景気対策は臨機応変に、その原因を見極めて | 秋山のブログ

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「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から。

 

第9章では景気対策に対するフリードマンのお馴染みの間違った主張が取り上げられている。P118『裁量的な財政政策によって、人為的に調整を加えることは』正しくないという話だ。その理由をいくつかあげている。

 

タイミングの問題は、よくある主張である。問題がおこってから政策を実行に移すまでは相当な時間がかかる。この間に状況は変化してしまい、政策は意味のないものとなるというものだ。この間違いのもとは、景気は自然に変動するというもので、観察される不景気はその変動の過程に過ぎないという考えにある。景気の波に関しては、経済学において相当前から主張されているが、強固な裏付けがあるわけではない。要するに、一部の経済学者が主張している仮説に過ぎないのだ。従ってタイミングが必ずずれて無効になる、もしくは害があるなどという主張は、根拠の希薄な意見の域を出ない。さらにこの考えは、不況のおこるメカニズムを考えることを放棄させるものでもある。同じ不況でも原因は様々考えられる。何も考えずに財政政策をおこなうのではなく、その原因に直接対応した方が効率もよいだろう。その正しい方向性も台無しにする考え方なのである。

 

予期せぬ副作用という主張では、またしても恒等式の誤謬が出てくる。それはともかくこれは無意味な意見だろう。主流派の経済学が、間違ったモデルで考えていたり、重要な要素を簡略化しすぎて無視したり、正しい基礎付けをおこなっていないために予測能力が低いだけで、マクロ経済において想定外のことはそうそう起きない(例えばサブプライムローンの破綻だって、仕組みを理解していれば、極めて低い確率のことがおこったわけでなく、必然であることが分かるだろう)。逆に言えば、あらゆる政策において不測の事態がおこる背景には、見逃し、間違った理論等の要因がある。予期せぬ副作用などと言うのは、自分の無能さを自白しているようなものである。

 

政治との相性の悪さというのは、かなり奇妙な主張だ。

景気が悪い時に税収がなくて赤字になっても、とにかく国がお金を使うことは有効な施策である。しかしこれが都合が悪いと言うのだ。P120『世の中が必死に倹約している状況で政府だけが派手にお金を使うのは、どうしてもイメージがよく』ないなどと言っているが、本当に普通の人がそのように考えるのだろうか。経済学の素養がなく、国と家計を混同しがちな一般の人でも(それをやらかす経済学者も少なくない)、国のお金の使い道と自分たちの消費を同じように考えることは少ないだろう。国が福祉に使う場合でも、事業をおこなう場合でも、現在困窮している生活を改善してくれるということは容易に分かるはずだ。

景気がよい時に、財政を引き締める提案をしても、賛同を得られないということも書かれている。しかしそもそも景気に水をさす必要がありうるかどうか疑問である。日本のバブル期には、財務省が何か使い道はないか各省庁に聞いて回っていたという話も聞く。ようするにそこで無理しなければ、自然に引き締める状態になるということだ。景気が加熱しておこることは、低い失業率、賃金の上昇、それより低いインフレ、個人消費の増加、格差の縮小であって、ほとんどの国民にとって悪いことは何もない。景気が加熱するとバブルが発生するなどともっともらしく語られたのを見たこともあるが、そうなるメカニズムは存在せず、全くバカバカしい話だ。

 

財政政策は対症療法に過ぎず、症状を和らげるだけという主張は微妙だ。原因がはっきり分かっている場合、それとは違った財政政策を単純にとっても確かに効率が悪いだろう。しかし原因を直接改善するような財政政策を取ることが出来たのならば、治癒と言えるレベルまで持っていけない理由はない。当然多くの場合、減税よりも政府支出(特に分野を選んで)の方が好ましいだろう。

この作者は、減税を選ぶのも、政府支出を選ぶのも差がなく、政治的立場の違いであると考えているようであるが、実証上税を集めて同額政府支出することで多くの場合景気がよくなる。作者の考えは間違いだ。

 

結論は表題に書いた通りである。