認知症母亡くなる | アラカン女子の家トレの日常!!

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このままでは20年後は寝たきりになってしまうかもしれない。そんな危機感を強く抱いたヨレヨレのアラカンが意を決して筋トレに励みます!!職業:介護士

さすがに葬儀の日は

筋トレお休み、

しっかり喪主を

努めてまいりました、

宅トレアラカン女子

チミンです。

 

10年に及ぶ

実母の認知症の

サポートをしてきました。

 

猫との暮らしを守って

あげたくて

なんとか自宅で暮らせるよう

デイの方やケアマネに

協力していただいて

要介護3になっても

独居でした。

 

歩き方がおぼつかなくなり

転倒リスクが上がり

ぎりぎりまで踏ん張りましたが

施設に入ってもらったんです。

 

わずか1か月半ほど

そこで暮らしただけで

ある朝脳梗塞で

朦朧として

トイレに座る母を

夜勤さんが発見してくださり

救急搬送。

 

急性期病院からの

リハビリ病院からの

看取りの病院と

自宅で介護できないばかりに

病院で死を迎えることに

なってしまいました。


誤嚥性肺炎を繰り返すごとに

衰弱してしまい

食事が経口摂取

できなくなってからは

坂道を転がり落ちるように

状態が悪くなって

行きました。

 

ドクターからは

炎症や血液・尿の

数値が悪い時、

栄養がしっかり取れていれば

改善の可能性もあるが

栄養が入っていかないとなると

治りようがない。

 

延命はしないと言われて

いたけれど、

医療が関わっている

状況ではみすみす

餓死させるわけにもいかない、

経鼻経管栄養もしくは

胃ろうの許可を

家族さんから頂きたいと。

 

医療が関わるというのは

死に方を選べないことに

等しいのでありますね。

 

鼻から胃へ直接栄養を

送る処置にしてもらって

1か月ほどで

亡くなりました。

 

3か月前看取りの病院に

移ってきた当初は

まだ子供(私たち)の名前を

呼ぶことができたけれど

早くも1か月ほどで

まったく分からなく

なってしまって。

 

いまだに病院は

1週間に1度15分という

面会に制限があり

仕事していると週末しか

会いに行けず。

 

うつろな目で何も

分からない状態になって

ただ生きているだけの

ような状態になっていて

それでも生かされていて。

 

元気なころの母が見たら

管を抜いて〇〇してくれと

いうんじゃないだろうかと

何度思ったかしれません。

 

毒親で褒めてもらったことも

優しい言葉をかけてもらった

記憶もないけれど

どんな状態であれ

生きていてくれることが

私を支えていたのだと

今になって思う。

 

今、心にぽっかり

穴があいてしまったような

そんな感じです。

 

しかしやれることは

やってきたので

姉妹で落ち着いて

見送ることができたと

思います。

 

亡くなってからは

悲しみに暮れる暇なく

葬儀の段取り、

保険証等の返還、

年金やら生命保険やら

相続関係、

実家の後始末など

やること目白押し。

 

12月末には納骨と

父の改葬・墓じまい、

来年早々に実家を更地に

するための段取りもあり

ここ3日ほど携帯鳴りっぱなし。

 

人が1人亡くなると

手続きが本当に大変あせる

 

ずぼらなわたしに

全部やり切れるかしら、

不安を抱えながら

1つ1つこなしていっている

感じです。

 

1番の問題は相続でしょうね、

今週中に税理士さんと

面談予定。

 

その他にも問題山積み。

正直しんどいです。

 

でもここに吐き出したら

少し元気出てきました。

 

1人で悶々としても

仕方ありませんね。

 

49日を迎えるまでに

目途をつけたいと思います。

私の生活も早く

通常営業に戻さなければ。

 

がんばれ私真顔

アラカン女子の皆様も

ファイティンメラメラメラメラメラメラ

 

熊しっぽ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊あたま

内ももの弱さが

どうしても克服できないので

これを試してみる予定です!