でしょうが そのための迷惑は旅館業だけではないと感じているのですが。

いかがですか。

 

とにもかくにも 過去の体験では ほとんどの方が雪でも台風でもものとも

されずおいでいただいていますので心配はしなくてもいいと、という感覚は

あります。ただ、例えやっぱりおひと組でも ただの不安で予定を変更される

事態になることを聞きますと 国家試験まで作って報道官を養成されなくても

いいのでは、と考えてはいけませんでしょうか。


あれこれ言っても仕方ありませぬ。精一杯にお迎えの準備をいたします。

今日からの連休、皆様どうぞ お気をつけられてお出かけください。


     宿屋のおやじ でした。