科学的根拠による基礎づけを | 秋山のブログ

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人体は経済に劣らず複雑なものである。個体差も大きく、様々な要素が絡んでくる。例えば、同じ量の解熱剤を使えば、同じように熱が下がるとは限らない。より正しい治療法を選択するために、人体の構造や細胞の機能、臓器の機能を調べ、病態のメカニズムを理解する必要がある。おこなわれる前に試される必要もあるし、実際におこなわれた際のデータも集積され検討される。もちろん、最初から完璧な理解などできるはずもなく、それどころか完璧な理解に到達できる可能性もないが、それに一歩でも近づけるために修正が繰り返される。さらには、完璧に近づけるために理論同士の関係にも注意が払われる。相互に矛盾する理論は修正を強いられるであろうし、合致した場合はその確かさが補強される。

これは医学に限らず科学では当たり前の方法論だ(この方法論自体も、現実によって、繰り返しその正しさが確認されたものでもある)。比較的単純で正確な計算が可能な力学であってもそうであり、例えば大昔は重い物の方が早く落ちるという考えで重力を考えており(万有引力で考えれば正しいことだが)、空気抵抗という修正が入って正しい理解となった。

 

経済学はどうかといえば、一見同じようなことをしているようにも見える。マクロ経済学におけるミクロ経済学による基礎付けなど、メカニズムを探る行為と言えなくもない。しかし決定的に問題なのは、ミクロ経済学が現実的であるかどうかということに注意が払われていないことだ。科学的方法論として重要な部分が完全に欠落しているのである。この不思議な考えはフリードマンにおいても見られる。『帰結が観測結果と一致しさえすれば、仮定はむしろ非現実的であるほうがよいというがごときものいい』はまさにそれだろう。本来経済学は精密な予測などできないものであるから、物理などの強固な理論と違って、単独では胸を張れるような一致など期待できず、現実的な仮定、整合性などの補強が必須のはずである。

 

さてここで話をちょっと医学にもどそう。

現代医学を西洋医学と呼び、それに対を為すものとして東洋医学を考える人がいる。しかしそれは内容を理解していないための誤りだろう。東洋医学は、明らかに有益な薬や治療法がたくさんあるが、宗教的な理論を根拠にした体系であり、科学としてはなりたたず、対等の立場にはない。

何故、この話を出したかと言えば、これはフリードマンの主張に通ずるからだ。漢方の陰だ、陽だ、温めるだ、冷すだといった理論に従っても、有効なことはある。漢方の理論が分類する上で特徴の一部を捉えている可能性は高い。しかし、本質を捉えた分類ではないので、別のものが混ざっている危険は大きく、そして別のものであった場合、無効なだけでなく有害なことだってありえるのだ。

漢方を西洋医学で理解するのは無理ではない。科学的理解をしようとする試みはおこなわれ、ここ数年の進歩は著しい。そして、例えば小児のための薬が老人に使われて成果をあげるなど、東洋医学が長い時間をかけて得た考えが違っていたことを示す証拠が、僅かな時間でたくさん出てきた。優れた薬も多い漢方薬は生き残るだろう。しかし、それがどのようなものに対して効いて、何故それが効くのかといった知識は生まれ変わり、東洋医学の理論が生き残ることはないだろう。長い時間をかけて作られたとか、伝説の人物が作ったとかいう話に価値はない。

同様にフリードマンの方法論で経済学を4千年発展させても正しい理論にたどり着くことはないだろう。必要なのは、現実の裏付けのある理論を積み上げることだ。そして、漢方を通常の医学で理解し直すできるように、経済学もエビデンスに基づいた科学的な方法によって再構築できるはずだと思う。

 

経済学においてもエビデンスを重視する人たちは存在する。少し前に売れた「「学力」の経済学」という書籍の著者はエビデンスを重視する立場であるし、応用経済学は個々の研究でエビデンスを利用しやすい。以前紹介した「拡大する直接投資と日本企業」の著者も、エビデンスを重視すべきであるという考えは持っていた。少なくとも著名な経済学者の発言だから正しい(しばしば実証上は違った結果が出ていても)といった科学的でない態度は改めるべきだと思われる。

 

ここで参考として、EBM(根拠に基づく医療)を取り上げてみよう。Wikiのリンクを貼っておく。(Wikiはさらっと見てもらうとして、Wikiの問題点として、EBMが『「純粋科学」たるドイツ医学から、生理学的裏付け』は重要視しない『英米型医術への転換』というニュアンスがあるという意見には与しない。例えば生理学的に効果があることは分かっているが、現実でどれほどの影響があるかはエビデンスがなければ知り得ないことも多いわけで、ドイツ型医学であってもエビデンスは重要であり、EBMの作業はドイツ型医学に矛盾しない。また、生理学的裏付けを無視すれば、どれだけ研究者がいても研究し尽くせないだろう)

EBMを経済学の参考にする上で注目してもらいたいのは、「エビデンスレベル」と「推奨の度合い」である。一応権威者の意見もエビデンスの中に入っているが、これは紛れも無く最下位だ。権威に流されるという反科学的な態度を戒める意味だけでなく、これが確かでないことは納得できることのはずである。

経済学は残念なことに、大規模な実験をすることは困難だ。特にマクロに関するものでは、規模も期間も、医学における研究とは比較にならないほと困難だろう。結局エビデンスレベルは、III又は、3以下のものしか行い得ないであろう。しかし、それらは全て、権威者の意見より重要なのである。

経済学への応用として、例えばこんな風に使うのはどうだろうか。「マクロにおいて、賃金の上昇は失業を増やす」という命題は、権威者の主張なのでエビデンスレベルIVだ。しかし、それを裏付ける研究はなく、エビデンスレベルIIIの多くの研究において、否定する結論が出ている。すなわち、この命題は、推奨レベルDの「行わないよう勧められる」ものということになるだろう。

このようなダメな命題は、山ほどある。例えばトリクルダウンはその最たるものであろう。需給曲線にもその証拠はない。しかしながら、経済学を学ぶ少なくない人間が、ダメな命題を前提にものを考える。そして現実が一致しなければ、一致するようにおかしな理屈を作り上げる。その結果、嘘をついた人間がますます嘘を重ねなくてはいけなくなるように、経済学はカオスの状態となり、収集がつかなくなった。だからエビデンスを重視し、法則等を整理し直す必要があるのである。