貿易について その3 | 秋山のブログ

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「新・日本経済入門」において、関税は悪しきものという単純な信仰を前提に書かれている。しかし本当のところ、その命題が正しいという証拠はない。アダム・スミスは別に神様でも何でもないのである。

アダム・スミスの時代のイギリスでは、『工業製品の輸出市場を海外に求めていた。一方で、伝統的産業の農業については、』『輸入制限措置や輸出奨励金制度が採用されていた。』

工業製品の輸出市場を海外に求める必要があるということは、即ち需要こそが問題であるということであり、また工業製品は収穫逓減ではなくて収穫逓増であることが分かるだろう。現代よりも供給過剰が少なかった当時であっても、セイの法則は言うまでもなく、均衡も、経済学で用いられる生産関数も、全く成り立たないということになる。アダム・スミスの『外国から安く買えるものを高い費用をかけて国内で生産』することが悪いことであるという指摘は均衡を前提とする話であって、正しいと断言することはできないはずだ。当時のイギリスの制度は、しばしば軍事力等を背景とした一方的な行為であり、相手国としてはとんでもない話しであり、後々感情的な問題によってイギリスに不利に働く可能性もないわけではないが、イギリス国民を最も豊かにする方法ではある。『イギリスの産業資本家が一八二〇年に政府に提出した「自由貿易のための嘆願書」』は、イギリスのための正しい選択肢などではなく、為替や不当な立場のために低い賃金の労働者に据え変えることによって利益を上げようとする資本家の利己的な行為であり、イギリスの労働者の失業を生み、賃金低下圧力にもなったはずだ。『「自由貿易」の考え方が勝利をおさめてから、イギリスは世界の経済超大国への道をまっしぐらに歩んだ』などと記述されているが、植民地支配の拡大のみで十分説明可能であり、自由貿易のためにそうなったという話には、根拠がない。

 

アメリカが二十世紀後半におこなったことも、力による不公正な行為である。戦後から1960年代までは、アメリカはその圧倒的な優位性をもって、あらゆる物資を輸出した一方、ヨーロッパや日本にも多大な援助もおこない、さらには自国の市場を広く開放している。しかし技術的な優位性を多くの分野で、特に日本やドイツに対して失い、貿易赤字を膨らませることになった。それに対しておこなったのが、さまざまな交渉で日本に自主規制を求めたり、通商法三〇一条に代表する不公正な規制である。

面白いことにこの三〇一条に関して、サミュエルソンをはじめとした経済学者が反対声明を出している。貿易相手国が『アメリカを「無法者」とみる』という指摘などは全くその通りであるが、後の方にあるISバランスをもとにした『貿易収支』が『海外の貿易障壁の水準などとは無関係』であるという主張はかなりおかしい。(もちろんアメリカの言う貿易障壁は、自分が劣っていることを認めない言い掛かりである)

 

「新・日本経済入門」ではISバランスのについて、『専門家の間でごく一般的になっている』などと記述されている。このような明らかな間違いに多くの専門家が気付かないでいるのもどうかと思う。それは経済学の数式に関しての誤った思想が関係するかもしれない。どこが間違いか簡単に述べれば、マクロとミクロの混同と、因果関係が逆でも成り立つとしてしまっていることである。ミクロでは個人の意志である程度貯蓄する率が調整できることになるが、全体を見てみれば誰かが消費を減らし貯蓄すれば、それはすぐさま誰かの収入減となる。全員が貯蓄率をある値にしようと頑張ったとしても、それは実現不能だ。マクロでは、貯蓄は経済主体(家計、企業、国、外国)のおこなった借り入れの結果(それらの総額)以外の何物でもない。『国際収支不均衡を是正する』手段として『財政の赤字の削減』が『最も必要で実行可能な手段』などというのは、話にならない誤りである。財政赤字の削減が国際収支の不均衡に影響を与えるとすれば、家計の収入減を介してであり、輸入品と国産品の性質の違いによって変わってくるだろう。例えば輸入品が粗悪だが安いものだとすれば、収入を減らした国民は輸入品の購入割合を増やし、かえって国際収支を悪化させることになるだろう。

 

もしもセイの法則が成り立ち、簡単にパレート最適な状態が達成できるのならば、比較優位による貿易だけはなく、どんどん知識、技術を移転させて、生産能力を上げてやることが正しいだろう。その結果、両国の国民とも得られる産物の量は増大することになる。

主流派経済学は、そのような世界を想定しているわけだが、現実においてセイの法則は全く役に立たず、パレート最適にもほど遠い。需要の限度は常に考えねばならず、世界には非自発的な失業(主流派経済学ではないことになっている)があふれている。その対策として、貿易などによる生産力の増大が搾取にまわって、格差を拡大し、不況をひきおこさないように、再分配などの適切な調整をするということも考えられるが、国と国の話になると、同じEUでもドイツとギリシャで再分配という発想が全く出てこないようにたいへん難しい。結局、自国において調整していくといく方針が現実的であるということになるだろう。他国に関税を放棄させるために自国の関税を放棄するような話は、愚の骨頂だろう。それ以上に、自国において調整する権利を抑制するような条約などは、いかなる見返りがあるとしてもすべきではない。