フリードマンの方法論の誤り | 秋山のブログ

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経済学上のモデルに関して、その考え方の問題に関してググって調べていたら、ずいぶん古い議論が出てきた。2002年頃の文章である。東北大の数学者である黒木玄氏と塩沢教授の議論である。黒木のなんでも掲示板2の47(続きはアドレスの最後の数字を上げていくと移動しやすい)の終わりから塩沢教授は参入している。

読んでみればなかなか面白い。ヒントになるような話も、これは上手いといった表現もたくさん出てくる。
しかも全く現在も通用する話であり、逆に言えば現在この時点から、経済に関する理解には全く進歩がなかったということかもしれない。

経済学における数学の使い方の問題に関して、塩沢教授の論文を黒木氏が取り上げていた。この論文は共感できる文章である。黒木氏もほとんど変わらない感覚をもっているようにも思えるのだが、ちょっとした表現に対して、文句を付けている。(貯蓄性向の問題に気付いていないようなところは、インタゲ派というところだろうか)

フリードマンの主張のおかしな点に関する塩沢教授の説明はたいへん分かりやすい。
『一本の木に繁る葉は、どのように配置されているであろうか。フリードマンは、次の仮説を提出する。
フリードマンの説明仮説
葉はあたかもさまざまな位置で受けとる陽光量を物理法則を知っており、ある位置から他の望ましい、空いている位置に急速にまた瞬間的に移ることができるかのように、葉はあたかもそれぞれの葉が、その隣の葉の位置を所与として、受け取る陽光量を慎重に最大化することを追求するかのような位置をとっている。(中略)
植物は意識を持っていないので、木が計算したり思考したりするという面では、上の仮説はまったく偽である。しかし、そこから導かれる葉の繁り方が仮説から導かれるものと一致しているならば、この仮説は有益なものであり、仮定としておかれる「あたかも・・・かのように」と語られる内容がいかに非現実的なものであろうとも、そのことによってこの仮説は棄却されない。(中略、塩沢教授は反対する例として葉の位置を説明する別の仮設を出し、比較している)
フリードマンは、理論構築の努力が新しい問題意識と仮説を生み出し、実験や観測を準備し方向付けるといったことに注意しない。かれにとって理論は、事実を分類放り込むためのブァイリング棚にすぎない。かれには、理論を育てより完全なものにしていくという科学の一番重要な営みに対する配慮がない。過去の経済学の論争において問われたのは、大気が真空とおなじとみなせるかどうかではない。どのような仮説体系のもとに、検証作業・理論構築作業を進めていくかという路線を巡る争いである。帰結が観測結果と一致しさえすれば、仮定はむしろ非現実的であるほうがよいというがごときものいいは科学の方法を議論する仕方としてはきわめて不用意なものと言わざるをえない。』
フリードマンの説明は、先日書いた質点の話とかぶるものがあるだろう。さて、この説明を読んで私が気がついたことは、現代の経済学がしばしば揶揄されている地動説でも成り立つということだ。太陽や惑星が地球のまわりをまわっているとしても、暦を作る上で問題なく、次の位置も正確に予想できる。金星等が我々から見て時に移動の方向が逆になったりすることも、経済学における弾力性のような感じで、そのような性質があるとすれば、それなりにおかしいこともない。しかしこれは、暦の時は役にたっても、ロケットを大気圏外に飛ばそうと思えば、意味がなくなるだろう。(葉の位置の話は、むしろこういう間違いをしてはいけないという例として使えるかもしれない)
理論で重要なのは、多数の視野からの度重なる検証と、それで実用的なモデルを作ることができるかということである。他の理論との整合性は、無視してもかまわないどころか、逆に重要視すべき点であろう。

あえて順番を逆にしたが、落体の法則について。
『落体の法則は、「真空において落下する物体の加速度は一定値gであり、物体の形状、落下の仕方などから独立である」という命題をいう。この系として、落下距離をS、落下始めてからの時間をtとすれば、S=(1/2)gt^2という「公式」がえられる。(中略)
すなわち、公式は真空を仮定していると。(p.18)
この最後の一文は、経済学で完全競争や利益最大化などを仮定するのは、上の問題においてあたかも「物体が真空中を落下する」と考えて、運動方程式を導きだそうとするのと同じことだと言うためである。(中略)
物理学では、空気抵抗を考慮した理論は、あらたに創造しなくても、すでに獲得されている。すでに空気力学がかなりの程度に出来上がっており、一気圧の空気中の落体についてもそれが第一近似としては空気抵抗を無視できる程度のものであることが分かっている。本当に問題にしなければならないのは、経済学と物理学のこの差異であろう。実際、この理論・観測体系がなければ、S=(1/2)gt^2がどの程度の領域まで適用可能かも、見通すことはできない。フリードマンは、この点で問題をまったくミスリードしている。』
このブログを書き始めた当初、経済学の方法論が全くなっていないという話である方と議論した時に、まさに同じような話になっていた。彼が言うところでは、何らかの理由(彼は落ちてきたものを手でキャッチしたことを例にしていた)で万有引力の実験が予想外の結果になっても万有引力は間違っていることにならないでしょうということだった。そこで彼に対してした私の答えは、成功するまでは正しいとはけっして言うべきではないということだ。経済学で利益最大化などの空気抵抗の部分がうまく理論化できないからといって、経済学のS=(1/2)gt^2の部分を肯定して話を進めていはいけないのである。
それから、経済学におけるS=(1/2)gt^2で思いついたのが、希少性によって価格が支配されているという考えだ。現実を観察してみれば、希少性はむしろ空気抵抗にあたるものではないだろうか。落体の法則で、重力を無視して空気抵抗だけで式を作っているように思える。生産者はコストに利益を載せて価格を考えるし、消費者は自分の中のそのものへの価値で考えるのが現実ではないだろうか。モデルは証明できるように、現実に合わせて作っていかなくてはいけない。