栂海新道(2022,9,14~16)後編 | クララのブログ

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ハイキング、トレイル、登山など、山を中心とした活動の記録です。

黒岩山を下ったところにある文子ノ池でお昼にしました。なにせほとんど人は歩いていません。歩くには経験と体力と覚悟が必要なため、限られた人しか行かないからです。おかげでスペースが少なくても休憩をどこでもとることが出来ます(笑)ミヤマママコナ 

屋久島の矮小化したものを思い出し、比較したくて写真を撮りました。ツバメオモトの実は宝石のような色をしています。サワガニ山が見えてきました。この山と小さいピークも入れて数えると、あと4つピークを越えれば水場があるはずです。さわがに山山頂です。

ここまでは普通の安全な(?)登山道だったのに、ここから急に高度感ある細尾根が続くようになります。途中で道がつけ代わっていました。まだ新しく掘削したばかりで歩くのに苦労しました。迂回路を抜けて振り返ると、元々の道は崩落して無くなっているのが分かりました。細い道が続きます。この日の最後のピーク、犬が岳が見えてきました。思った通りのところに水場の看板がありました。看板から5分ほど下ります。気持ちよく水が出ていました。とても美味しい水で思わず何度もお替わりしてしまいました。ここで最終ゴールまでの水を調達します。ミヤマコゴメグサ 

水を調達したため、一気にザックが重くなりました。それでもあと少しで山荘だと思えば頑張れます。本日最後のピーク、犬が岳到着です。ここを下れば本日の宿泊地、栂海山荘です。見えてきました。少し登り返して13:30に山荘到着です。無人小屋ですが、地元のさわがに山岳会の方たちが愛着をもって守っている小屋です。よく整備されていました。この日の宿泊者は私を入れて7人でした。スペースは十分ありましたので、二階を一人で使わせていただきました。小屋前のオヤマノリンドウは花が大きく見ごたえがありました。 

栂海新道は宿泊できる場所が限られているため、同じ日に歩き出すとどうしても同じ行程で移動することになります。この日、栂海山荘に泊まった人のうち4人は前日朝日小屋でご一緒だった方たちでした。残りの2人は逆ルートを歩いている人たちでした。同じルートを歩いている人たちのうち3人はガイド山行(ガイド2人+お客様1人)、1人は単独行でした。

ガイド山行で来ている女性は76歳で、どうしてもこの道が歩きたくて来たのだそうです。単独行の男性は6日前に山に入り鹿島槍ヶ岳、白馬を経て明日、下界に戻るとのことでした。

この単独行の男性、いろいろ話をしていてビックリしたことがあります。なんと6日前、扇沢駅から柏原新道を登り初日は種池山荘に泊まったというのです。その日、私も仕事で種池山荘に泊まっていました。奇しくも同じ小屋に泊まっていたのですね。不思議な出会いがあるものです。翌朝、小屋からの風景です。

皆さん、あっという間に出発し、小屋を出たのは私が最後でした。これから歩いて行く山々が見えています。最初から厳しい道が続きます。あっという間に栂海山荘が小さくなりました。

どんどん高度を下げていきます。ナガバノコウヤボウキ 

最初見たとき、コウヤボウキだと思いました。しかし葉があまりにも違うので調べてみたらナガバノコウヤボウキでした。タマゴダケ 

食べられます。白鳥小屋に到着しました。小屋は白鳥山頂にあります。改装している最中でしたが、ゴールしてから地元の人に聞いたところ、トイレは携帯トイレブースを検討しているそうです。携帯トイレは山の常識になりつつあるのを感じました。白鳥山から快適に下り、シキ割の水場に来ました。枯れているのではと思ってましたが、細々と出ていました。栂海山荘より北はあまり水を当てにしないほうが良さそうです。

白鳥山から金時の頭まではほんとうに快適でどんどん飛ばせるような道でした。ところが金時の頭から坂田峠までは急で階段も多く、慎重に歩かなければならないような道でした。一体どこまで続くんだと思う頃、坂田峠に到着しました。ここは旧北陸道との交差点でこんな石仏もあります。

坂田峠からは里山歩きになりますが、相変わらずアップダウンの繰り返しはあります。

あまり見たことのないきのこをいろいろ見つけました。タマシロオニタケ 

毒キノコです。タマゴタケの幼菌と思われます。尻高山山頂手前から日本海が見えました。朝日小屋のおかみさんから「日本海が見えてからが長いのよ」と聞かされていましたので、まだまだと気を引き締めて下ります。二度目に日本海が見えたのはかなり降りてきた感がある場所でした。ゴールです。先ほどの地点から5分でした。

下山後、親不知観光ホテルで和菓子を買いました。その名も栂海新道。朝日小屋で出されてたお菓子です。歩き終えて疲れたときに小屋で食べたこの和菓子の美味しかったこと。

帰宅したあと、長かった栂海新道の旅を思い出しながら味わったのでした。

                          ・・・完