今月の6~7日の西日本の豪雨の被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
二週間経った現在でも、連日の猛暑の中、被災場所での撤去作業、食事、住居、上下水道、
交通など大変なご不自由をされております。
特に、拙宅から35km東の岡山県真備町界隈には、このAmebaの投稿テーマとして今年に
数回訪れましたし、備中国分寺や吉備津神社などにはこれまた数回以上通過し、付近の景色などが水没している様をテレビを見て驚きました。
備中吉備津神社には、豪雨の前に行ったばかりでした。
備中国分寺より東5.5Kmで備中板倉宿に至り、更に500m東に備中国の吉備津神社の参道
入口の鳥居にでる。 (写真①)
この参道は、これより約500mの松並木が神社下まで続いて大変風情がある。
① 参道入口
下図は、神社周辺と写真の位置 ①~⑩
参道を進むと神社前に広い駐車場がありそこから吉備中山を見た所で写真②の
中央の山麓に大吉備津彦を主祭神とする吉備津神社の本殿が見える。
②吉備中山
この吉備中山は、平安時代から有名だったようで
① 清少納言は「枕草子」で 山はーーーで 小倉山、三笠山と書き出し「吉備中山」を
あげている。
② また、備中国は、古くより丹波国と交代で大嘗祭の主基の国を務めており、仁明天皇
(833年)の時の大歌所御歌が古今和歌集第20に収められている。
「 まがねふく きびの中山 おびにせる ほそたに川の をとのさやけき 」
なお、万葉集巻第7(1102)に
「大君の三笠の山の 帯にせる 細谷川の 音のさやけき 」
とあり、万葉集の歌を本歌取りしたものか ?!
大嘗祭の歌には、主基の国の特色を献ずるのが恒例で吉備の地名をふくめた!?
神社入口からすぐ急な階段となっており、まず北随神門(国重文、写真③)を通り
総拝殿、拝殿(写真④、⑤ 国宝)に至る。
拝殿と本殿は接続されていて大変めずらしい。
④ 総拝殿
⑤ 拝殿
写真⑥は、本殿を東から見る、本殿は檜皮葺きの屋根で入母屋造を二つ前後に連結
した比翼入母屋造と云われ「吉備津造り」として有名です。 国宝
⑥ 本殿
なお、現在の本殿は応永32年(1425)室町時代の建造です。
本殿の西側には、吉備津神社の摂社を結ぶ回廊が美しい。(写真⑦⑧ 県文化財)
この回廊は、天正7年(1579)に建築され総延長398mあるそうです。
⑦上部より
⑧ 下部より
写真⑧の左に御釜神事が行われる御釜殿(写真⑨国重文)がある。
桃太郎の鬼退治のモデルと云われる、吉備津彦に敗れた鬼(温羅うら)の霊が自分の妻の
阿曽郷の阿曽媛を釜殿で御饌(みけ)を炊(かし)して釜の鳴り方で吉兆を占うよう勧めた
神事が現在も年2回行われている。
⑨ 御釜殿
帰りに今一度、西より拝殿と比翼の本殿をみる。
下の方の木の間に、回廊がすこし見える。 写真⑩
⑩ 西より
< ご参考 >
1、主祭神、大吉備津日子命、若建吉備津日子命で共に第7代孝霊天皇の皇子
相殿、姉の夜麻登登母母曽毘売命ゃ子孫神が祀られている。
(大和の箸墓古墳に眠ると云われる女神)
2、吉備国が備中、備前、備後に分割された後に備前には吉備津彦神社、備後には
吉備津神社が分霊されそれぞれの国の一宮となっている。
但し、延喜式内社(927)はここの備中の吉備津神社のみ。
3、神階
承和14年(847) 従4位下 → 貞観元年(859) 2品
醍醐天皇の御代、名神大社、備前、備中、備後の「3国の一宮」と称す。
天慶の乱の後に1品となる。(940)
4、日本書紀
第10崇神天皇が四人の将軍を4道に派遣した時、西道に吉備津彦を任命したとある。
5、古事記
①第7代孝霊天皇は、子の比古伊佐勢理比古命(大吉備津)と若建吉備津日子命の二人
の兄弟に吉備国を平定させたとある。
②若建吉備津日子命の二人の娘は、第12代景行天皇の后となり姉は日本武尊を生む
③若建吉備津日子命の子の御スキ友耳建日子命と孫の吉備津武彦命は日本武尊の
東征に従軍している。
④吉備津武彦命の娘の姉の吉備六戸武媛は日本武尊の后に、そして妹の兄媛は
第15代応神天皇の後宮にはいっている。
⑤吉備津武命の子孫は、吉備地方に土着して下道臣、上道臣、三野臣、笠臣の先祖
なったと伝える。--奈良時代の右大臣の吉備真備は下道臣から出ている。
以上、古事記では孝霊天皇から応神天皇まで吉備と大和大王家で交流があったことを
伝えている。
前回の吉備の古墳散歩でもご紹介した如く、古代において吉備地方には大きな勢力を
持った豪族がいた事でしょう。(国内4位と10位の巨大古墳がある)
吉備の国が備中、備前、備後、美作の4ヶ国に分割されたのも強い勢力をおそれた
ゆえではないだろうか??!!
⑥ 内陸部でなぜ吉備津 -- 吉備の港 ??
(1) 吉備津彦と温羅の戦いの神話では海だった!?
(2)宮脇俊三氏によれば、この地方は古代は足守川の中流まで瀬戸内海より舟が入り
川でも古代は津と云っていた。
< 参考資料 >
岡山文庫、吉備津神社
山川出版社、岡山県の歴史散歩
河出書房新社、 古事記 & 万葉集
岩波書店、古今和歌集
文春文庫、古代日本七つの謎