利子とは | 秋山のブログ

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利子とは何かと問われれば、貨幣の貸し出しに対する見返りである。将来時点における貨幣の価値に貸した貨幣を合わせるための代償と考えることもできる。ただし現実的には、金銭の時間的価値だけでなく、金融機関の提供するサービスの対価、債権の貸倒れに対する保証料も含めて考えなくてはいけないだろう。

 

ケインズの流動性選好説における定義であれば、流動性の高い貨幣から不便な証券に変えることの代償となっている。もちろんこれは当時の社会状況ゆえの判断であって、ケインズに傾倒する経済学者も多くはそのままではなくて、より広い意味で捉えているようである。また、この考えは単純な需給曲線で考えることもできるので、適当な利子論のない新古典派も取り入れている

しかし、貨幣が内生的(投資の量によって貨幣量が決まる)であるという事実から考えれば、現実とは一致しない。事業は生産市場の需要予測によって増減するものであり、実証的にも利率の影響は極めて限定的である。この誤りは、証券への投資と、融資や事業をおこす投資という全く性質の違うものを、一緒くたにしてしまったことによるだろう。

 

利子を考える上で、貨幣の本質を理解しておくことは必須である。貨幣は借り入れによって発生し、売買によって持ち主を変えるだけで消えたりせずに、負債の返済によってのみ消滅する。この動かしがたい事実から分かることは、誰かが貨幣を保有しているということは、別の誰かが負債を負っているということである。また、貯金に利息がついてそれが増加したとするならば、新たに負債を負ったものが存在するということであろう。従って利子が存在するということは、経済も時間の経過とともに拡大していなくてはいけないはずである。拡大の方法は、人口が増えてもよいし、一人あたりの生産量が増えてもよい。手っ取り早いのは物価の上昇だ(価格がどのように決まるか考えれば、一番単純だ)。そしてそれらはすなわち経済成長ということなので、利子率は当然成長率以下でなければ、歪な借り入れがおこなわれているということになる。

 

貨幣の貸し出しに対する利益は、利子の他に株の配当等もある。配当は企業の収益によって左右されるが、赤字でも配当されることはあり、配当を準備するために従業員の賃金が抑えられることもしばしばなので、利子とほとんど同じ性質のものと考えて良いだろう。

以前話題になったピケティ氏の21世紀の資本論では、資本に対する利潤率が成長率を超えることが示されていた。一方、さらにずっと以前にあった成長率金利論争では、マンキュー先生の研究だが、国債の利子率がほとんど成長率を超えないという話であった。一見矛盾するようにも見えるが、国債の金利は、通貨発行権のある国においてはノーリスクの、基準ともなる金利である。これが成長率より大きいとなると、他の貸し出しのほとんどはさらにそれより大きくなり、平均して事業が立ちいかなくなるだろう。利潤率の方は、様々な貸し手がおり、もらった配当をすぐにでも使ってしまう者もそれなりにいるために、得られた利潤の少なくない部分が使われている(適正な保証料やサービスの対価も使われているものに入る)ので、成長率より高くても成り立っていると考えられる。もちろん金融資本の大部分を持つ超富裕層は、使い切ることもできなければ、使い切る気もないので、利潤率が高いことは、不況を引き起こす拙い状況だ。(ある時点での利率を考える時は、国債金利と配当の利率の乖離がある場合もあるので、留意しておく必要もある)

 

景気に対して利率が影響を与えるのはよく観察されるところである。利率、特に基準となる国債の金利を上げると、失業率を上げるなど実証上確実に悪影響を与える。利率に影響を与えようとする政策が金融政策(下げるのは金融緩和)である。

利率が何故景気に影響があるかという話で、常に出てくるのが設備投資である。しかし、繰り返しになるが、設備投資は主に有効需要に支配されているものであり、事業における利率の影響は限定的であるというのが、実証上の結論である。利率が問題になるのは、これは配当もそうであるが、実体経済における貨幣の循環から、貨幣を漏出させていくものだからである。有効需要が減少するだろう(その分労働者の賃金を圧迫するからという理解も可能である)。

経済が勝手に最適状態になるというのは全く根拠のない絵空事であって、配当を含めた利率は監視し、コントロールすべきであろう。長期で金融政策が無効だなどというのは、長期でみると勝手に最適状態になるということが根拠であって、全くナンセンスだ。高い利率は成長を抑制する(下げたら、出口戦略でいつか上げなくてはいけないなどという考えもナンセンスだ)。そして高い利率は成長がなければ実現できない。利率による抑制がない状況であれば、成長率は技術等の進歩の速度に依存するだろう。