日本経済の終わらない不況 | 秋山のブログ

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さらっと日本経済の経過をたどる後編。

1990年代に入ると、景気は急速に落ち込んでいった。1989年から急速に上げた公定歩合も1991年から今度は急激に低下させた。1992年からは財政政策を積極的におこなった。しかしながら景気は回復せず、政府の債務は拡大することになった。

2000年代になっても不況は続いた。2001年以降の小泉内閣による新自由主義的な政策は、むしろ国民の厚生を減少させた。その悪影響は現在も続いている。
2008年のリーマン・ショック、2011年東日本大震災と経済に追い打ちをかけるような出来事もあった。

日銀も失策を重ねた。バブル後期に公定歩合を大きく引き上げている。その後不況になって今度は大きく引き下げたが、その後がまたいけない。2000年には不況下で公定歩合を上げるなどの暴挙もおこなっている。

2012年から安倍内閣による経済政策、アベノミクスがおこなわれた。金融政策、税制政策の効果により、当初は順調であったが、消費税の5%から8%の増税によって、景気の腰は折れた。
平成元年より導入された消費税であるが、上がるたびに景気に悪影響を与えている。

それでは考察。

長きに渡る不況は、よい循環が阻害されていることで説明がつく。
需要は、消費者の可処分所得によって規定される。貯蓄したり、貯蓄を切り崩したりもするし、消費者も借金して消費したりもするので、消費者の収入の増減によって完全に決まるわけではないが、消費者の場合積み重ねられうる借金にも、切り崩すための貯蓄にも限度があるため、消費者の収入で大凡規定されるであろう。つまり、消費者の収入、特に中低所得層の収入の減少は需要を顕著に減少させる(主流派経済学のモデルで消費者の収入減少は、需給曲線をスライドさせる程度の話に矮小化されている。消費者の購買意欲が増すくらいで、この悪影響は消せる程度のものになっている)。そして需要が低ければ、どれだけ生産能力が上がって行こうが、それ以上生産されることはない。
人々がより多くのものを買うために、もしくは物価が上がるためには、消費者の(単位時間あたりの)収入が上がる必要がある(物価が下がって多く買えるようになるという現象は利益を考えると極稀だろう)。消費者の収入を上げるためには、企業や国が借金をして、お金を作る、即ち信用創造する必要がある。そうしなければ生産能力が上がっても、モノが生産され供給されることはない。企業が設備投資や運用資金等の理由で借金するか、国が借金して使わなくてはならない。それが実現しなければ、経済は成長しないのである。
逆に、企業が借金を返済したり、国が税で回収したりすれば、消費者の収入は減少するだろう。不良債権処理や貸し剥がしは、不況を促進する最悪の政策だったことが分かる。バブル崩壊期におこなわれていたことは、働ける企業を愚かな基準でゾンビだなんだとレッテルを貼り潰すということをやりながら、景気を支えるために国がどんどん借金を増やしていくという愚行だ。その後遺症は、銀行が融資に臆病になりすぎて、その役目をはたさなくなっていることで、デフレによる実質金利高や法人税減税も加わって、企業が内部留保を貯めるようにもなった。企業が内部留保を貯めるという行為は、ここで示してきた循環の視点からすれば、言語道断であろう。

財政政策をおこなっても、それが企業の内部留保になって消費者に届かなければ効果はない。企業はなんだかんだ理由をつけて賃金アップを拒んでいるが、それでも財政政策で使った額の何割かは消費者に届き、成長率を押し上げたであろう。ところが消費税は、直接可処分所得を減少させる。この直接のマイナス効果は大きいだろう。
では直接お金を配る方法がいいかといえば、臨時収入は貯蓄にまわる率が高い。医療や介護、教育、育児のようなものに、使った人間が得するシステムでつぎ込むのが、無駄なく需要を喚起するため正解だろう。

重商主義は誤りであり継続性はないが、経常収支の黒字は消費者に届く可能性はある。しかし現在多くの場合、内部留保になっていたり、米国債の購入という形の貯蓄になっているので、良い効果はあまり発揮されていないだろう。(経常収支の黒字は、結局外国による信用創造である)

以上の構造が分かれば、不況の理由も、成長しない理由も分かるだろう。
銀行の機能不全、資産に対する高金利、高配当(デフレや法人税減税の影響も大きい)、そしてそれらによる企業の経済主体としての役割の変化、最終的におこった循環する貨幣の不足である。
解決方法は、金融政策で金利を抑えつつ、消費者に届くまで財政政策を続け、銀行の機能を改善してくしかないだろう。