46.万葉集で遊ぼう(6)夏野菜のカレー・・・見渡せば(3)の続きです。
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(1) 枕詞
例えば、次の短歌は、百人一首の中でも有名ですので、多くの人が一度は見たことがあると思います。。
古今和歌集(巻2・春下・84)。
詞書に「さくらの花のちるをよめる 紀友則」
「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則」
https://ogura100.roudokus.com/uta33.html
私は、この歌を読んだ時、「ひさかたの」は、「久しぶりの」という意味にとっていました。
現在の国語の辞書でも「久方振り」は「ひさしぶり」となっています。
ですから、現代人なら、「久方の」は、「ひさしぶり」を連想させるハズだと思います。
そうすると、この短歌の意味は
「しばらく空模様が思わしくなかったけれど、久しぶりにのどかな光が差す春の日になったのに、どうして桜の花はせわしなく散り急ぐのだろうか。」となります。
ところが、「久方の」は、「ひさしぶり」の意味ではなく、枕詞であって、訳さないというのです。
枕詞とは、
(世界大百科事典 第2版「枕詞」の解説)より
「おもに和歌に用いられる古代的な修辞の一つ。和歌においては5音1句に相当する句(4音や6音もある)をなし,独自の文脈によって一つの単語や熟語にかかり,その語を修飾しこれに生気を送り込む。一首全体に対しても,気分的・象徴的に,または声調上・構成上に,微妙な表現効果をもたらす。(太字:筆者)枕詞の起源は古代の口誦詞章のきまり文句で,そのうち最も重要なのは神名や地名にかぶせる呪術的なほめことばである。記紀歌謡において枕詞を受ける単語や熟語の半数以上が固有名詞であるのは,その辺の消息を示すものにほかならない。」
https://kotobank.jp/word/%E6%9E%95%E8%A9%9E-135915
(眠れないほどおもしろい百人一首、板野博行、三笠書房、17頁)より
「〇ちはやぶる神代も聞かず龍田川から紅に水くくるとは
この在原業平の歌では「ちはやぶる」が「神」を導き出すための枕詞だ。
基本的に枕詞の字数は五音で、その語自体は意味を持たないので訳す必要はない(太字:筆者)。」
(対埼正宏、読み方(読解力)書き方、そして、おすすめの映画、枕詞とは 例 実践「和歌の訳し方」)より。
「枕詞とは、ある語句を導く前置きのことばであり、そのある語句にかかっていくことばです。
多くは、五音です。
そして、多くの場合、第一句か、第三句に置かれます。
・・・・・
枕詞は、歌の調子を整える(語調を整える)つまりは優雅な調べのためにあります。
だから、歌を口語訳する際、枕詞自体は訳しません。」
https://tsuizakimasahiro.com/makurakotoba-waka-yakushikata/
つまり、枕詞は現代語訳する時には、枕詞を訳さないことが常識になっています。
常識というのは、くせ者で、飛鳥時代や奈良時代の常識は現在の常識とは違います。
現在の常識では、地球は太陽の周りを回っていますが、万葉集や古事記の書かれた時代では、天は動いても、地は動いていません。
万葉集や古今和歌集の時代の短歌は、歌手が歌うように、節をつけて歌われていました。
短歌は5・7・5・7・7の文字数しかありません。
この短い文の中で使われる枕詞の5文字は重要な歌詞のひとつだったと思います。
私は、古代の和歌の現代語訳で枕詞を全く訳さないのは腑に落ちません。
「歌を口語訳する際、枕詞自体は訳しません。」ではなく、「訳すことが現在のところできていません。」」あるいは「口語訳するとは思ってもいませんでした。」というのが正しいのではないでしょうか。
「さくらの花のちるをよめる 紀友則」この歌の(意味)は次のように紹介されています。
「のどかに日の光が差す春の日なのに、どうして桜の花はせわしなく散り急ぐのだろうか。」https://ogura100.roudokus.com/uta33.html
子供なら「ねえ。久方のは、どこに行ったの。」と言うと思います。
紀友則が歌を詠んだ時は「久方の」の思いがあったハズですが・・・。
万葉集と古今和歌集で枕詞の「ひさかたの」がどのように使われていたか見てみましょう。
その前に「あいみょん – 桜が降る夜は【OFFICIAL MUSIC VIDEO】」
を聞きながら・・・。
(万葉集)に使われた枕詞「久方の」を使った短歌
万葉集・・・・35首が「ひさかた」あり。
[歌番号]01/0082
[訓読]うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば
[歌番号]02/0168
[訓読]ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも
[歌番号]02/0200
[訓読]ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも
[歌番号]03/0240
[訓読]ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり
[歌番号]03/0292
[訓読]ひさかたの天の探女が岩船の泊てし高津はあせにけるかも
[歌番号]04/0519
[訓読]雨障み常する君はひさかたの昨夜の夜の雨に懲りにけむかも
[歌番号]04/0520
[訓読]ひさかたの雨も降らぬか雨障み君にたぐひてこの日暮らさむ
[歌番号]04/0651
[訓読]ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ
[歌番号]04/0769
[訓読]ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり
[歌番号]05/0801
[訓読]ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
[歌番号]05/0822
[訓読]我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
[歌番号]06/1040
[訓読]ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜は明かして行かむ
[歌番号]07/1080
[訓読]ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ
[歌番号]07/1083
[訓読]霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば
[歌番号]07/1371
[訓読]ひさかたの雨には着ぬをあやしくも我が衣手は干る時なきか
[歌番号]08/1485
[訓読]夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか
[歌番号]08/1519
[訓読]久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ
[歌番号]08/1566
[訓読]久方の雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね
[歌番号]08/1661
[訓読]久方の月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君
[歌番号]10/1997
[訓読]久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに
[歌番号]10/2007
[訓読]ひさかたの天つしるしと水無し川隔てて置きし神代し恨めし
[歌番号]10/2070
[訓読]久方の天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか
[歌番号]10/2093
[訓読]妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
[歌番号]10/2325
[訓読]誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ散りくる
[歌番号]11/2395
[訓読]行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの天露霜に濡れにけるかも
[歌番号]11/2463
[訓読]久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ
[歌番号]11/2676
[訓読]ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに
[歌番号]11/2685
[訓読]妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
[訓読]久方の天つみ空に照る月の失せなむ日こそ我が恋止まめ
[歌番号]12/3125
[訓読]ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来る人や誰れ
[歌番号]12/3208
[訓読]久にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜も闇の夜に見ゆ
巻第十四は、「ひさかた」なし。
[歌番号]15/3650
[訓読]ひさかたの天照る月は見つれども我が思ふ妹に逢はぬころかも
[歌番号]15/3672
[訓読]ひさかたの月は照りたり暇なく海人の漁りは灯し合へり見ゆ
[歌番号]16/3837
[訓読]ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
巻第十七は、「ひさかた」なし。
巻第十九は、「ひさかた」なし。
[歌番号]20/4443
[訓読]ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花に恋しき我が背
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(古今和歌集)・・・・9首が「ひさかた」あり。
巻一 春上は、「ひさかた」なし。
巻二 春下
00082
[詞書]さくらの花のちりけるをよみける
つらゆき
ことならはさかすやはあらぬさくら花見る我さへにしつ心なし(参考)
00084
[詞書]桜の花のちるをよめる
きのとものり
久方のひかりのとけき春の日にしつ心なく花のちるらむ
巻第三 夏歌は、「ひさかた」なし。
巻四:秋上
00173
[詞書]題しらす
よみ人しらす
秋風の吹きにし日より久方のあまのかはらにたたぬ日はなし
00174
[詞書]題しらす
よみ人しらす
久方のあまのかはらのわたしもり君わたりなはかちかくしてよ
00194
[詞書]これさたのみこの家の歌合によめる
たたみね
久方の月の桂も秋は猶もみちすれはやてりまさるらむ
巻五:秋下
00269
[詞書]寛平御時きくの花をよませたまうける/この歌は、また殿上ゆるされさりける時にめしあけられてつかうまつれるとなむ
としゆきの朝臣
久方の雲のうへにて見る菊はあまつほしとそあやまたれける
巻六:冬
00334
[詞書]題しらす/この歌は、ある人のいはく、柿本人まろか歌なり
よみ人しらす(一説、柿本人まろ)
梅花それとも見えす久方のあまきる雪のなへてふれれは
巻七:賀は、「ひさかた」なし。
巻八:離別は、「ひさかた」なし。
巻九:羈旅は、「ひさかた」なし。
巻十:物名
00452
[詞書]かはたけ
かけのりのおほきみ
さ夜ふけてなかはたけゆく久方の月ふきかへせ秋の山風
巻十一:恋一は、「ひさかた」なし。
巻十二:恋二は、「ひさかた」なし。
巻十三:恋三は、「ひさかた」なし。
巻十四:恋四は、「ひさかた」なし。
巻十五:恋五
00751
[詞書]題しらす
もとかた
久方のあまつそらにもすまなくに人はよそにそ思ふへらなる
巻十六:哀傷は、「ひさかた」なし。
巻十七:雑上は、「ひさかた」なし。
巻十八:雑下
[詞書]かつらに侍りける時に、七条の中宮のとはせ給へりける御返事にたてまつれりける
伊勢
久方の中におひたるさとなれはひかりをのみそたのむへらなる
巻十九:雑体は、「ひさかた」なし。
巻二十:大歌所歌は、「ひさかた」なし。
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「久方の」は天に関わるものがほとんどです。
万葉集では地上にある「都」にかかったものが一首([歌番号]13/3252)ありますが、「天の枕詞から転じて都にかかる」(万葉集(下)、桜井満訳注、旺文社文庫)とされています。
万葉集も外国語の翻訳のように訳すと考えれば、「久方の」の単語は、短歌ごとに異なった口語訳があってよいハズです。
例えば、
「ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ」という万葉集の短歌は
「天子様のいるこの都を離れて・・・・」と訳しても良いように思います。
地方に赴任する恋人に対し詠んだものでしょうか?
[原文]久堅之 王都乎置而 草枕 羈徃君乎 何時可将待
(1) 光は陽光か?
例えば、古今和歌集の紀友則の短歌、
(古今和歌集、Wikisource)より
「00084
[詞書]桜の花のちるをよめる
きのとものり
ネットで見る限り、100%が以下のような現代語訳です。
(意味)
「のどかに日の光が差す春の日なのに、どうして桜の花はせわしなく散り急ぐのだろうか。」https://ogura100.roudokus.com/uta33.html
「久方の」という枕詞が(太陽の光)に使われたのは、この短歌のみです。
というより、万葉集、古今和歌集の短歌の中で(光:ひかり)が「久方の」という枕詞がかかるものは、紀友則のこの短歌しか見当たりません。
古今和歌集に次の歌がありますが、「久方の」は、(ひかり)に掛かっているものだと思われません。
「00968
[詞書]かつらに侍りける時に、七条の中宮のとはせ給へりける御返事にたてまつれりける
伊勢
久方の中におひたるさとなれはひかりをのみそたのむへらなる」
この短歌の意味は次のようになります。
(高田祐彦. 新版 古今和歌集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) (p.505). 株式会社KADOKAWA. Kindle 版.)より
「月に生えている桂、 その桂の名を持つこの里では、 ただ月の光、中宮さまのご 威光だけを頼りにするようです。」
○ひさかたの 「月」に掛かる枕詞であるが、ここでは、「ひさかた」が「月」の意。」
枕詞も口語訳できると考えて、訳を探してみるとよいと思います。
枕詞は訳さないのが常識だと考えてしまえば、そこで、世界は閉じられます。
「万葉仮名」の草書体から平仮名が作られ、仮名書きの短歌が作られました。
そして、仮名書きの短歌のデータベースとして、万葉集の訓読み解読が行われました。
それらの、歴史的推移は次のようになります。
万葉集の最後の歌・・・759年
古今和歌集の編纂・・・905年(914年説あり)・・・紀貫之と従兄弟の紀友則
万葉集の訓読み開始・・・951年・・・紀貫之の子供の紀時文
万葉集の訓読み解読が国家事業として行われるまで、歌人は万葉集を読んでいなかったかというと、そうではないと思います。
(コトバンク、日本大百科全書(ニッポニカ)「紀貫之」の解説より)
「貫之の最大の功績は、『古今集』撰進を通じて国風文化の推進・確立を果たしたことである。漢詩文、『万葉集』の双方に深く通じて、伝統的な和歌を自覚的な言語芸術として定立し、公的な文芸である漢詩と対等な地位に押し上げた。」
https://kotobank.jp/word/%E7%B4%80%E8%B2%AB%E4%B9%8B-51361
私は、紀友則も万葉集をよく知っていたと思います。
万葉集の短歌では、枕詞「久方の」がかかる(光:ひかり)はありません。
古今和歌集の短歌では、枕詞「久方の」がかかる(光:ひかり)は二首あります。
一首は「久方の」が月の意味だといわれているものです。
もう一首は紀友則の歌です。
さて、
「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則」
「久方の」を古今和歌集968の和歌のように「月」の意味だったとします。
あるいは(ひかり)は「月の光」を意味するとします。
(意味)は次のよう変わります。
「月の光がのどかな春の日に、どうして桜の花はせわしなく散るのだろうか。」
昼間の歌から夜の歌に変わります。
夕食が終わって、眠りにつくまでの、春の日の、のどかな時間、月の光が差す中、どうして桜の花だけが、せわしなく散っているのだろうか。
私の心も、落ち着かないのは何故だろう・・・。
以上のことを考えますと、古今和歌集の紀友則のこの歌が歌われた時、
「久方のひかり」までを聞いた平安時代の歌人は、光は月の光の可能性が高いと思ったハズです。
「久方のひかりのどけき」まで聞いても、月の可能性が高いと思っていたハズです。
「久方のひかりのどけき春の日に」まで聞いても、「春の日」は「春の陽」ではなく、「春の一日」の意味に聞いていたハズです。
そうすると、「久方のひかり」で、(月光)が(日光)に変わる契機はどこにあったのでしょうか。
万葉集においては、月こそが、重要視されていたのです。
(万葉集)[歌番号]12/3004
[訓読]久方の天つみ空に照る月の失せなむ日こそ我が恋止まめ
古事記において、月読命よりも天照大御神が優位におかれ、登場場面が全くないことと関係があるのでしょうか?
日本における、仏教の普及と関係があるのでしょうか?
常識とは、異なる世界を提示してみました。
私は、異なる世界が美しいと思います。
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