仙台はやての乗り鉄旅行ブログ

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乗り物をメインにレビューしていきます。
FP2級所持、安さだけではないコストパフォーマンスの高い旅行を心がけています。

 

黒船来航によって1853年に築かれた台場砲台、その後、1979年に東京湾の掘削によって発生した残土を埋め立てた13号埋立地をその古い地名を活かして『お台場』と呼び始めたのが始まりです。

 

観光地として注目されるようになったのは平成に入ってからで、1993年にレインボーブリッジと新交通システムゆりかもめが完成したことでアクセスが大きく改善され、1997年に開館したフジテレビ本社屋が出来た以降となります。

 

ところで『お台場』という場所はどこからどこまでを指すのは少し曖昧で、一般的にはお台場海浜公園周辺のことを示す言葉として使われますが、かつて東京都知事であった石原慎太郎は臨海副都心全体を指してお台場と呼んでいたこともあり、広く解釈されることもあるようです。

 

日本科学未来館がある青海や東京ビックサイトがある有明も広くはお台場地区ということになります。

今回初めて日本科学未来館という場所へ行ったのですが、近未来を見据えた展示があって面白かったです。

生成AIも触れたのですが、まだ少し知識不足感があり、発展途上なのかなと思います。

 

先述したお台場のシンボル的な建物、フジテレビ本社ビルはFCG(Fujisankei Communications Group)ビルが正式な名称で、1996年に竣工しています。

設計者は丹下健三、東京都庁第一本庁舎も設計した世界的な建築家です。

 

近くに行くと分かるのですがかなり巨大な建物で、高さ125m、地上25階建てです。

球体部分は直径32m、展望台として公開されています。

かつて高視聴率のテレビドラマや数々のヒット番組を生み出し、また女子アナといういわゆるアイドル的なアナウンサーで一世を風靡したフジテレビですが、最近はネットに押され、某有名アイドルのスキャンダルに幹部写真が関与していた疑惑が発覚した後には多くのスポンサーが離れ、衰退を辿っています。

 

乗り物関連でかつてあった施設を紹介します。

それは船の科学館、1974年に開業し、最も古い施設でした。

 

建物は2024年に解体されてしまいましたが、展示船のメインである南極観測船『宗谷』は今も残されています。

(写真は2017年のもの)

宗谷は1938年に進水した貨物船ですが、太平洋戦争では日本海軍の輸送船として活躍し生き残り、1956年には南極観測船へ改造されて、第一次観測へ向かうなど脅威の経歴と幸運の持つ船となります。

ちなみに宗谷は乗り心地が悪い船だったそうで、その原因は砕氷船に改造する際にビルジキールを取り外したため揺れたそうです(後に再取り付けされた模様)。

 

最近のお台場はパレットタウンや大江戸温泉物語など閉館が増えていますが、再開発計画も着々と進んでいるので、新たな観光地として生まれ変わる場所となる予定です。

 

 

日本三名園のうち、金沢の兼六園、水戸の偕楽園は何度か行ったことがあったのですが、岡山の後楽園は今回初めて行きました。

 

 

 

後楽園と聞いて、東京都文京区あたりであったり遊園地やドームであったりを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その由来は江戸時代初期に水戸徳川家が江戸の上屋敷内に作った小石川後楽園です。

 

小石川後楽園と岡山後楽園には全く繋がりはありません。

 

ただし、語源は同じです。

中国の「岳陽楼記」にある「先憂後楽」という言葉にちなんでいます。

「先憂後楽」とは『天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ』という政治を行うものとして守るべき態度を示しています。

 

つまり、君主(藩主)は庶民の楽しみをまず先に考えよ、ということになります。

 

岡山後楽園もほぼ同じ江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政により造営され、国の特別景勝に指定されています。

 

後楽園のすぐ近くには岡山城があることから一緒に合わせた写真をよく見かけるかと思います。

 

もう一つ多いのは綱政の子、継政の時に築かれた唯心山(写真左の小さな山)からの眺めもよく写真で見かけます。

 

少し小高いところから360度…とは言いませんが、240度くらいのパノラマを楽しめます。

 

試しにパノラマ写真も撮ってみました。

 

正直なところ、北陸を代表する観光地である兼六園、都心からも近くて梅の花で有名な偕楽園に比べるといまいち目立っていない岡山後楽園ですが、川のように常にたくさんの水が流れていて、なおかつ水が澄んでいて、他よりも整った庭が広がっている印象を受けました。

 

岡山駅からはバスで10分くらい、藤原団地行という1時間に2本ペースの生活路線の途中に後楽園前バス停はありました。

岡電(路面電車)で向かう場合は城下で下車して、そこから徒歩15分くらい掛かります。

どちらも料金は160円です。

 

路面電車で向かう場合には先に岡山城を見学すると良いでしょう。

 

現在の岡山城の天守閣は1964〜1966年に再建したもので、オリジナルは1945年6月の岡山大空襲により焼失しています。

 

烏城と呼ばれるようにカラスのように黒い見た目であり、1階部分が不等辺五角形という変わった形をしているのが特徴です。

この姿へと変貌させたのは豊臣秀吉政権化で五大老の1人であった宇喜多秀家だったのですが、関ヶ原の戦いで西軍に付いていたため改易、その後、小早川秀秋が入城したのですが嗣子がいないまま亡くなったため、姫路藩の池田家がその後を治めています。

 

戦国時代に詳しい人からすれば、豊臣秀吉、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田輝政と名だたる武将たちの名前が出てくるので、結構楽しめると思います。

 

アパホテルには最初からアパとして開業した店舗と、後に改装してオープンした2種類が存在します。

今回宿泊したアパホテル鳥取駅前南はこの見た目で2008年開業らしいので、おそらくシティホテルを改装し、最上階にレストランがあったホテルを改装したタイプだと思います。

 

私が宿泊したときはまだ開業していませんでしたが、すぐ近くにもう1店舗完成しており、こちらはアパホテル鳥取駅前です。

どちらのホテルも鳥取駅から徒歩2~3分、目の前にあるので立地はかなり良いです。

 

部屋はダブルでした。

通路が広めなので、通常のアパホテルの狭さに慣れているとかなり広く感じます。

2024年にリニューアルしているせいか壁紙や床は綺麗でした。

アパといえば、テレビとベッドが大きいところなので、改装組でも守られているののが嬉しいところです。

 

ベッドサイドのパネルにはコンセントとUSBタイプAがあります。

古さを感じる点として空調が集中管理方式なので、風量を調節することしかできません。

 

珍しいのはクローゼットが広く、きちんと扉まで付いていました。

 

水回りも新しくなっており、よく見る卵型の浴槽です。

結構節水型なのか水圧は若干物足りなさを感じましたが、新築されたアパホテル鳥取駅前には大浴場もあるのでそちらを利用するのもアリです。

 

夕食が付いたプランだったのですが、大山鶏の唐揚げが付いている定食で、アルコールもワンドリンクサービスでした。

朝食はバイキングでしたが、牛骨ラーメンや豆腐ちくわなどご当地名物があって良かった…と言いたいところですが、1,700円は高いかな。

 

歩いて5分ほどにはイオンがあったので、飲食物はここで調達してくると良いです。

コンビニだと駅の中にセブンイレブンがあります。

田舎の駅前って大きな商業施設があるので、都会よりも便利なことが多いです。

 

安定のアパという感じでした。

硬めのベッドが多い中でアパホテルのベッドは沈み込むようなタイプが多いので、好き嫌いあるかとは思いますが、私は好みなのでちょくちょく選んでいます。

 

他にも何気に良いところなのですが、アパホテルは中国人観光客がほぼいません。

理由は各自で調べてもらうとして、その理由的には今後も使わないであろうと思いますので、落ち着いて宿泊できるのもアパの良いところです。