日本三名園のうち、金沢の兼六園、水戸の偕楽園は何度か行ったことがあったのですが、
後楽園と聞いて、東京都文京区あたりであったり遊園地やドームであったりを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その由来は江戸時代初期に水戸徳川家が江戸の上屋敷内に作った小石川後楽園です。
小石川後楽園と岡山後楽園には全く繋がりはありません。
ただし、語源は同じです。
中国の「岳陽楼記」にある「先憂後楽」という言葉にちなんでいます。
「先憂後楽」とは『天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ』という政治を行うものとして守るべき態度を示しています。
つまり、君主(藩主)は庶民の楽しみをまず先に考えよ、ということになります。
岡山後楽園もほぼ同じ江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政により造営され、
後楽園のすぐ近くには岡山城があることから一緒に合わせた
もう一つ多いのは綱政の子、継政の時に築かれた唯心山(写真左の小さな山)からの眺めもよく写真で見かけます。
少し小高いところから360度…とは言いませんが、240度くらいのパノラマを楽しめます。
試しにパノラマ写真も撮ってみました。
正直なところ、北陸を代表する観光地である兼六園、
岡山駅からはバスで10分くらい、藤原団地行という1時間に2本ペースの生活路線の途中に後楽園前バス停はありました。
岡電(路面電車)で向かう場合は城下で下車して、そこから徒歩15分くらい掛かります。
どちらも料金は160円です。
路面電車で向かう場合には先に岡山城を見学すると良いでしょう。
現在の岡山城の天守閣は1964〜1966年に再建したもので、オリジナルは1945年6月の岡山大空襲により焼失しています。
烏城と呼ばれるようにカラスのように黒い見た目であり、1階部分が不等辺五角形という変わった形をしているのが特徴です。
この姿へと変貌させたのは豊臣秀吉政権化で五大老の1人であった宇喜多秀家だったのですが、関ヶ原の戦いで西軍に付いていたため改易、その後、小早川秀秋が入城したのですが嗣子がいないまま亡くなったため、姫路藩の池田家がその後を治めています。
戦国時代に詳しい人からすれば、豊臣秀吉、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田輝政と名だたる武将たちの名前が出てくるので、結構楽しめると思います。










































