生産性の定義を明確に | 秋山のブログ

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以前も少し書いたことがあるが、今回取り上げるのは「生産性」という言葉についてである。というのは、菅原氏にご指摘を受けたこともあって、氏のブログを再度パラパラ読んでみたのだが、この言葉がやはりトラブルのもとになっているようなのである。きちんと整理してみよう。

 

生産性を辞書でひけば、生産過程におけるインプットとアウトプットの比である。インプットもアウトプットも様々なパターンがある。重要なインプットとして労働があるが、労働者一人当たりで割る他に、労働時間あたりの生産性を考える場合もある。アウトプットも、生産量であったり、生産額であったり、付加価値額や粗利益であったりする。ちなみにこれはミクロ的な視点だ。マクロ的な生産性の場合、GDP(全ての付加価値の合計)を労働者の数で割ったものある。こちらは国民経済生産性と呼ばれることもある。

 

引っかかったページは、藻谷氏が、生産性が高まることで経済が没落することを説明した文章に対して、菅原氏が批判したものである。確かに藻谷氏の場合、どうも生産性の定義がはっきりしない。人員削減を進めて生産性を上げるのは、一企業のすることで、ミクロ的な視点である。付加価値の定義が奇妙奇天烈なこともあって意図を掴みかねるが、アウトプットを粗利益にして、賃金削減を生産性向上の方法と考えているのかもしれない。藻谷氏の主張を理解するのは確かに困難だとは思うが、一方菅原氏はマクロ的視点であるGDPを割ったもの一辺倒である。私もしばしばアウトプットを生産量の意味で使ったりもするが、菅原氏の私に対するコメントもそういうことなのだろうと思われる。

 

そのページを見る限り、需要不足がおきている状態というのは、菅原氏は考えていないようだ。一応、技術が上がって、一人あたりの生産量が上がったのに経済が停滞する、大恐慌初期に米国で観察されたそのカラクリを書いておこう。

失業者が生まれたフェイズで総収入が同じだとしても、その分配は変化している。収入によって消費する率は違うのでその分配の仕方によって次のフェイズでの需要は変化しうる。失業者が新しい仕事を見つけ収入を得るためには、失業者が以前もらっていた分配が失業者の新しい仕事を利用してくれる人に渡ることと、利用してもらえる価値のある仕事が見つかることの両方が必要である。それが上手く行けば全体としてどんどん成長していく。逆に、有り余る程の金を持っていて特に新しい何かなど欲しくない人々に渡れば需要は減る。さらには失業者の存在が労働市場を悪化させ、さらに悪い方に分配が進むこともあるということだ。

菅原氏は別のページで格差は経済を悪化させないと主張(おそらくは格差と繁栄がトレードオフという根拠が希薄な話を鵜呑みにしている)しているが、格差が景気を悪化させるのは消費率が違うというのが機序だ。トレードオフであるという嘘を定説にするために、ルーカスは格差の研究をすること自体を否定し、非自発的失業をエビデンスではなく、罵倒と政治圧力で封殺した。