菊谷 栄。
青森市出身。
劇作家。
青森市の青森県近代文学館(青森県立図書館2階)で、その脚本の数々を見ることができます。
美大(当時の日本大学法文学部美学科、現在の日本大学芸術学部)で学んでいたこともあり、
見事な絵画の数々も、展示されています。
そのあたりは、この菊谷栄展をご覧いただけばもちちろん分かるのですが、
出会いも大きいですね。
画家を目指して青森から上京、エノケンこと、榎本健一と出会い、背景画を描くことに。
そして作家(脚本家)に。
慶応などの受験に失敗し、日芸に入ったらしい。
このあたりは、今も昔も変わらない日芸らしさかな、と頬が緩んでしまった。
だから日芸生は面白い。
その日芸出身の三谷幸喜氏は、
菊谷栄をモデルに「笑の大学」をかいた。
今年、倉本聰氏がえがいた「やすらぎの郷」の主人公・脚本家の菊村栄は、菊谷がモチーフではないか、と言われているとか。
展示の脚本の中には、聞いたことのある作品も。
そんなんすごい脚本家が、青森にいたとは。
なぜか。
日中戦争に出征しての戦死でした。
戦争を知らない、わからない世代が増えています。
戦争体験を語って聞かせる世代も減りつつあります。
祖母が口癖のように語った戦争体験。
戦中生まれの父は、語りたくもないほど辛い時代だったようです。
戦争は、等しく誰もにふりかかる。
才能のあるなしなど関係なく。
恐ろしいものです。
私は、恐ろしいものを体験した人から直接話を聞くことができた、ギリギリの世代なのかもしれない。
全力で生きた人たちの作品から、考えさせられるものがありました。
本日、11月9日、菊谷栄命日。
小説は読みかけて置いておくことができるけれと、舞台はそれでは客が帰ってしまう。
いかに飽きさせず舞台に釘付けにさせるか、
だから小説より脚本のほうが大変なんだ、
と菊谷は言ったらしい。
小説と脚本の違いが、初めて分かったような気がします。
青森出身の文豪、太宰治とも交流があり、
太宰は20人以上から借金をしていた中、
菊谷にだけはお金を返したそうですよ。
そんな貴重な太宰からの葉書も展示されています。
菊谷栄展
2018年1月14日(日)まで開催。