我が家の長男くん(小4)。自閉症スペクトラム。
月に2~4回、他校へ通級。
次男くん(小2)。グレーゾーン。
彼らとの出来事や感じたことを日々書きこみ中~あじさい

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今でこそ、凸凹ブラザーズのことを
楽しく可笑しく、将来大物になるよ!!
きっと~にやり
なんて思えるけど、それに至るまでは色々あったよ、
ホントに・・・。




長男くんには、特にてんてこ舞いだった・・・
私も前向きになれない時期があった・・・・
ホントにどん底えーん
そんな時期をどう感じていたのか。
学年を追って順に当時の印象に残ってる
出来事と
当時の私の想いを綴ろうと思ってます。
では、どうぞ↓↓
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長男くんは実は小学校入学するとき、
就学児健診で何も引っ掛からなかったもぐもぐ

幼稚園でも、今考えると「 あの行動は凸凹だったからなんだ」ってのは結構ある。でも園からもそこまで言われなかった。

幼稚園の頃から吃音もあるんだけど、
上手くスルーできたらしい。

文章は比較的スラスラなんだけど、自分の気持ちを言おうとすると
出づらいのか、言葉が溢れるのか、連呼しちゃう。
今もある。


だから、まさか、
長男くんに発達凸凹があるなんて
思ってなかった。
だから、長男くんのやることがホントに
理解できなかった・・・叫びムカっ


1年生になってすぐ、色々起こった。


入学してすぐクラスで学校探検する日。
楽しみにしていた日でもあった。
学校から帰ってきて、長男くんが


何で学校探検なのに、皆で先生のあと
付いてかなきゃいけないの?ギャーー丸泣

何で学校探検なのに、
入っちゃいけない場所があるの?ギャーー丸泣

探検なんだから、好きなとこに行けないのは探検じゃないと。


当時は、「は?当たり前でしょムカムカ」って
何でそんなこと聞くのか意味が分からなかった。


その日以降も、

帰ってくると

何で床に座っちゃいけないの?ギャーー丸泣
何で時間が決まってるの?ギャーー丸泣
何で先生恐いの?ギャーー丸泣

今思うと、とにかく、学校で決められてるルールに苦しんでた。

「え?何意味分かんないこと言ってんの?ムカムカ
「当たり前でしょ、常識!!!パンチ!

1つ1つ説明しなくても、分かってるもんだと思ってた。
一般常識って誰でもあるものだと思ってた。
分からない人がいるとは思ってもいなかった。


そして、学校から電話が来るようになった学校


電話非難訓練でパニックになりました。
大泣きでした。
非難できなかったので、
他の先生に見てもらいました。

電話大泣きして授業中断になってしまいました。
職員室に連れて行こうとしましたが、
物凄く抵抗されて廊下で大泣きしました。
先生たち4人で運びました。

電話今日も大泣きして授業が・・・。
そんな日が続いた。

幼稚園の非難訓練とは訳が違う。
先生も真剣にやるから、その目付きが怖いらしい。
先生の話口調とかも緊張感あるから怖いらしい。
怒り口調はNGなんだよね。
無理矢理手を引っ張られたりするのが余計に敏感に反応する原因。
あと、見通しね。

授業中、
さらに、急に大泣きすることが増えていった。

それでも、
何事もなく過ごす日もあった!!
出来る日と出来ない日の落差が激しかった・・・
何で、そうなるのか分からなかった・・・

ちゃんと出来る日もあるから、その出来る日を基準に誰もが
長男くんを判断してた。
出来ない日はヤル気がないだけと無理にやらせてた。


そして、ついに教頭先生から電話が学校


電話職員室で大泣きしてます。
コピー機に抱きついて、「ママー」と泣いてます。
学校に来てもらえませんか?

職員室にいることが多くなってた頃。
教頭先生と過ごすことが増えてた。

で、学校へ行った。
教頭先生と話した。
職員室で泣けてきた(´;ω;`)丸泣


もうこの頃の私は、
精神的にかなりなダメージでガクリ学校


何でこんなことするの?
すみません。申し訳ありません。
恥ずかしい。
自分がダメなやつと思われてる。

色んな気持ちが錯綜してたガクリムカムカ汗


で、長男くんにもろくそ当たってた。

ふざけんなムカっ
ちゃんとしろムカっ
ちゃんとやれムカっ
何でできないんだムカっ

あまりに伝わらなくて
手をあげることもあった・・・・。

私の気持ちがもたなかった。
あまりにも私の思ってた子ども像とかけ離れてた。


何でこんなことするのか分からなかった。
何でちゃんとやらないのか分からなかった。
やれば出来るのに。

このやれば出来るってのが曲者~。ってのが、
このときはまだ分かってなかった。


学校の相談室に相談した。
スクールカウンセラーにも相談した。
市の教育相談にも相談し、通った。
担任の先生と何回も面談した。


私の心はズタボロだった・・・ガクリ
真面目だから、全部を受け止めすぎた。
面談してる自分が情けなく思えた。
周りの子が羨ましかった。


この頃、学校でWISCを受けた。
数値的には全てボーダー内。
ただ、バランスは悪かった。
耳より目からの情報が得意なのが分かった。
様子を見ましょうと
病院はまだ行っていなかった。


3学期になると、学校に行き渋るようになった。
学校行きたくない↓↓泣
何で、学校行かなきゃなんないんだと↓↓泣

この頃は長男くん、今まで無理してやってきた分のツケがどーんと
返ってきてた時。
教育相談の方と相談して、行きたくない日は休むようにしていた。


3学期は休んだり、
行けそうなときは遅刻してゆっくり行ったり、
とにかく私は、いつも一緒に学校に行った。
一緒にいると必ず「どーしたの?」と言われた。
それがイヤでイヤで仕方なかった・・・・。


3学期で学校慣れてきた頃なのに、
行けなくなってる長男くんを不憫に思ってた。
まだ1年生なのにって・・・・。


周りの目を気にした。
大丈夫?とか大変ね~とか
同情されるのがイヤで、
人と会うのもイヤになった。


そして、発達障害という言葉を知った。
それを基に、色々調べ始めたのはこの頃。
治したい一心でヒーリングも学んだ。
発達関連の本も読み漁った。
発達関連の講演会にも足を運んだ。



本や講演会を基に必死に試した。
トークン、絵カード、声かけ。

何とかしなきゃと、私から笑顔が消えた。

続く・・・・・・。


・・・・こんな感じねー
⬆️はほんの1部です、ハイ(笑)。
ここには書ききれないくらい、色々あった。
とにかく、良いことが目に写らないのよ、
この頃は・・・。
ダメなとこばっかり目に入ってくる。
あ、大したことないな?って思った?
私の中では、
学校から電話来る時点でアウトだったのよ、
なんてことをしてくれたんだーってね・・・
とにかく、凹んで凹んで凹みまくったなぁ。


全く関係ないけど、
ネガティブっぽい文章だったから
気分を上げるためにキレイな写真↓(笑)
ハイ、浄化~虹




いつも読んでくれている皆様に感謝 ✨
ありがとう❤️