日本とメキシコ新歴史 | 世界面白ビックリニュース

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メキシコと日本人奴隷


  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000675-yom-soci


  『安土桃山時代末の1597年、日本人が「奴隷」としてメキシコに渡っていたことがわかった。  

  ポルトガル人で同国立エヴォラ大特別研究員ルシオ・デ・ソウザさん(大航海時代史)と、東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(日欧交渉史)がメキシコ国立文書館に残る異端審問記録で確認した。

  「日本人奴隷」の実態を示す貴重な資料であり、日本人の太平洋渡航を詳細に記した最初の資料としても注目さ れる。研究成果は近く海外で出版される予定。

  審問記録には、日本名の記載はないが、名前の後ろに「ハポン(日本)」と明記された、「日本生まれ」の人物の名があった。

  「ガスパール・フェルナンデス」「ミゲル」「ベントゥーラ」の3人で、いずれも男性とみられる。

  ガスパールは豊後(大分県)生まれ。8歳だった1585年、長崎で日本人商人からポルトガル商人のペレスに、奴隷として3年契約7ペソで売られた。

  その 後の詳細は不明だが、引き続きペレスのもとで、料理などの家事労働をしていたとみられる。当時のスペインで、高級オリーブオイル1本が8ペソだった。

  ベントゥーラは来歴不明だが、ミゲルは94年、ポルトガル奴隷商人スペイン領マニラで、ペレスに売った。

  ペレスはマニラ在住時の96年、隠れユダヤ教徒として当局に逮捕され、有罪判決を受けた。次の異端審問のため一家は97年12月、マニラから太平洋航路スペイン領メキシコ・アカプルコに移送された。  

  その審問記録に、ペレスの「奴隷」として3人の名があった。
  ガスパールは審問で、食事内容をはじめとするペレス家の信仰の様子などを証言。

  その後の99年、ベントゥーラと共に、自分たちは奴隷ではないと当局に訴え、1604年に解放された。』


   16世紀のメキシコに日本人奴隷がいた

   衝撃的な事実が、ポルトガル人で同国立エヴォラ大特別研究員ルシオ・デ・ソウザさん(大航海時代史)と、東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(日欧交渉史)の手によって明らかになった。

   当時、メキシコと日本を直接つなぐものはほとんどなかったと思うけど、スペインやポルトガルの国際情勢からメキシコに行ったようだね。

   ヨーロッパのスペインやポルトガルなどがアジアに目を向け始めた時代。
   東南アジアを植民地化し始めていた。

   豊臣秀吉の時代日本人奴隷が多くポルトガル人商人に売られていたのも事実なのだ。それで豊臣秀吉バテレン追放令を発布した歴史がある。

   そして後に豊臣秀吉キリスト教徒を処刑している。処刑された日本26聖人といわれ、カトリックでは聖人になっている。

   あまり知られていないが、その26人の聖人の中にメキシコ人が含まれているのだ。これはメキシコのある教会に絵も描かれている。

  現在のフィリピンが当時スペイン領で、メキシコも当時スペイン領だった事でメキシコ日本人奴隷がいた事に繋がるんだね。

  当時、メキシコヌエバ・エスパーニャと呼ばれていたけど。

  まあ、奴隷ではないとして、1604年に解放されているから良かったのかな?
  彼らはその後メキシコに住んで、最初の日本人子孫を残している可能性があるね。

   僕は1613年の伊達政宗の命を受けた支倉常長一行(慶長遣欧使節)がローマに行く時にメキシコに立ち寄って、その一行の何人かが留まったのがメキシコの最初の日本人ルーツかと思っていたんだけど。


  1613年よりも若干早いという事で、日本とメキシコとつなぐ最初の人物なのかもしれないね、「ガスパール・フェルナンデス」「ミゲル」「ベントゥーラ」の3人は。