備中、板倉宿から備前一之宮へ | 史跡散策

史跡散策

古代からの歴史や史跡散策が趣味です。
プロフィール写真は、備後・福山城

1)、備中板倉宿

   備中・下道郡川辺宿(現・倉敷市真備町川辺)より東へ高梁川を渡り備中国分寺跡を

  左に見て、更に足守川を渡ると国分寺跡から5.5Kmの所に賀陽郡板倉宿(現・岡山市

  北区吉備津)に至る。

  江戸時代は、近くに備中吉備津神社もありたいそうにぎわっていたようだ。写真①

  町並みは、昔の面影を残していない。

    ①板倉宿跡

 

 下図は、付近の関係位置図と写真の場所 ①~⑧

       

  板倉宿から旧山陽道を東に500m行くと吉備津神社の参道があり更に300m行くと

真金一里塚がある。(備前岡山城下町まで後 2里) --写真②

古代吉備国の枕詞は「真金吹く」で、吉備国が製鉄造りが盛んだったことによる。

よって、この地区を昔は「真がね」と呼んでいた。

 昔は、北に黒松、南に榎の巨木があったそうだが今は一里塚の後ろに榎の若木が見える。

  ②真金一里塚

 

 更に、東に100進むと備中と備前の国境の標識がある。ーー写真③

江戸時代は、備前国は池田藩、備中側は庭瀬藩だった。

   ③国境標識

 

2)、吉備津神社・宮内町

  宮内町は、吉備津神社の西側にある門前町で板倉宿から南へ1Kmの所にある。

元は、社家と百姓家だったが参拝者の宿・酒飯もあって井原西鶴「好色一代男」には

「安芸の宮島」「讃岐の金毘羅」「備中宮内」と登場しているそうだ。

 事前に調べもせず宮内を歩いていましたら面白いものが目に入りました。

 それは、源平時代に平家方として活躍した妹尾太郎兼康の供養塔、次は鎌倉仏教の

一つ臨済宗を開いた栄西の生誕地跡、そして江戸後期の国学者本居宣長の高弟の

藤井高尚の屋敷跡です。

 

(1)妹尾兼康(1123~1183)の供養塔 -- 写真④

  兼康は、平清盛から備中・妹尾郷を受領し地元では善政をひき、特に総社の12ヶ郷

用水路は現在も利用されている。(もちろん現在に合うよう改修されている)

「平家物語巻五・奈良炎上の項」に「入道相国(平清盛)が南都の狼藉をしずめんとして

備中国住人・瀬尾太郎兼康を大和国の検非所に補せられる、兼康五百騎で南都へ

発向す」 とある。

 その後、平家方の侍大将として源義仲と伽利伽羅峠の戦い(1183)に敗れ、備中に逃れ

たが、当地の板倉宿付近の戦いで戦没した、郎党の陶山道勝が弔ったと伝わる。

 木曽(源)義仲は、「あっぱれ剛の者かな、是こそ一人当千の兵とも云うべけれ」と

言わしめた。 右が兼康・左が陶山道勝の供養塔。

 備中では、有名人で現在では、岡山県や広島県東部に「妹尾、瀬尾」の名字が多い。

  写真④兼康供養塔

 

(2)栄西禅師生誕地(1141~1215) -- 写真⑤

  妹尾兼康の供養塔から100mの所にある。

栄西は、備中吉備津神社の權禰宜・賀陽氏の子として生まれた。

 (吉備津神社の創建以後、神官300家の上席6家は賀陽氏が独占していた)

14才の時、比叡山延暦寺で得度して28才の時南宋天台山万年寺で禅を学び、更に47才

で再度入宋し帰国後は鎌倉幕府や朝廷の庇護ののもと臨済宗の振興に努めた。

博多の聖福寺、京都建仁寺などの建立と同時に南宋から茶の種を持ち帰って飲茶の

習慣を広めた。

 「第3代将軍・源実朝の二日酔いの頭痛に茶を進めた」ことは有名。

   ⑤栄西生誕地

 

(3)藤井高尚(1764~1840) の「松の屋」 -- 写真⑥

  吉備津神社の神官家は、天正(戦国時代)の頃には80家になっていたが、上席6家は

賀陽氏が独占していたが江戸初期には賀陽氏4家と藤井家2家となり、享保2年(1717)に

幕府の忌諱に触れて追放され、別系の藤井3家と堀2家が社家頭を務めていた。

 

 その社家頭に生まれた高尚は、少年の時、備中国小田郡笠岡の小寺清先に国学を

学び、1793年に国学の大家・本居宣長に入門し、文章では最も秀でんと云われ、高弟

四人の一人と云われるまで成長し、のち郷里に帰って吉備津神社の神官を務める

かたわら、自宅「松の屋」において門人200人余に国学・和歌を教授したという。

  ⑥松の屋

 

3)、備前、吉備津彦神社

  備中、吉備津神社から旧山陽道を東に1.5Kmの所に備前国一之宮の吉備津彦神社

 がある。祭神は、吉備津神社と同じだが延喜式内社には入っていない。

 吉備国が備中、備前、備後に分割され た後に分霊されており、時期は不明だが平安

 時代より備前一之宮として尊崇されてきた。

  この備前・吉備津彦神社と備中・吉備津神社は吉備中山の山麓の東西に鎮座している。

   江戸時代は備前・池田氏より350石の社領を寄進されている。

 写真⑦は拝殿を正面から、写真⑧は拝殿の奥と本殿を横から。

  ⑦ 拝殿

  ⑧ 本殿(右)

 

 さて、中国地方の特に広島市、呉周辺や岡山県倉敷市真備付近は、 7月上旬の西日本

豪雨災害の対応が終わっていない最中、今度は本州上陸後、東から西に想定外の予想

進路で台風12号が接近している。

事前対応と早期避難で災害の無いことを祈るばかり。。。

 

   <参考資料>

    地元の説明資料

    岡山文庫、吉備津神社

    山川出版社・岡山県の歴史散歩

    岩波書店、平家物語

    Wikipedia, 本居宣長、妹尾兼康