コバマス88期卒、心屋認定カウンセラー

経産婦だけどアイドル担当ピンクハート

葉月あかりです照れ





ブログの記事からでは私が心屋に辿りついた

経緯などが見えにくいかなと思ったので、

自己紹介として過去のことを簡単に書いてみます。

 

長いですが読んで頂けたら嬉しいです(о´∀`о)

 

 

 

 

 

思い返せば保育園の頃から、私は本来の自分とは

違う「役目」としての自分を生きていたと思います。

 

 

4月生まれで高身長。

 

 

そんな要素から保育士さんたちは私に同学年内での

「お姉さん」を求めているように感じていました。

 

 

そこに母の性格が加わって、ややこしいことになります。

 

 

 

今でも母は誇らしげに言います。

 

 

「あんたは1歳ですぐにオムツが取れたから楽だったわ」と。

 

 

さすがに1歳で空気をよんだわけでは

ありませんが(笑)何でも「人より早い」

「人よりできる」を自慢に思う私の母。

 

 

その期待に応えようとした私は大きくなるにつれて

どんどん苦しくなり、自分というものを

見失っていきました。

 

 

 

保育園時代に同学年での「お姉さん的存在」に定着してしまった私。

 

 

小学校でもやはり役目は同じ。

 

 

さらには社会人になっても役目が同じでした。

 

 

 

よく言われたことは

「あなたがリーダーになって引っ張ってあげてね」

「みんなのことを見てあげてくれる?」

 

 

頼りにされることを喜べたらよかったのですが、

私にとっては常にプレッシャーでした。

 

 

 

自分の価値観を押しつける両親のもとで育ち、

自己肯定感が低かった私は、中学生のときに

病気で親友を失ったことから死への考え方が

ぐちゃぐちゃになり、自傷行為を

繰り返すようになりました。

 

 

生きるために自分を傷つける。

 

 

約20年もの間、真剣にそう思っていました。

(今ではただの死ぬ死ぬ詐欺だと思えます!笑)

 

 

 

自己肯定感の低さから恋愛もまったく上手くいかず、

10代の頃はとにかく続かない!(付き合うのは3か月が多かった)

 

 

20代になるとダメンズにひっかかるように、、、

 

 

会社をすぐ辞める

転職先がキャバクラ

借金

浮気

二股

不倫

 

同棲までしているのに親に絶対会わせてもらえない、

なんてのもありました。

 

 

 

幼い頃のトラウマ(そのときのことはコチラ

から自分の性に対する考え方が歪んでいたことも

恋愛が上手くいかなかった要因だと思います。

 

 

とにかく、うちの旦那くんに出会うまでの

私は散々でした。(これはまた別でいつか

ブログに書こうと思っています)

 

 

 

恋愛以外のことだと、私はずっと疎外感を感じている人でした。

 

 

学生時代はとにかく「みんなの中にいても

疎外感を拭えない」というのが強かったと思います。

 

 

人との付き合い方がとても下手だったなぁ、と

今は思います。

 

 

 

そんな私が変わる大きなキッカケとなったのが

実家を出たことです。(そのときのことはコチラ

 

 

そこから人生が動きはじめ、徐々に私は変わっていきました。

 

 

 

 

文字通りのトライ&エラーを繰り返し、

エラーの度に自傷行為をするし、

恋愛も相変わらず上手くいかない。

 

 

新卒で入った会社は10か月で辞め、

ふらふらした挙句キャバ嬢になり、数年後に

昼職へ戻ってもほぼ1年で辞めて転職を繰り返す!

 

 

この頃に精神のお医者さんに何軒かお世話になり、

鬱など数種類の診断をもらいました。

 

 

というのを見ると、とても幸せそうでは

ないですが(笑)実家を出てからの私は

自分に「自由を許可」してあげられるようになり、

多くの仲間に囲まれる人間になりました。

 

 

 

そして恋愛を諦めて捨ててみたら、旦那くんと

付き合い、結婚することになりました!

(ちなみに、付き合ってる頃にナイナイアンサーを

2人で見てて、ぢんさんのファンになりました)

 

 

 

旦那くんと結婚してからは自傷行為もどんどん減り、

やりたくない仕事は辞めてのんびりパート生活で

楽しく生きていたのですが、

待望の息子を産んだ後に落とし穴がありました。

 

 

もともとのクソ真面目な性格や、私が勝手に

持っていた「べき」、元来の情緒不安定さが

相まって、見事な産後鬱状態になりました。

(そのときのことはコチラ)

 

 

息子の泣き声を聞きたくなくて、ベビーベッドを

ダンボールで覆ったこともありました。

 

 

息子と2人になるのが怖くて、旦那くんに

「明日は仕事を休んでほしい」と

懇願したこともありました。

 

 

私が死んだ方がこの子は幸せかもしれないと

考えたり、本気で乳児院へ預けようと調べたり

したこともあります。

 

 

 

そこで私を助けてくれたのはアメブロ内の

「子育てブログ」でした。

 

 

そして、ひょんなことからぢんさん

(心屋仁之助さん)の名前を見て

心屋へ入信しました(笑)

 

 

 

 

全てを書こうとするちょっとした小説に

なってしまうので(笑)この自己紹介でなにか

引っかかった方はぜひ!

私に直接会いに来て下さいねルンルン