宿屋のおやじ日記 -105ページ目

93. となりの ウグイス

我が家の隣に段差があって 一段低い土地に 梅ノ木が20本ほど植えて

ある。そのすぐ隣がおとづれ川で昨日も数匹のホタルが飛んでいて ここ

一ヶ月はホタルの飛び交う一帯となるのだが ここの住人として、春先に

なるとウグイスがやってきてくれる。いろんな雑誌で その鳴き声を学習

する様子が季節の各種本に掲載されていて 笑いながら読む事も多い。

 我が家でジックリ鳥の鳴き声を聴くなんて芸当は昨年以来の事。それまで

は 朝出かける時や 何かの用で自宅に帰った時にふと聴くホーホケキョと

いう声に 「 おっ また 来てくれたか。ありがとね。ゆっくり していってよ

 」と声は掛けながらも じっくりと 聴いた事はなかった。


昨日の事 日々の行事の掃除機かけを( これも 昨年からの ありがたい

習慣 )していたら ホーホケキョ が聞こえてきた。

で ふと 去年の今頃を思い出した次第。その時と同じ彼かどうかは不明。

熱心な方は 望遠鏡で姿形を確認されたりしているようだが 僕にはそれ

だけの準備はしていなかったから ただ感覚として確信するだけ。

当時 高校三年だつた末娘と一緒に笑いながら聴いた記憶から学校が休み

の日であったろう。 梅ノ木で唐突に そして妙に甲高い声で鳴き始めた。

 これが まだ幼い 旅立ち間近の子供のようで ホーホケキョ にならない

のである。  ホーほっ・・・ケキョ  ホーほー・・・ケキョ・・ケッ  思い出し

ながら今も笑ってしまう。実は このとき、 娘と二人で 声を出して笑って

しまい この彼が逃げてしまったのである。 「 アッ 」と二人とも 青ざめ

たが これはもう 謝ってひたすら待つしかない。「 ゴメン。ごめんね。 もう 

笑ったりしないから また 来て頂戴よ。」と 二人で 逃げた方に向かって

呼びかけたが ものすごく不安だった。

北の国からでも 驚かせたキタキツネが 長い期間 帰ってこなかったり

したシーンを観ていたし 後悔なんとやらで 翌朝まで なんともかんとも

長かった事。星飛雄馬の消える魔球がキャッチャーミットに届くまでのごとし。


で これがまた 翌朝、来てくれたのである。 今度は 万難を排して お声を

承る・・・いや拝聴する・・・。  やっぱり 笑ってしまった。ただし 我が家の

裏手に移動して・・・・ 勿論、小声で・・。

ホーホー・・・ケッ・・ケッキョ   ホーホー ケッ の繰り返し。こいつは なにか

食物連鎖か何かでくちばしに 異常があるのでは・・・。あるいは 鳴き真似が

へたで 自習してこいと おとっつぁん と おっかさんに 放り出された可愛

そうなやつかも知れないと おおきなお世話。

 

現金なもので 緊張の三日か四日が過ぎた頃には もう こちらも お姿を

お待ちする心がけから姿勢までが失せてしまい  そういえば あのウグイス

は・・・・と思い出したのは もう 夏が過ぎ 秋の頃だった。


で昨日。この ケキョ 君の声が またわが耳に届けられたのである。ただ

それが 妙に低い声で。ものすごく自信のある なんというか まるであたりを

睥睨しているかごとくに。・・・・ホーホケキョ・・・・・。「 あっ あいつだ 」

「 いやー お帰り。元気そうじゃね。彼女は見つかった? 」と毎度まいどの

お世話焼き。掃除機をとめて ハッキリと 声のする辺りに向かって

それなりの声で話しかけたが 微動だにしない。たいしたものだ。

「 僕も お陰で元気になったよ。また長い付き合いをたのむね。 」としゃべる

途中から こちらを無視して ホー と歌いはじめた。

命はすべて繋がっている。

みんな違って みんないい、あらためて みすずさんの詩を思い浮かべた。  


92. ホタル 続き

昨日無事に ホタル君たちが 我社の少し下流のエリアで登場してくれた

事は すでに報告いたしました。          付け加えますと

一昨日 渋木地区ではホタルがまだだ、と「 90 」で書いちゃいましたが

その日 旅行誌 じゃらん の企画で宿泊された方が 駄目もと でいいから

とにかくつれて行って欲しいと熱望されて 一応 今年初めての ホタルバス

を出したとの事でした。  ありがたい事に 3, 4匹飛んでいたとの事で

無事に役目を済ませていてくれました。 ご案内のように 23時頃に

なりますと 彼らの睡眠時間らしくて 明滅の数が グッと減ってしまいます。

私が その日に巡回したときには すでに 全ホタルが寝入っていた様です。

とにもかくにも 今年の ホタルシーズン がスタートしました。

 ホンの3から4週間ほどですが しばし 光の宴をお楽しみ下さい。


91. 出ました 出ました。ホタル君。

今 平成19年5月23日 20時10分です。

待望のホタルが出てくれました。

まだ5から 6匹ほどですが もう少し時間が遅くなると増えるかも・・・・。

昨日の彼が呼んでくれたのかもしれません。

本当にうれしいです。 とにもかくにも 報告まで。


90. お昼のホタル

昨日は 周南市で 県の旅館生活衛生同業組合の総会に出席しました。

懇親会に出席した後で ( 思えば よく ココまで運転出来るようになったよ

なぁ )と自分に感謝しながら サリトテ 道中に以前以上に休憩が必要で 

あちこちのSAに寄りながら 22時頃に長門市の最南の渋木地区に差し

掛かりました。

この地区の旧道が 時期になると ホタル わんさか 街道になるわけでして 

ひょっとしてと寄り道をして 二箇所ばかりは車から降りて 様子を伺いました

が 残念ながら 気配を感じられませんでした。

あせっても仕方ないと 我が家に帰り 妻に言いましたら 「 それがね、今日

のお昼にね、」と話し始めてくれました。

玄関周りのお花に水をあげていたら 自動ドアに ホタルがいたのよ、との事。

たった一匹だったけれど もうじきご休憩のお客さまが出られる時間で 

万が一踏まれたりしたら大変だと 手にとって フロントの皆と鑑賞したとの事。

何回か話をした 井出ラッキョさんの友人の 木曽君が 毎年ホタル祭りを

開催する豊田町の出身で これは オスで メスはこれこれで、等と ウンチク

を披露してくれたとのこと。


以前( かなり 前になりますが ) さだまさしさんのコンサートで 

ボタン雪の落ちる速さと 桜が散る速さ そして このホタルが飛ぶスピードが

ほぼ一緒で わたしたちは この秒速何メートルだったかの世界に惹かれる民

らしいと、聞いた事がある。

また ぼーんやり 点いて ボンヤリ消えるのは 日本のホタルだけで 

フィリピンあるいは米国の仲間は 全部が一斉に点いたり 消えたり とか 

一匹一匹のオンオフがはっきりしているという話も聞いた。それぞれの国柄で 

そんなに違うものなのなのかと笑ってしまった。いや これは どこかの高校の 

ホタル研究会の生徒から聞かれたものを話されたのだったかもしれない。

間違っていたらごめんなさい。


そのホタル君( どんな組織にも存在する 以前の僕のような トッポイ奴だった

のかもしれないが・・・ )は まもなく 多くの仲間が生まれるであろう 我社の

前の音信川・・おとづれがわ・・・下流の河原に逃がしたらしいが 昨日は気分が

乗らなかったのか お出ましにならなかった訳である。


今晩もまた散策してみます。 


89. だいだいの花 に行きました。今日もいい天気です。

毎日 ホタルはまだかと 探しているのですが まだみたいです。

必ず すぐにご案内いたします。

先日 だいだいの花 という喫茶店というか 素敵な団欒のできるお店に

行きました。

油谷町( 現在は 長門市油谷ですが )で大津酒造をされている湊さんと

言われる方がオーナーで 昨年オープンされた事を聞きながら なかなか

行けなかったのです。 あるところで 我社のホームページに 萩焼体験教室

の「 先生 」として登場していただいている「 同級生 」の萩焼作家、金本君

とそのお友達に( 男性です。念のため )合って 丁度オーナーもおられ

たんで おいでよ、という一言に 「 はいっ 」と二つ返事。  以前一度娘と

行こうとしたのに道に迷いウロウロするうちに 帰る時間になって、残念に

思っていたから いい機会でした。

結果 やはり 男ばかりが三人で行くにはもったいない。素敵な人や愛する

ファミリーなんかと ボンヤリゆったり 心の遊びのためにいくべきだと感じ

ました。

目の前にダムがあり 雰囲気としては 湯原温泉のようで 残念ながら今は

回っていない水車がポツリ。これも絵になります。タニシが一杯の川に 昨年は

4、5匹のホタルが飛んでいたそうです。  なかなか見ることのない お店の中

にある池、 本物の池です、造り酒屋さんだけあってふんだんなおいしい水が

あふれる楽しいスペース。中にはハヤやドロバエ他数種類の川魚が泳いで

います。 時には湊先輩の 「 えさやりショー 」( 勝手に僕がつけました )が

楽しめる様です。

 我社もフロントの一角に 目の前を流れる 音信川にいる モロコ おかまつ

バエ ハヤの赤ちゃん や 珍しいものでは ヨツメと呼んでいた オヤニラミ等

を水槽に入れて鑑賞していただいています。熱帯魚なんかと違い 川で育った

人等には特に喜ばれています。 中には 「 あれ、四つめ じゃないか。

なっつかしいなー」と オーバーでもなんでもなく 一時間くらい じっと 見入って

いらっしゃる方もあるんですよ。 キレイな水と魚がいるだけで 心が ホッカリ

するものなんですね。


近いうちに わが素敵なパートナーと だいだいの花 に行ってきます。 

 

88. お別れ


昨日 岡藤組のというか 油谷湾温泉 ホテル楊貴館の会長のご葬儀に

参列してきました。一年前の五月の末に退院してきた僕が 我が家で留守番

を始めてじきの頃 個人的にも 大変お世話になっていた同館の 岡藤和治

社長が急な病でなくなられた。そのお父上でした。先輩とは年も僕の少し上

ではあり本当に気さくな先輩で 僕のすぐ次の 大津高校のPTAの会長を

引き受けてもらったり Jのつく全国組織に入会してすぐの僕に その会員

ブロック大会で 司会をやれ、とありがたい体験をさせて頂いたり 心に残る

いい先輩であった。  ご本人のご葬儀には 僕の状況から 出席は叶わな

かったので 今回は是非ともと出させていただいた。

弔辞の最後に 会長の三人のお孫さんが挨拶された。その最後の挨拶に

たったご長男が 「 今日僕が着ている この服は 来月の父の一周忌の

ために作ってもらった喪服です。祖父の為に着ることになるとは 思いも

しませんでした。祖父と父と僕 皆が辰年生まれで 子供のころから 

『 運が強いぞ 』と言われていたのに 一年たたない間に 僕ひとりだけの

辰になってしまいました。でも これから精一杯頑張って きっと 昇り竜 に

なって見せます。おじいちゃん、しばらく お父さんといっしょにいて 見守って

いてください 」と 今年大学一年になったばかりとは思えない素晴らしい

挨拶に、涙がしばし 止まらなかった。

このご長男 僕の末娘と同級生で この春 山大の同じ学部を受験であった。

学校の事にあまり詳しくない僕が 彼のお母さん( つまり先輩の奥様 )を

駐車場でみつけて挨拶した後の車内で 「 へーっ。岡藤君もココなのか 」

と聞いたら娘の言う事には「 そうなんよ。岡藤君はすごく優秀で 広島大学

でも大丈夫って 言われてるのに 多分 お父さんの事があったせいか、山大

希望 なのよね。本当に 優秀な人には 広大でも 九大でも 行ってもらうと

微妙なラインにいる私たちには ありがたいんだけれど・・・・ 」との返事。

結局 彼は合格し 娘は なんのシコリもなく福岡に行くことになったが、

先輩の事 家族の事 この現世に残してもらう事になったわが命の事、

いろいろアレコレ考えさせられた午後でした。  


87. なるべく使用しないつもりの言葉

いろいろな雑誌や新聞の片隅で エッセイとか各種の感想なんかを読んで

いて「 なるほど 」と納得してなるべく使わなくなった言葉がある。

今では誰が書かれていたのかは不明である。

学生時代からあまり趣味を持たない僕にとってすこぶる便利であったのが 

読書という趣味。

強いて読んだ本もなかった頃から 何かにつけ これを拝借していた。ある時に

「 人として生まれた以上 読書というものは死ぬまで し続けなければ

ならない大切な事であって それを趣味の範疇に入れるべきではないと思う。

 」という一言に出会って使用をやめた。


もう一つが 「 皆様のご多幸をお祈りいたします 」という 祈り という言葉。 

「 しゃべったり 書いているその時だけ たとえ ・・思う・・事は出来たに

しても なかなか 祈る、ましてや 祈り続ける事はなかなか出来るものじゃ

ないし、そんな軽い作業であってはならないはず 」という文章に出会って

からは ふいと しゃべりかけては そのすでに忘れたその作者から 「 本当

だろうな 」と、じっと見つめられているような気がして よほどの時以外、使わ

なくなった。

僕の気が弱すぎるのかどうか どう思われますか。 前章やずっと以前に

「 ご冥福を お祈りします。」を使わないと言ったのは そんな理由から

なのでした。


86. アイディアマンとのお別れ

このブログにも時々登場頂いていた 上野和平 先輩が亡くなられて一昨日

ご葬儀がありました。

湯本温泉の名刹 大寧寺の桜や紅葉のライトアップ こいのぼりの音信川

への川流し 第一日曜の夜市「 じゃらんじゃらん 」の命名者。その他 

様々な湯本での企画に積極的に取り組んでいただき 中々のアイディアマン

で僕たちも随分刺激を頂いていた方でしたので 本当に残念でなりません。

年が6才も離れていたので 学生時代の直接の思い出はありませんが 僕が

24才でこちらに帰ってからは スナック ポッパ のひげのマスターとして 

長く楽しいお付き合いを頂いてました。

ある年の 湯本温泉納涼盆踊り大会での準備の最中の事、手伝いはしたい

ものの要領が悪くて 長い電線のコードを足で踏んだり けつまずいたりして

結果 周りにご迷惑をおかけする事の多い僕らのグループをみていて 

「 ええか 俺が水高で習った言葉を 教えてやる。『 おまえら手伝わんで

( 手伝いをしなくて )いいから 邪魔をするな 』じゃ。ええか、わかったか?」

これには しばし内容を理解する時間が少しあり すぐに「 なるほど 」と 

回りも大笑い。  その少し後で 先輩に 「 善意で取り組んでいる者にとって

は 笑えるものの 少し ショックな言葉ですねぇ 」と反論こめて話をしたら 

「 そうじゃろ、そうじゃろ。高校時代に 甲板掃除やいろんな場所で何回これを

言われたやら 」と思い出を話してくださった。それ以来 各種行事で後輩が

( やる気はあるのに )失敗したりすると 「 昔むかし 上野さんから僕も 

言われたんだけれど 」と前置きしてこの一言を教えてあげると 必ず皆で

笑えた。

いろいろな組織で時々見かける、手伝いもせずに ああだ こうだ と意見

される方と違い とりあえず各行事に参加なり 手伝いをされた上で ああ思う 

こうすべきだと意見を言われるから たまに 言葉の行き違いで 激しい応酬が

あったとしても検討に値する意見も多くて 湯本にとって とても大事な人と

とらえていたのに 返す返すも残念でなりません。


前にも書きましたが ご冥福をお祈りします、なんて言いません。

これからは 湯本温泉の上空に吹く おおいなる応援団の風になって 僕らや

後輩たちのバックアップをお願い致します。 

長い間 お世話になりました。ありがとう ございました。


85. 小学校の頃の道草とコーラとの出会い

一昨日 湯本の道をぶらぶらと散策しながら 子供の頃を思い出して

いました。

小学校を出るまで比較的に やんちゃ、ではなかった僕でさえも 行き帰りの

道草は毎度の事で、田んぼや畑を走り回っていた。「 陣地 」つくりは 造ら

れて招かれるばかりで 製作時に 誘われた事がない。何でだろう。


夏休みは 毎日朝からそれこそ夕方まで、川で遊びながら 時には先輩から 

足を引っ張られながら自然と泳ぎを覚えたものです。今 大谷山荘さんのある

少し上流のところが遊泳 可 の場所でした。お昼になったら御飯を食べに

一度は帰り、すぐに自転車を飛ばして 泳ぎ再開。 秋には お米を取られた

稲を円柱形に積み上げた 僕たちは トシャク と呼んでいたが そんな

代物が田んぼのあちらこちらに現れて 格好のあそび道具になっていた。

ある時の下校の最中に野いちごをほおばりながら帰っていると 前を

歩いていた先輩に追いついて「 どこそこの野いちごは さっき ・・・君が

オシッコしてたから食うなよ。 」とキツイ忠告。 吐き出して 近くの小川の

水で口を漱いだものの何となくおなか具合が変になり しばらくグルグル音が

しながらも そのうち別の遊びで忘れてしまったこともある。僕はそれ以来、 

今の白木屋グランドホテルさんが建っているあたりにあった 美味そうな

さくらんぼや(  たとえ それが とてもオシッコの届かない高いところにあった

としても ) すいかが実っていても 手を出さなくなったが・・・・、友達は

相変わらず 匍匐前進でスイカ畑に侵入し 小さな穴を開けてストロー

で中身を吸い取ったりしていた。あの頃は、少々な事では 誰一人として 

下痢したり ましてや 病院で点滴なんて一切なかった。少しの傷は全部 

赤チンか 汚く思われる向きもあろうが ツバ つまり 唾液で直っていた。


妙に覚えているのが 小学3か4年頃、近くの旅館に コーラという飲み物が

入ってきて なかなか美味いらしい。同級生にも ひとり二人と親戚で飲んだ

とか、薬みたいで吐き出した、とかいううわさばかりが耳に入り うちには

まだかと焦りながら心待ちにしていた時期がある。 夏休みだったと思うが 

水遊びから帰ってふと帳場( 前出 )横の冷蔵庫を開けると 見たこともない

入れ物に 黒い液体が入っている。多分 これだと わくわくしながらセンを抜く。

容器を口に当てて 一気に流し込もうとしたが のどをスムーズに通過しない。

空を向いていたビンの底を あわてて 元に戻し なーんだ まずいなぁ と

また 冷蔵庫に戻した事。しばらく後には かなりのファンになってしまったが。

なつかしい思い出の一部である。

84. ホッホッ ホータルはまだか

ホタルの問合せが随分と入るようになりました。

残念ながら まだ 早いみたいです。観たという話も聞かないけれど 

とりあえず歩いて見ようかと 昨夜 散策しましたが それらしき 兆候も

ありませんでした。

途中でふと 住吉神社から わき道をして 小学校の頃に道草していた小道

を 探しながら歩きましたが いろいろ思い出しますね。 僕は 小さい頃から

大人から見て いい子でありたい というか いい子でなくてはならないものだと

思い込んで いや 思い込まされたりしていたから ロペのマスターと違って 

( イヤ ナニ マスター すまん ) あまりワンパクな行動派ではなかったが 

それでも 池の上に伸びた柿の木の枝になった柿を取ろうとして 柿ノ木が

あんなに折れやすいとはつゆ知らず、手を伸ばして 「 やったー 取ったー 」

と叫んだとたん 枝が根元から ポッキリ折れて その枝を両手に持ったまま 

池にドブンと落っこちたり 落とし穴を作って 場所が分からなくなり その穴に

落っこちたりして友達から笑われた 広っぱを発見したりして  思わず 楽しい

時間を過ごしました。

 

また ホタルの話が耳に入ったり 直接に観たりしましたら 報告いたします。

どうぞ お楽しみに。