大学と高校の違い | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

ダイアモンドオンラインに、鈴木寛氏が、『 「大学に文系は要らない」は本当か?下村大臣通達に対する誤解を解く』という記事を書いている。鈴木寛氏は元文部科学副大臣で、以前自分達の会に出席いただいたことがあるが、実に頭の良い人物である。

どのような内容かと言えば、下村文部科学大臣の通達に不注意な表現があったために誤解を生んだことについて説明している。その内容はいいとして、紹介したいのはその中のこの文章である。引用する。

『アカデミアの皆さんがそうしたマスコミの論調に簡単にも騙されてしまうのは、本当に問題です。アカデミアの基本は、世の中に流れる印象論的な言説に対して、冷静に関連文書、一次資料にあたって検証するのが、基本中の基本であるべきところを、マスコミの流す言説を鵜呑みにしてしまったのです。科学者の基本 である批判的思考はどこへいってしまったのでしょう。』

批判的思考は大変重要なことである。当たり前のことと言ってもよい。高校生と大学生の違いは、習って理解し覚えることが主体の高校生に対して、高度な内容を教わると同時に、それが正しいかどうかきちんと検証し、時には否定して自発的に新たな真実を求めていくのが大学生というところである。しかしながら嘆かわしいことに、どこまでいっても高校の延長という例も少なくない。時間的制約もあって自分の専門以外の分野ではいたしかたない面もあるかもしれないが、世の中でさも当然のように流布されている内容に対して極力その根拠を検討する姿勢は重要だろう。「官から民へ」とか「国民一人当りの借金」だとか、そういうデマには流されない人間がもっといてもいいはずと思うのは、要求水準が高すぎるだろうか。

言うまでもなく、この批判によく当てはまるのが経済学である。覚えてそのまま信じていいのは高校生までだ。しかし大学や大学院の人間が、多くの経済学への批判に対して、知らないからとか、知れば分かるなどと平気で口にするのを目にもする(実際にそういうこともないわけではないが)。大学以降の学問は知ることではなく、考えることだ。経済学においては東大の教授をして数学を使えば思考の時間を節約できるなどと言っているわけで、科学ではなくて信仰と批判されてもしかたない。