歪められたレントの意味 | 秋山のブログ

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「大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる」のレントの説明で、準レントの説明がしっくり来ない。同書でも、スティグリッツ教授の説明でも、レントはもともと地代の意味である。しかしネットでいろいろ調べてみると、地代と訳してはいけないなどという意見すらあり、標準的な定義は、「正常な水準を上回る受け取り(超過利潤)」といったところのようだ。

レントが現在のような意味で使われるようになった背景は、戦前の日本の小作人のように、土地が不当な搾取の手段であったからだ。この現象は、独占をはじめとする市場の不完全さで十分に説明ができるだろう。そしてこれは、雇い主の資本家と、従業員の関係でも全く同じ構造であり、スティグリッツ教授も、レントとして扱っているようである。ここまでは全く正しい流れだと思うのだが、この後おかしくなるのである。何故か構造の違う労働者の賃金に対しても使われるようになり、資産からの不労所得という意味を失ってしまったのだ。そしてこれが新古典派の賃金は既に適正なものであるという考えと結びつくことで、市場の不完全さを規制や団体交渉により修正しようとする行為も、レントシーキング扱いされる土壌が生まれることになった。思うにこれはレントの問題に対する追究を経済学がおこなうことに対する、資本家のために活動している経済学者の妨害ではないだろうか。

例えば、先日書いた経済主体の貯蓄と負債から考察する場合、生産や消費、販売等だけでなく、お金以外の資産、土地や証券、既得権等からの利益も十分考慮する必要がある。前者だけでなく後者でも大きなお金の流れは発生するからだ。率も前者よりも通常大きく、無視してよいものでは決してないだろう。ところが現在の経済学において、地代や配当の高さを問題視して考察している研究は、あまり見かけない(単に私の勉強不足の可能性あり)。そして、逆にそれを規制しないように、擁護する意図で書かれたと思われる論文が目立っている。どういうことかと言えば、これも資本家のために働く経済学者の悪行の一環だろう。その経済学は、不労所得(地代や配当)を投資という言葉に置き換え、それを生産の要素である設備投資と混同させることで、それが大きくなることがよいように見せかけた。間違った理論による政策の結果、不労所得はピケティが示しているように増加したが、不労所得の増加は、労働者の収入を減らし、有効需要を減らすことで、失業率を上げ、不況を長引かせているのである。

レントという概念は、元の正しい概念に修正する必要があるだろう。もしくは不当な不労利益といった勘違いしにくい言葉で、取り上げていくべきだろうと思われる。