去年の今日の自分は何をしていたのか。。。


確か、日本に帰る準備をしていた。。。

帰る心の準備をしていた。。。かな?


仕事も辞めて、

ただひたすらボストンの町で、

あの町で過ごせる日々の全て時間を

自分のためだけに使っていた。


夜も昼もなく、ただ時間が自分のためだけに流れていた。

その時間の全てを自分に賭けていた。


いつの間にかむせ返るような夏は過ぎ去って、

秋を通り越して、さっさと冬を迎えようとしていた

そんな冷たい空気に身をさらして、

¢99のクロワッサンとコーヒーを買いに、

朝焼けの中を歩いていた。


あの時、初めて、

夜明けと夕焼けの空気は似ていることを知った。

その明るさも、空気の澄みかたも。。。


オレンジ色に身を預けて、

何かを決心して、何かを諦めて、

私は歩いていた。



朝焼けが、とてもみたい。

夕陽のような朝陽をみたい。

あの時のように、

冷たい空気に喉を痛めても、

それでも太陽に向かうように歩いた、

あの道のことを、あの時間のことを、

もう一度、思い出したい。



あともうちょっと。


きっと、あの日止めてしまった時計を、

時を、気持ちを、動かせる気がする。


それまで、あともうちょっと。








I-POD買ってお気に入りの曲と共に出かけても

気付くと悲しい曲ばかり聞いてて、

歩幅は狭く、歩みは重く、遅くなっていく。


それでも、優しい人たちの呼びかけに、

微笑む事も、冗談を言う事も出来る。


毎日は普通にすぎて、

時間の流れは遅くても、

1日は気付くと終わりを迎えてる。


今日という日も、そろそろ終わる。


今日1日を振り返っても、

振り返るほどのことは何もなくて、

それでも、時の流れの中、

たった一度の今日という日を過ごした跡だけが残ってる。


その跡も、残ることなく風化されて、

2007年10月18日という日は、

数字だけで私の人生の中に存在するだけになる。


何もなくても、確かにあった日。

今まで生きてきた中で、

どれだけの日々がただの数字で表されて終わったんだろう??


私の人生、数字だけで残るのかな??


そんなことはない。はず・・・。



だって、ちゃんとその日を生きてきた。

1日1日を、精一杯消化してきた。



だから、明日を迎える準備を

少しずつ、少しずつはじめているじゃない。



また明日がくる。



朝日を待つ事もない、

夕日に目を奪われる事もない

そんな明日でも、

私は確実に24時間という時間を消化する。










元気な時も、そうじゃない時も、

なんだかんだいって、笑えてる。


人間って、本当、案外強いよね。



占いが最下位だって、

なんだかんだいって、それを楽しんだり、

ばかみたいに、ラッキーアイテムを冷やかしてみたり、

そんなことしている内に、ちゃんと元に戻っちゃうんだもん。


おかしいね。



案外、気があってるのかもね。

こんなところ。



あとは、何を乗り越えれば、

何を吹っ切れば、

何をクリアにすれば、

真っ直ぐにいけるのかなぁ。




ねぇ?





居心地がよくて、

それに甘えてるのはわかってるんだけど、

その先に進むのが恐い。。。


キライになってくれたら楽になれるのに、

嫌われるのが恐い。。。


意地悪を言っても、しても、

どうして許されちゃうんだろう??


ホントの私の言葉に笑ってくれて、

ホントのホントの私の言葉に無口になって、

それでも、どうして責めてくれないんだろう??


なんで私なんだろう??



私が何をしたんだろう??

私が何を言ったんだろう??


どうしてそんなに私を受け入れようとしてくれるんだろう??



全部をもつから、

おいらに任せて。




どうしてそんなこと言ったの??

どうしてそんな優しいこと、言ったの??



傷つけたくないのに。

これ以上、もう傷つけたくないのに。

どうして私は傷つけようとしちゃうんだろう??

どうして私は突き放そうとしちゃうんだろう??

手放すのが恐いのに。

離れちゃうのが恐いのに。

どうして私は、信じることができないんだろう??

任せることができないんだろう??

素直に甘えることができないんだろう??



私、少し、疲れてるかもな。。。






日本に戻ってきてもうすぐ1年。


私は本当にあそこにいたのかな??

私の居場所は、本当にあそこにあったのかな??


この1年、辛い事も逃げ出したい事もいっぱいあった。

それでも何とか現状に満足いく生活を手にした今、

あの頃の自分が本当に自分だったのか解らなくなってきている。


あそこにいたのは、本当に私だったのかな??

あそこにいた私は、本当は誰だったのかな??


今でも、帰り道、ふと気付くとデジャブのように、

あの街の、私がかつて歩いた道を歩いていたような、

そんな錯覚に陥る。


気持ちを止めて、まっすぐ前を見ると、

そこではない、別の道がいつも続いている。


あそこには戻れない。


でも、



戻りたい。

戻りたい。

戻りたい。


戻らなきゃ。


私がいる場所はここじゃない。

私はここにいるべきじゃない。



早く。


早く。


ここから逃げ出さなきゃ。。。



でも、本当は違う。


現実とも非現実とも違う、

そんな場所で出会った優しい人に

ここにいる自分を認めてもらって、

嬉しくて、少し幸せで、

満足しそうな自分がこわいだけ。。。



前に進みたいのか、

ただ後戻りするだけなのか、


私はどこに行こうとしているのか。。。






私の答えは、私の道は、

きっとどこかに繋がっている。

私がこれから行かなきゃいけない場所に、

きっとそれはある。





はず。







何かを残そうと思ってはじめたブログも、

2ヶ月坊主で終わってた。。。(-。-;)

でも読み直してみると、1年前の自分が必死で前に進もうとしていて、

私、本当に頑張ってたな、なんて、ちょっと自画自賛(苦笑)


日本に帰ってきて、そろそろ1年。

色々あった1年。

迷って、悩んで、何がいいのか、全く見えなくて、

ほんと五里夢中って感じで、

それは今も変わらなくて、やっぱり迷ってて、

自分がどっちに行くのか、どっちに誘われているのか、

ちゃんと自分の足で歩いているのか、

それとも何かに引かれてそっちの方向に行っているのか、

何も見えなくて、

でもでも、毎日は必ずきて、

ルーティンでもなんでも、私は私でやってて、

こんな私でも、笑える日が今もあって、

それはそれで、幸せ、なのかな。。。


何かは変わってて、何かは変わってなくて、

時は流れて、過ぎて、振り返れば、そこには過去の自分がいて、

今立ち止まってみれば、今の私がいて、

顔をあげてみれば、これからの私がいる。


どんな時の私も、恵まれた事に光の中にいる。

光に包まれている私は、

どんなに目を細めてみても眩しくて見えなくて、

笑っているのか、泣いているのか、

怒っているのか、喜んでいるのか、

何も解らないけど、

光の中の私の足元には、その後ろには、

頑張って迷っていた分だけの影がある。


光と影の両面をもちながら、私はきっとこのままなんだろうな。。。


今、1番自分に言いたいこと。


頑張ったね。。。


今、1番自分に言い聞かせたい事。


幸せになろうね。。。


大丈夫。


大丈夫。


大丈夫。


頑張ったよ。


大丈夫。


これからも、きっと、ずっと、大丈夫。






今更ですが、岩井俊二監督映画のノベライズ版を読みました。

何となく手にとって読み始めたのですが、

言いようの無い切なさに胸がはちきれそうになりました。


映画も随分と昔に見たのですが、その時は、


「雪景色がきれいだナァ・・・。」


「中山美穂のショートはあんまり似合ってないなぁ・・・。」


なんて、どうでもいい事を思って終わった。


あれは、私が幾つの時だったんだろう?

初恋は終わっていたはず。

時が経つと、思うこと、感じる事が変わる、

というのは本当ですね。


で、何が切ないって、婚約者のほう。

死んだ恋人を思って出した、

届かないはずの手紙が届いてしまう。

しかも、それは恋人の初恋の人に届いてしまった。


絶対無いシチュエーションだけど、

それは置いといて、

もし返事をくれた人が、自分の恋人の思い人

。。。なんて、辛過ぎる。。。。

相手に死んだ恋人の昔の思い出を語らせて、


恋人はあなたの事が好きだったんですよ。

あなたも、彼の事が好きだったんですよ。


その事を気付かせるために、

手紙の返信をせがむなんて、

私には絶対出来ない。

っていうか、絶対にやらない。


自分が初恋の子と似ていたから愛されていた。

その事実だって、相当きついのに、

実は相思相愛だったという事を自ら暴くなんて、

自虐的行為もいいところ。


救いは、そんな彼女の事をずっと思い続け、側にいた人がいたこと。

まぁ、そう考えると都合のいいラブストーリーだけど。


とにもかくも、何が、私にとって泣き所になったかというと、

それは「初恋」でしょうか。


私が思うに、「初恋」って最初で最後の恋のような気がします。

人によって、「初恋」の時期って違うと思いますが、

大体の人は小学校高学年から中学校にかけてじゃないでしょうか。

その時期って、大人でもない、子供でもない、中途半端な時期で、

体も心も全てが成長途中。

そんな中での恋なので、真面目かそうじゃないかというと曖昧ですが、

曖昧だからこそ、思いはすごく真剣だったような気がします。


「好き」という感情を持て余して、

相手にその思いを伝えるのも、伝わる事も恐れていて、

それでも、視線は相手を追い駆けて、

聴力の限りを駆使して相手の声を捕まえていた。


昔読んだ、銀色夏生さんの詩で「恋の守り方」なるものがあって、


「恋は人に言ってはいけない。

誰かに言ってしまったら、その思いは私だけのものじゃなく、

みんなのものになってしまうから。」


それは、中学生などの恋は本当にその通りで、

誰かに「私、誰々が好き」なんて言ったら、

クラス中、学年中、はては学校中に知れ渡っている。


だからこそ、ひっそりと自分の思いを育みながらも、

しっかりとその思いを守っていた気がします。


その思いが実るか、否かは人それぞれでしょうが、

人曰く、「初恋は実らないもの」らしいですから、

多くの若き恋は破れ、結局、いい思い出として後年まで残る。


引きずっているわけではないけれど、その後の恋はというと、

「初恋」ほどの情熱って、あまり持っていない気がします。


ある程度の年齢になると、「恋人」がいるのが当たり前とか、

いないのは恥ずかしい、とか、そんな感情に流されて、

「好き」って言ってくれたから、付き合うとか、

別に嫌いじゃないし、いい人だし、

一緒にいてもいいかな・・・、とか、

恋人になる動機が薄くなってきている。


「初恋」のように守り続けるような思いを抱くことって、もう稀。

ずっと、ずっと思い続けて好きになるとか、

はっきりいって、あまり無くなる。


みんながみんなそうとは言いません。

ただ、「初恋」の情熱と比べた時、

今の彼/彼女に対する思いはどうなのかなぁ・・・、

と思うと、ちょっと切ない。


変な話、前の彼/彼女より、初恋の彼/彼女の方が気になるとか、

そういうこと、ありませんか?


私だけでしょうか?


「初恋」が淡き思い出になってしまった今、

わたしにとって、この作品は、

優しくも、痛かった、小さな傷を思い出して、

切なくて、涙が出てしまいました。



本の詳細はアマゾンで↓
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043441010/sr=1-3/qid=1159330791/ref=sr_1_3/503-2386540-8992768?ie=UTF8&s=books

帰ってきてしまいました。

仕事を探しに、NY。

が、自分探しの旅、NYに変更。


頑張ろうと、思った結果、違う頑張り方もあるのかも、

そんな結論を胸に、ボストン着。


やっぱり、ボストン、好き。


何の希望も野望も無くやってきたボストン。


こんなに大好きな街になったのも「出会い」があったから。


別れて始まったボストン生活。

誰かと出会うことを恐れていたボストンでの日々。

そんな中で出会った「人」との出会い。


アメリカに来て良かった。

アメリカで頑張って良かった。

全てが、感動と喜びに変わったのも、

ボストンでの日々があったから。

それに気づけたのは、今回のNYでの旅があったから。


ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。


言葉では言い尽くせない感謝の気持ちが次から次へと溢れてくる。


さぁてと、新しい旅を始める時期がきたな、と思う。


「旅に出ることは、別れることです。

そして、再開することでもあります。」


五木寛之さんの「ことばの贈り物」の一節。


別れたから出会いがあった。

出会いがあったから、別れがある。


そんな当たり前の事から、目を背けようとしていた。


出会いは永遠。

でも、別れは一瞬。

出会った人と、永遠に別れる事はない。

絶対、私の中で残るから。


別れは、再会への第一歩。


また、会える。


悲しい事は、ない。


ちょっと、寂しいだけ。


また、会える。


必ず、会える。


再会の喜びのために、

私は、頑張る。


頑張ったね。

頑張ってるね。


恥ずかしくない自分になる為に、

私は、頑張る。


でも、変わらない。


諸行無常。


世の中は変わっても、

大好きな人が変わっても、

私は、変わらずに、変わっていく。


いつでも、大好きな人にわかってもらうために。


「かわらないなぁ。」


最高の誉め言葉。

私は、変わらないよ。

私は、私ですから。



先週に引き続き、再度NYへ。

今日は、一日準備に費やしました。

2週間って、微妙な日にちで、しかもNYって場所も中途半端。

どの位の荷物にすればいいのか解らなくて、

一瞬手が止まってしまいました。


「スーツケースを使うほどでもないよなぁ・・・。」


と考えて、結局、ガラガラ式のちっちゃいスーツケースと

大き目の手提げに何とか荷物を詰め込みました。


3年前にボストンにきてから

殆ど出かける事もなく今まできたので、

2週間、家を空けることにもちょっと躊躇ぎみ。


それでも、自分の未来がかかっていると考えれば、

何事も前向きに考えるしかない。

これも、近い未来の為の準備。


幸い、受け入れてくれる方もいい人だし、知り合いもいるし、

とりえあず寂しい思いはしない。

それが救い。

今、ボストンで一人鬱々と過ごすよりは

前へ、前へ進む事が大事。

どうなろうとも、やるだけの事はやっている。

たくさんの人に迷惑をかけて、心配をかけて、

本当にこれでいいのか?って、

そうやっていつも迷って、苦しんでいるけど、

今、やらなくちゃいけないと、やっている限り、

それが、今、やらなくてはいけないこと。


正しいことも、間違っている事も、

今は、まだ解らない。

今が失敗に終わっても、後悔にだけはならないように。



奥田英朗、続けて読んでます(笑)。


それにしても奥田さんは幅が広いですね。

ある意味、危険ですよね。


例えば、村上龍や春樹であれば「っぽい」ものがあるのに、

それがない。


奥田さんでどんなの?


って言われたら、はてなマークはてなマークはてなマークになってしまいます。


私は伊良部シリーズを読んで彼の作品に惹かれて、

推理小説である「邪魔」も読んでから、

この「サウスバウンド」まで来たのですが、毛色が違いすぎ。


だから固定の読者をつけるのが難しいんじゃないですか?

もし「邪魔」から読んでいたら、彼の作品を読み続けようとは

絶対思いませんでした。

そういった意味では、とても難しい作家さんかも・・・。


「サウスバウンド」は評判も良かったし、

直木賞も受賞していたようなので、

そういった意味では手に取りやすい、

いやいや、

手に「取られやすい」作品だったかもしれないですね。


今回のこのお話は、

元過激派でエキセントリックなお父さんに振り回される家族の

東京と沖縄での出来事を小学校六年生の息子の視線から語られるというもの。

ありがちと言えばありがちだけど、そうならないのが、

語り手の息子、次郎君の世代に合わないませた口調とツッコミゆえ。

また一部、二部と分けて描かれているその舞台が絶妙。


一部は、東京、中野区。

公立の小学校に通う次郎少年の視線で語られる

街の様子、家族の関係、友達の関係が

郷愁とも哀愁にも似た感傷をもたらす。


中野に一度でも行った事がある人なら解ると思いますが、

あの町って、古いものと新しいものが雑然としていて、

それでいて、「古きよき時代の日本」、って感じが本当にするんですよね。

だから、元過激派がひっそり暮らしていても、なるほど、ってなるし、

中学受験にふりまわされている現代っ子もいたり

その反面、昔ながらの不良中学生がいるっていのも頷ける。

そういった意味でも、今回のこのお話の舞台にはもってこいの町。

うまい!!って思いました。


二部は、沖縄、西表島。

東京の雑踏からがらっとかわって、青い海と緑の山に囲まれた島での

上原一家の波乱万丈な日々が描かれています。


一部と二部で場所を変えて描かれる事で、

一度ブレイクを入れる形になりますが、

それでもお話にメリハリを作っている所は流石です。


アマゾンさんのレビューでは一部と二部と好みが分かれる

評価が多数ありましたが、私は二つを分けて見るより、

通して考えた方がより深く内容を理解出来ると思います。


東京での日々があるからこそ、沖縄での日々がある。

語り手の次郎少年の、東京からの出来事を通して成長し、

沖縄での生活の中で徐々に破天荒な父親との関係を

息子と父親、そして男と男の深い絆に変えていく様子は

切って離して読み通す事はできない。


例えば、一部で居候をしていた青年が

団体の命令に従って殺人を犯す。

元過激派で伝説の活動家の父親は言う。


「革命は運動ではおきない。

個人が心の中で起こすものだ。」


自らの人生を、自らの言葉で戒め、否定する言葉。

それでも信念だけは曲げない。

自分に正直に生きようとする。

それは次郎少年にとっては父親からの無言の教えであり、

その父親の存在は反面教師でもある。

それでも、何が正しくて、何が間違っているのが、

それを考え、見極めるのは次郎少年次第。


「世の中にはな、最後まで抵抗することで

徐々に変わっていくことがあるんだ、

平等は心やさしい権力者が与えたものではない。

人民が戦って勝ち得たものだ。

誰かが戦わない限り、社会は変わらない。

お父さんはその一人だ。

おまえはお父さんを見習わなくていい。

お前の考えで生きていけばいい。

お父さんの中にはな、

自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。

それに従わないと、自分が自分じゃなくなる。

要するに馬鹿なんだ。」



馬鹿なんです。

馬鹿だから正直にしか生きていけない。

馬鹿だから信念を貫き通そうとする。

賢い人間は、社会を変えようとはしない。

賢い人間は、自分を守るのです。

馬鹿だから社会を変えようとする。


それ以外の答えを私は見つけられませんでした。



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