立ち上がれ!トラック野郎 | 秋山のブログ

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日経BPで重要な記事を見かけた。大統領選などのニュースに紛れて見逃される恐れのある記事だが、是非ご一読願いたい。「社会的に容認???定年後再雇用「年収3割減」」という記事である。仕事内容等に違いがないのにもかかわらず年収を3割削減された運転手が訴えて、一審では勝訴したにも関わらず、二審の高裁で逆転、棄却されたという話である。

 

この時の高裁の指摘が興味深い。『企業は賃金コストが無制限に増大することを避け、若年層を含めた安定的な雇用を実現する必要がある』というものだ。

一人が生産するモノの総額が上昇するためには、いずれかの経済主体が借金をして購入するという方法もあるが、一般的には消費者の収入が増加しなくてはいけない。モノの総量が増えるにしろ、モノの質があがるにせよ(何も変わっていないのに価格だけ上がることももちろんありうる)、そうでなければ買えないのだから上がりようがない。すなわち、一人あたりの賃金コストの増大こそが経済成長なのである。高裁の指摘は経済成長しないようにすべきだと言っているのに等しい。

若年層の雇用のためにというのも、フリードマンあたりが喧伝している新古典派の嘘に基づいている。マクロ的に賃金の減少で失業が減る証拠はない。現実の研究はむしろ正反対の結果を示している。

 

賃金の金額が下がらなくても、設備の改善等で労せず生産性を改善できた場合を除いて、時間あたりの生産性の上昇に対して賃金を上げなければ、それは賃金の減少と等価である。記事にもあるように、トラックの運転手は、実質的な賃下げがずっとおこなわれている。フリードマンの言うような、雇用者が競争して自然に適正な賃金で雇われるなどということには、証拠がない。雇用者と労働者の立場の違いは大きく、労働者に強力な交渉手段、交渉能力があってやっと対等に近い状況になるだろう。フリードマンの信者でなくて、程々の観察力がある人間であれば、容易に理解できるはずだ。

 

労働者の交渉力が重要であるという事実は、半世紀前には常識であった。春闘のころになると、電車が止まって迷惑だと感じながらも、重要なことなので仕方ないことと思っていた。しかし現在の多くの若者は、このことを理解しているだろうか。

この悪しき傾向は、共産主義が崩壊して、正しい道であったはずの修正資本主義に対して共産主義的というレッテル貼りの攻撃がなされた(有効になった)ことによる。そして新自由主義の経済学者が作った詭弁を、労働者が論破できなかったことだ。

雇用を守るために賃金上昇を諦めるという、マクロ的には間違った選択を労働組合はとることになった。

組合活動による賃上げはより弱い労働者の犠牲の上で成り立つという詭弁や、途上国の労働者を例として持ち出して労働者を贅沢者扱いもした。また、上げろというなら海外にでていくという脅しもおこなわれた。それに対する対処法はいろいろ考えられるが、対処できないように様々な働きかけもおこなわれている。

その結果がピケティの言うように、労働者に対して資本家の取り分の著しい上昇である。そしてそれこそが、成長を抑制し、不況を引き起こしているのである。

 

運転という業種に関しては、労働者はまさに経営者のいいようにやられている感がある。よく紹介する話だが、H9に規制緩和と称して労働大臣告示を改悪させた官僚がいた。運転業務は危険と言えるレベルに達していると思われ、長野県のスキーバスの事故などもその犠牲と思っている。

自分たちを守るために、官僚にこのような暴挙をさせないために圧力団体が必要である。医師の場合ご存知のように医師会があるし、医師会以外でも全国医師連盟医師ユニオンなどが厚労省に陳情に行ったり、議員と面談したりしている。既得権益がどうだこうだとかのイメージによる攻撃も時になされるが、中身を見て物を言えといったところである。

 

運転手にも横断的な労働組合がないか調べてみたところ、一応あるようだ。しかしページを見てみれば、戦争法案がどうこうといった記述も見られる。こういうことはたいへんよろしくない。組合は労働者の権利以外の活動をしてはならない。左翼系の活動家の本音は、労働者の支援は自分たちの勢力拡大の手段ということになろう。しかしそうなれば、組合活動はレッテル貼りどころかそのものズバリという話になる。組合活動を支援するというよいことをしながら、結局組合活動が胡散臭いものであるという印象を強め、邪魔にもなっているのだ。

ストライキなどの争議活動をおこなっても、損害賠償や人事的不利益を被らないためには、労働組合が必要であるが、組合を作るのはそれなりに手間もかかる。しかし運転手が権利を維持するためには、非左翼系の労働組合を作る必要がどうしてもあるだろう。トラック輸送による物流が止まることのインパクトは尋常ではない。要求が正当であるならば、大抵のことは通るだろう。記事の訴訟は最高裁まで行くようだが、大規模な労働争議がおこなわれかねない雰囲気があるだけで、最高裁では勝訴するだろう。

 

問題は、労働者の賃金を上げまいとするエコノミストの嘘が世間に蔓延していることである。記事に対するコメントでも、運転手の行動に反対するものがチラホラ見られる。そのベースには、運転手の賃金が上がって料金が上がって損をする、賃金が限られたお金の取り合いで彼らの上がった分自分のそれが下がる、自分が我慢しているのだから相手も我慢すべきといった、近視眼的な間違った考えに陥ってしまっていることがあるだろう。

実体経済の三橋氏の図でもよく分かることである。

前述したように、各人の収入が上がる事こそが経済の成長である。貨幣とは生産によって生み出されるものではなく、借り入れることによって生み出される経済の道具であることを理解しなくてはいけない。組合活動をする人間は、この基本をよく理解して、間違った考えの人間を論破していく必要があるだろう。