1977年なんかにはいきたくない【時間移動論】 | 止揚。(旅ブロその他)

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最近LOSTというアメリカのドラマを見ていて、これはシーズン1からシーズン6まであるのだが、この16年くらいの間にかれこれ3循環ほど見続けている。

 

このLOSTというドラマの中で、ある集団がある無人島で孤立するという局面があるのだが、ある出来事のために1974年にタイムスリップしてしまう。

 

放送開始が2004年-2011年あたりなので、世界観としてはその前後になってくるが、そこから30年ほど過去への時間移動ということになる。

 

そして1974年から元の時代に戻ることができなくなった。

 

それで、ソーヤーという男がその1970年代の無人島でヨロシクやっていく、という描写があり、それはそれで本人としては不幸というよりむしろ「うまくやっていた」ということらしい。

 

一応3年後の1977年に仲間の手助けにより2007年の世界に戻ることができたのだが、この時間移動ということについて改めて考えてみる。

 

例えば自分の身に置き換えて考えたときに、今タイムマシンで1974年ないし77年にタイムスリップして、タイムマシンが壊れて元の時代に戻れなくなったときに、その1970年代の世界でヨロシクやっていくことができるだろうか。

 

僕はどんなに今置かれている状況が悲惨だったとしても、1977年なんかにはいきたくない。

 

そのソーヤーの暮らしぶりを見ていて、元いた孤立した無人島ではあるけれども、仲間と平和に暮らしていて、潜水艦で本土に戻れるかも…という描写が一度だけ存在するが、「Microsoftの株を買おう。大金持ちになれる」などとうそぶいている様を見て、あぁ、これもなかなかアリかもな、とも思った。もちろん携帯はないし、ネットもないし、テレビもリモコンがついていないし、電車に乗ったらクーラーのない車両もいっぱい走っていただろうし、ファミコンすら登場していない。でもなんとかやっていけるだろうかな、という思いになった瞬間もあった。

 

YouTubeで古い動画を検索すると、コメント欄には「1970年代最高!昔はよかった!」「今はおもしろくない時代になった」という懐かし真理教の人たちのコメントがいっぱいついている。

 

それでも1977年なんかに時間移動して戻れない、というのは嫌だ。

 

懐かし真理教、という言葉をいま使ったが(いわゆる懐古厨でもよい)、そういう連中の言葉というのは歴史的な事実に基づいた客観的な判断というより、「昔の方がよかった」というぼんやりとしたイメージによるところが大きいのではないか。

 

これはその時代を経験した人でも経験していない人でも関係ありません。むしろ経験している人の吹聴する与太話、思い出話の方がよほど信頼性に欠く。

 

人間の感性というのは実にいい加減で、例えば年寄りに「治安はよくなっています」といくら説得しても信用してもらえないのはなぜか。テレビで犯罪のニュースばかり垂れ流されて、世の中”怖くなってきた”と思い込まされているからだ。しかし犯罪白書などを参照してもらえば分かる通り犯罪率は1970年代より今の方がずっと低い。交通事故死者数だって歴然と減っている。

 

データを見てものを語るのか、それとも人間のいい加減な感覚でものを語るのか。

 

もちろんデータだけがすべての真実を捉えているわけではないが、「昔はよかった」系の与太話には、データをあまりにも無視した思い上がりや勘違いや都合のいい解釈や、そういうろくでもないものが多いように感じるのだ。

 

いま持ち出したのは1970年代の話だが、時代が少しずれて1985年には鹿川君事件というのもある。中学生が学校でのいじめを苦に自殺し、そこには学校の教師もいじめに加わっていた、というものだ。

 

いやいや、いじめなんかいつの時代でもあるじゃないか、という反論もあるだろうけど、過去というのは悪い思い出はどんどん塗りつぶされ、いい思い出だけが残る、つまりロンダリングが脳内で自動的に行われていく。

 

ネット上では鉄道にしろ野球にしろテレビにしろあらゆる局面において判を押したように「昔はよかった」「昔の方が人々があたたかかった」「活気があった」「今はだめになった」という言説が出回っているが、本当にしょうもない平板で退屈な言説で、物事を多角的に捉えることができない連中なのだとつくづく思う。そういう言説には見聞きしたくないし相手にもしたくない。

 

話を元に戻すと、LOSTのように2000年代から1970年代へタイム移動して元へ戻れなくなってしゃーなしに1970年代でヨロシクやっていくというのが耐えられないのは、「昔はよかった」系の懐古主義の連中の感性が自分の中にないからなのかも。詳しく言うと自分の中に懐古主義はあるけれども、それを客観的に見ている自分がいる。「そんなものは幻想だよ」と。

 

1970年代万歳!