時の経つのは速いものである。

 

叔母が亡くなって、ちょうど1ヶ月になる。

 

亡くなったことを知ったのは、亡くなった2日後だった。

 

実家から再三着信があったものの、

その度にタイミングが合わず、

かけなおそう、かけなおそう、と思っていた挙句だ。

 

血縁との別れは、何年振りだろう。

何年振り、とか考えてしまうところが、なんとも不謹慎この上なく、

自分を情けなく思う。

 

人の死に触れると、

妙に哲学的に、宗教的になるのは、なぜだろう。

思えば、叔母が亡くなる前夜、

私は突如として体調不良に陥った。

虫の知らせ、というものなのかもしれない。

その後体調はおもわしくなく、

叔母の訃報を聞いて、妙に納得してしまったのだ。

 

 

叔母は、生涯独身だった。

母の妹。三姉妹の真ん中で、

背が高く、ショートカットが似合って、美しかった。

三姉妹が集まると、花が咲いたように賑やかで、

ああ、これが姦しいというものか、と子ども心に思ったものだ。

 

幼い頃、私にいろいろなことを教えてくれた。

楽園って、あると思う?

あるとしたら、どんな世界だと思う?

私は、自然がいっぱいで、野生動物が自由に暮らすところ、

と答えた。

じゃあ、絵にかいてみようか。

と、私を自由にさせ、その絵を嬉しそうに褒めてくれた。

祖母と同じ左利きで、料理も上手だった。

 

ある時、

人は死ぬと、どうなると思う?

と尋ねられた。

私は、天国に行く、と答えた。

叔母は否定した。

ううん。人は死ぬと、無になる。なんにも無くなるの。

と。

楽園の記憶があったから、私はその答えが意外だった。

そうか…体も魂も、なんにも無くなるのか…

 

だから、

私が体調を悪くしたのは、葬儀にもお別れの会にも行けなった、

不孝者の私を恨んでのことではない。

何かを教えてくれたのかもしれない。

なるべく早く、健康診断に行こうと思う。

 

叔母は、アナウンサーになりたい、と言った私を、応援してくれた。

私もアナウンサーになりたかったのよ!と。

叔母が捧げた人生の理由を、詳しくは知らない。

不幸には全く見えなかったけれど、

何か辛いことがあったからではないか、という直感があって、

尋ねたことはなかったし、母からも聞いたことはない。

 

 

なぜ一度でも会いに行かなかったのだろう、という後悔がある。

単純に、怖かったのだ。

なんて声をかけたらいいか、分からなくて。

 

脳腫瘍だった。

自ら探したという名医による執刀で、

最後まで体は元気だったと聞く。

元気に動くための選択。余命1年宣告だった。

 

 

時の経つのは速いものである。

 

本人は無になったのかもしれないけれど、

生きている私たちの中では、

全く無になどなっていない。

先生は、嘘をつかない。

昨年2月末、
「出て来られるのはこれで最後かもしれない」
なんて言うから、
前日に知った東京新宿でのランチに、
青森から飛んで行った。

それが本当になった。

訃報を知った昨夜は全く眠れなかった。
今日通夜、
明日告別式。
告別式に、またも青森から東京へ、日帰りで行くつもりだった。
が、家族葬だと知った。遺言だそうだ。

明日は遠慮することにした。
今になって、文字通り睡魔が襲ってきている。
今夜は何も考えず、眠れるだろうか。

「出て来られるのはこれで最後かもしれない」
なんて、冗談だと思っていた。
百歩譲って、それは先生の真実であって、事実ではないと思っていた。

事実と真実は違う、
と教えてくれたのは、先生のアナウンス実習でだった。
事実はひとつ、真実は人の見方や立場によって違う、と。
そして私は先生のゼミ生となった。

先生は的確に事実を捉えていたということか。

先生、頭が下がります。
今の私は八方塞がりで、何もかもが上手くいかなくて、人生諦めかけていて…
そんな時、届いた先生の訃報。
全てが吹き飛びました。

初心。
私のすべき事に、腹をくくれました。

いつもよい評価をくださり、アドバイスを与え、
私にやる気と自信をくれた、かけがえのない先生。
間違いなく、恩師です。

新堀俊明先生 享年84歳。
心よりご冥福をお祈りいたします。
11月16日(木)、初雪。

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温泉とスキー場で有名な大鰐町で。

これだけでも、あー、雪降っちゃったー、
と思うのに、

今日、一気に積もりました。

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こちら青森市。
午後2時現在で、積雪30cmだって。

子どもは雪が降ると、どうしてこうウキウキするのでしょう。

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雪かきのお手伝いをしたくて、慌てて身支度。
帽子のかわりに、
ウサギの被り物…

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初雪の日、
車の助手席に乗って、
「わー!海みたーい!」
とケタケタ笑って興奮していた息子。
フロントガラスに向かってくる雪が、
イワシか何かの大群に見えたらしい。

純粋な感性を、
言葉でも字でも絵でも音楽でも写真でも映像でもなんでもいい、
表現するすべを見つけて欲しいと切に願う、
保育園生活最後の冬。
菊谷 栄。

青森市出身。

劇作家。

青森市の青森県近代文学館(青森県立図書館2階)で、その脚本の数々を見ることができます。

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本当は画家になりたかった菊谷。

美大(当時の日本大学法文学部美学科、現在の日本大学芸術学部)で学んでいたこともあり、
見事な絵画の数々も、展示されています。

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この、印象的な肖像画は、自画像。

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なぜ、劇作家になったのか。

そのあたりは、この菊谷栄展をご覧いただけばもちちろん分かるのですが、
出会いも大きいですね。

画家を目指して青森から上京、エノケンこと、榎本健一と出会い、背景画を描くことに。
そして作家(脚本家)に。

慶応などの受験に失敗し、日芸に入ったらしい。
このあたりは、今も昔も変わらない日芸らしさかな、と頬が緩んでしまった。
だから日芸生は面白い。

その日芸出身の三谷幸喜氏は、
菊谷栄をモデルに「笑の大学」をかいた。
今年、倉本聰氏がえがいた「やすらぎの郷」の主人公・脚本家の菊村栄は、菊谷がモチーフではないか、と言われているとか。

展示の脚本の中には、聞いたことのある作品も。
そんなんすごい脚本家が、青森にいたとは。

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そして、売れっ子全盛期の80年前、この世を去ります。

なぜか。

日中戦争に出征しての戦死でした。

戦争を知らない、わからない世代が増えています。
戦争体験を語って聞かせる世代も減りつつあります。
祖母が口癖のように語った戦争体験。
戦中生まれの父は、語りたくもないほど辛い時代だったようです。

戦争は、等しく誰もにふりかかる。
才能のあるなしなど関係なく。
恐ろしいものです。
私は、恐ろしいものを体験した人から直接話を聞くことができた、ギリギリの世代なのかもしれない。

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テレビの力ってなんたろう、自分にできることってなんだろう、

全力で生きた人たちの作品から、考えさせられるものがありました。

本日、11月9日、菊谷栄命日。

小説は読みかけて置いておくことができるけれと、舞台はそれでは客が帰ってしまう。
いかに飽きさせず舞台に釘付けにさせるか、
だから小説より脚本のほうが大変なんだ、
と菊谷は言ったらしい。

小説と脚本の違いが、初めて分かったような気がします。

青森出身の文豪、太宰治とも交流があり、
太宰は20人以上から借金をしていた中、
菊谷にだけはお金を返したそうですよ。

そんな貴重な太宰からの葉書も展示されています。

菊谷栄展
2018年1月14日(日)まで開催。
めったに素足にはなりません。

何故なら、寒がりだから。

でも、今年の青森は暑い。

何年か振り⁉️の、素足&サンダルに。

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サンダル履くなら、ネイルも。

手指は派手にしないぶん、足先は冒険できる!

マニキュア(ペディキュア)に見えて、実は、

ネイルシール

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服の水玉に合わせてみました♪

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このネイルシール、ほんと貼るだけ!

はみ出した部分は爪切りで切ればよし。

もちを良くしたければ、トップコートを塗ってもよし。
ということは、塗らなくてもよし。

手軽♪

が、

ひとつ問題が。

それは ワンピース のほう。

麻混のTシャツ記事に、キュプラ の生地がドッキング。

水洗いしちゃダメ、という選択表示がある。

洗濯機で洗いたい…