梅雨の中休みに吉備路の古墳などを3日間散歩しました。
1)備中国分寺跡から東に約2,000mの所に仁徳天皇陵(525m)応神天皇陵(426m)履中天皇陵
(365m)に次いで墳丘長350mの全国第4位の造山古墳がある。(写真①) ①造山古墳
古代山陽道の北300mにあり綺麗な姿で残っている。
5世紀前半の築造で左が後円部径190m高さ29m頂上部は平坦になっていた。
羽柴秀吉の備中高松城攻めの時に毛利氏方が平坦にして陣地にしたと云う。
右の林のところが前方部になっていいる、現在、周濠は残っていないが約20mの周濠が
推定されている。
造山古墳の南には6基の円墳、方墳、前方後円墳があり陪塚とも云われてる。
下図は今回、散歩しました付近と写真ナンバー位置です。
写真②は、造山古墳の南にある陪塚の一つと云われている千足古墳(5号墳)で九州北部
の装飾古墳に類似した初期の横穴式石室をもつ墳長75mの前方後円墳(帆立貝形古墳?)
で現在修復中で立入禁止だった。
左背後の日差山(170m)は、備中高松城攻防戦の時、毛利氏の大将の一人・小早川隆景
が本陣を置いた所ーー 20,000の兵で山麓にも多く展開していたであろう!!
②千足古墳
造山古墳から西へ2000m行くとこうもり塚古墳がありますが、前回6/20備中国分寺で
ご紹介しましたので省略します。
2)今日は作山古墳からスタート!!
こうもり塚古墳(備中国分寺跡)から西へ1,500mの所に作山古墳がある。
造山古墳と同じ「つくりやま」なので地元では「さくざん古墳」と区別しているとか。
写真③が田植え直後の水面に映る作山古墳の全景です。
左が前方部、右が後円部で前方部が大きく高いのが特徴。
④後円部
今回は、前方部から登ったが途中の松林が美しかったーー 写真⑤
写真⑤
作山古墳は、造山古墳より後の5世紀中頃の築造で墳丘長282m後円径160~175m
の楕円形、高さ24m、周濠は不明、約5,000個の埴輪が有り規模としては全国第10位
の大型前方後円墳だ。
前方部から登って⑤の松林を過ぎて前方部の頂上に上がった時、 おや? この古墳は
南を向いて築造されたかと錯覚するぐらい前方部が高さ23m 幅170mと大きいのに
驚きました、この古墳は盗掘されていないそうで今後の調査が楽しみ!!
作山古墳古墳から南へ700mに角力取古墳の名の方墳がある。--写真⑥
戦前にこの古墳の横に相撲の土俵があったことから名前が付いたようです。
辺36×38m、高さ5mで方墳としては岡山県では最大級の規模で5世紀後半の築造と云れ
墳上の中央には樹齢400年周囲5mの黒松が見事だった。
⑥角力取
角力取古墳から西200mの旧山陽道に面して御崎(おんさき)神社がある。-写真⑦
神社の説明板では、旧吉備国の窪屋郡の郡家(こうりや)の跡で古くはこの地区を
岡本里(こおり)とよんでいたという。
⑦御崎神社
境内の解説板によると、仁徳天皇の御代の吉備の黒日売はこの窪屋郡の郡司の娘
で天皇と黒日売の歌が万葉仮名で書いてあったーー 写真⑧
帰宅して河出書房新社「古事記」訳をみると、京に上がった吉備の海部直の娘・黒日売
は、仁徳天皇の嫉妬深い大后・石上日売命を恐れて吉備国へ逃げ帰った。
天皇は黒日売を追って吉備国へ行き黒日売と共に料理のたか菜を摘んだ時に詠んだ
歌が 「山県に蒔きけるあお菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくあるか」 と
そして天皇が大和に帰る時に黒日売の別れの歌
「大和へに西風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我忘れめや」
写真⑧ 歌2首
この神社から西300mに旧山陽道の一里塚がある。
昔は大きな松があり一里松と呼ばれていたと。 -- 写真⑨
⑨ 一里塚
3) さて、今日は作山古墳から北西2,000mの三輪山遺跡郡の散歩です。
三輪山の山麓に延喜式内社(927年)の百射山神社(ももいやま)がある。写真⑩
主祭神が大山祇命で当地方では珍しい(相殿に吉備武彦命を祀ってあるが)。
初めはこの南の福山山頂(302m)に鎮座していたが南北朝はじめ福山合戦で焼失し
幸山山麓を経て寛文12年(1672)当地へ遷座された。
よって古墳群とは直接関係ないようだ。
⑩ 百射山神社
この神社の背後の山に宮山墳丘墓郡がある。 写真⑪
弥生後期から古墳時代初期の墳墓群でここで出土した特殊器台と同様の文様を持つ
ものが大和の箸墓古墳などから出土している。
写真 ⑪
この宮山墳丘墓は、首長とおぼしき頂上の後円部に竪穴式石室があり、前方部には
10個の埋葬施設があり、首長と一般の人にまだ大きな階級差がなかった時期?! で、
祖霊信仰から首長霊信仰の過度期のものと云われている。
この宮山墳丘墓のすぐ南に前方後円墳の天望古墳(写真⑫) 全長55m 更にすぐ南に
全長70mの御笠山古墳がある。
これら前方後円墳は4世紀後半のものと云われている。
なおこの三輪山は南北1200m東西1100m最高峰の高さは96mだが、ほぼ独立した
丘陵で尾根には約 70基の径10m前後の小古墳があるそうです。
⑫ 天望古墳
写真⑬は、三輪山を東から見たもので、左から三笠山、天望古墳(一番高い所)そして
やや斜面に見えるところが宮山墳丘墓。
⑬ 三輪山全景
ここ備中は桃の産地であちらこちらに袋かけした桃の木がある、あと1ヶ月で収穫だ!!
⑭ 桃の里
梅雨の中休みで訪れる人もなく静かで緑が美くしい散歩だった。
また、吉備の国が古代においては大和の大王家に匹敵する勢力を持った豪族だった
ことを感じた。
資料、地元説明資料
山川出版社・岡山県の歴史散歩
岡山文庫、総社の散策
河出書房新社・古事記
武光 誠著、古代日本誕生の謎
Wikipedia、造山古墳