仙台はやての乗り鉄旅行ブログ

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仙台を拠点として、色々な鉄道に乗っていきます。
他にも船や飛行機、レンタカーと活動範囲を拡大中です。
最近はホテルのレビューにも挑戦中です。


津軽半島の先端にあるのが龍飛崎です。

とある歌で有名になった龍飛岬(たっぴみさき)というのは愛称で、龍飛崎(たっぴざき)というのが一般的な名称となります。

 

変わった名称の由来には諸説あるようでアイヌ語で「突き出た地」という説や源義経が竜馬に乗って蝦夷へ渡った(いわゆる義経伝説)説などがあります。

 



白い龍飛埼灯台からは遠く松前半島や函館山も見えるということですが、雲が多く、半島は確認できたものの山々は分かりませんでした。


場所柄、風が強く吹くので風力発電が多数ありますが、私が訪れた日はそれほどでもありませんでした。


龍飛崎には灯台の他にも変わったものがあります。


まずは階段国道。
日本で唯一車が往来できない国道として、近年では割と有名になったので知っている方も多いかと思います。

もともと通学路として存在していた階段は1974年に国道に指定され、自動車が通れるように拡幅する計画がありました。
ところが、全長388mに対して高低差70mと勾配がきついことからそのまま残されて、今ではちょっとした観光地になっています。

 

階段村道もありますが、2005年に三厩村は合併により外ヶ浜町になったので、正確には階段町道となります。


他にも石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑があります。

 

ボタンを押すと曲が流れるのですが、流れてくるのは1番ではなく2番。
1番では有名なフレーズでもある『♪上野発の夜行列車 おりた時から〜』から始まりますが、2番では『♪ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと〜』から始まり、ここで龍飛岬が登場します。

 

音は結構大きくて、ちょっと高台にある龍飛崎灯台まで聞こえてきます。

 

 

他にも紹介した青函トンネル記念館も龍飛崎にあり、殺伐した場所にディープなスポットが集まっているので、定番スポットに飽きた人はオススメです。

ドライブで来る場合でも道中は海沿いを走ることになるので景色も良いです。

前回の続き。

 



工事用の区画なので時々天井が低いところもあり、湿度が高く、決して綺麗な場所ではありません。

保守点検で作業する方々は自転車で移動しています。

 

 

 建設工事

 


建設に使われていた機械が置かれています。

工事用の列車なので物凄い座席が狭かったです。

 


工事開始にあたって、まず最初に行われたのは先進ボーリングです。

事前に調査していたものの実際に掘ってみるとどんな地質になっているのかを調べるものですが、普通のボーリングでは真下へ掘っていきます。

しかしながら、青函トンネルではこの工事のため開発した水平ボーリングが行われ、その長さも1,000mと非常に長く、273本が打ち込まれました。


とは言え、未知の工事ということで様々なトラブルが発生しています。

特に何度も異常出水が発生しており、1976年5月には毎分85tという大量の水が吹き出し、隔壁がいくつも破られています。

元の掘削地点に戻るまでに半年弱掛かりました。

ちなみに湧水が現在も発生していることから常時ポンプで吸い出しているため、発電機も設置されています。
 

 

 構造

 

実は青函トンネルは大きく分けると3本のトンネルが掘られています。
新幹線や貨物列車が通る本坑、地質調査のために先駆けて掘られた先進導坑、ケーブルカーが通る作業抗の3つで、加えて本坑とそれぞれの坑道を繋ぐ連絡誘導路も設けられています。


トンネル内には定点と呼ばれる避難場所が設けられており、列車火災をはじめとした万が一の事態が発生した場合はそこへ退避することになるのですが、この体験坑道と定点がつながっています。

なお、青森県側が竜飛定点、北海道側には吉岡定点があります。

 

どちらの定点も竜飛海底駅吉岡海底駅という旧名称があり、新幹線開業前まではトンネル見学コースの拠点となる駅として使われていました。

一般的に1972年に発生した北陸トンネル内での列車火災での教訓を元に、万が一が発生した場合、トンネル内では停止しないことがマニュアルとなっていますが、青函トンネルは53.85kmもあるため例外として定点に緊急停車します。

2015年4月3日、走行中の特急スーパー白鳥34号から発煙が発生し、開業後初めて乗客・乗員が竜飛定点を経由して地上へ避難しています。


20分ほどの見学で再び地上へと戻ります。

本州と北海道の旅客移動は今や飛行機に移行していますが、依然として貨物輸送は盛況となっています。

また、2030年代には北海道新幹線は札幌延伸を控えており、旅客移動が活発になると思われます。


津軽半島の先端部分という場所柄もあって、青函トンネル記念館は毎年4月中旬~11月上旬の半年間しか営業していません。
ちょっとディープかつマニアックな施設ですが、昭和の歴史に触れられる有意義な施設なので青森旅行をする際には候補に加えてみるのも良いと思います。
 

 

 青函トンネル記念館とは


青函トンネルは1988年3月に開業した青森函館を結ぶ世界最長の海底トンネルです。

その長さは53.85kmにもなり、2016年にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通するまでは世界最長のトンネルでした。

北海道と本州を結ぶトンネル計画は大正時代からありましたが、1954年9月の洞爺丸事故にて1,155人もの人命が失われる日本海難史上最悪の事故が発生してからは一気に計画は加速し、掘削開始から24年の難工事の末に完成しました。


その功績を後世に伝えるため、青森側のトンネル基地があった龍飛崎に作られたのが青函トンネル記念館です。

 

 

 館内

 

記念館にはトンネルに関する資料や記念品、構造を解説するパネルがあります。

 

このアーチは実際に新幹線が通るトンネルの大きさを示すもので、かなり大きいです。

青函トンネルは設計時から新幹線を通ることを前提にした設計で、現在は新幹線が使う標準軌と貨物列車をはじめとした在来線が使う狭軌の両方が通れるように三線軌条になっています。

 

 

 体験坑道

 

この施設では資料だけではなく、建設当時の作業坑を活用した体験坑道があり、実際にトンネル内部へケーブルカーで入ることができます。


ケーブルカーはもぐら号という愛称があり、海面下140mまで7分で行くことが出来ます。


このもぐら号は運行から30年以上が経過し、老朽化してきたことに加え、新型コロナウイルスで入館者が大幅に減ったことから一時は整備費の捻出ができない事態となりました。

しかしながら、300万円を目標としてクラウドファンディングを開始したところ、最終的に1,000万円の資金を調達し、現在も運行を続けています。
乗りに行くことが一番の応援になると思ったのも今回の訪問目的です。


ケーブルカーの出発・到着に合わせてトンネルへ続くドアが開きます。


道中はひたすら同じ景色が続き、時よりガタンと大きく揺れます。

乗客には小さなな子供がいましたが、だいぶ怖がっていました。


ひたすら同じ風景を見つつ、7分ほどで体験坑道駅に到着です。

次回へ続く。