経済軽視にあらず | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

福島香織氏が習近平の演説に関する記事を書いている。そこに気にかかるポイントがあったので、それについて。

 

福島氏も新古典派のプロパガンダに騙されている。『具体的な経済成長戦略、たとえば市場改革』などと書いているように、市場改革、すなわち中国の場合市場開放が経済成長を促すと考えているようだ。金融の市場開放は、経済成長の絶対条件のように、もしくは強力な推進要素のように喧伝されてきているが、日本の金融ビッグバンでも分かるように、そんな素晴らしいものではなく、日本の場合はむしろ景気の足を引っ張るものだった。

 

文中に出てくる中国経済専門家のオーサー・クロエバーも同様だ。彼によると習近平の演説は『政治を重視し、経済を軽視し、国有企業を重視し、市場を軽視し、党の指導を重視し、政府機能を軽視している』とのことだ。

国有企業が非効率というのは、必ずしも正しくない。スティグリッツ教授が指摘する通りである。これは、完全に新古典派経済学者のプロパガンダの影響である。何故そんなプロパガンダがなされたかと言えば、国有企業が優勢になれば、投資家が儲ける道が狭くなるのである。

市場が重要だというのも、プロパガンダであり、詭弁だ。市場と言って経済で重要なのは、市場機能であって、金融市場などの市場ではない。この、語句の意味をすり替えるという手口は多用されている。金融市場によって供給される投資も別の様々な意味で使われる。例えば生産関数に出てくる(他にも生産関数には問題があるが)投資は設備投資であって、他の意味の投資ではありえない。

 

胡斗星も同様の勘違いをしている。『民営企業の多くは投資を望まず、むしろ資金を外国に撤退させたいと願っている』と経済的に問題がある状況であると考えているようだ。しかし一旦技術を得てしまえば、外資に高い配当を払わないですむなら払わない方がいいのだ。途上国にとって直接投資が生産性を向上させるのは、同時に技術が流入するからであって、”投資”がなされたからではない。

 

人民元は既にかなりの地位を築いている。であれば中央銀行が発行した人民元をドルに変えるなどして、企業を買い取ることで技術をタダ取りすることもできるのである。

中国経済には、腐敗や汚職などのマイナス要素も多々ある。それでも上手く運営するために、新古典派に騙されずに、最善に近い手を打っているように思われる。決して経済軽視ではないだろう。