大きな政府 | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

「新しい経済の教科書」において、澁谷浩氏がピケティ氏の主張に対して異をとなえている。問題点を取り上げてみたいと思う。

澁谷氏が大きな政府に関して言及している箇所はいくつかある。引用しよう。
P22『富裕層への課税強化は、結局は「大きな政府」につながる。』
P24『ピケティは明らかに大きな政府を信用している。政府は国民の利益を最優先するように慈善的に行動すると信じているようだ。(中略)歴史は、大きな政府が政治家や官僚や大企業などが既得権益のために国民のお金を悪用したり、権力を乱用したりする事例であふれている。』

これは初歩的な詭弁である。「早まった一般化」というものだろう。(もっとも澁谷氏は意識していないと思われる)
政府で不正を働くものは、たくさんいただろう。政府のお金を当てにして不当な巨利を得ようとする企業ももちろんある。だからといって単純に大きな政府が悪いという話には決してならない。
歴史的な話をすれば、政府が再分配をしてこなかった時代には、格差はとんでもないことになっていたのだ。不届き者が多少いたとしても、自らの欲で活動できる企業や有力者を放置するよりも、おそらく桁違いでマシだろう。不届き者が時に目に付くのも、それをチェックして是正するシステムが存在するからであって、企業等の自由にまかせれば不正であるとされないこともしばしばだろう。重要なのは、いかに不正をさせないかであって、規模を小さくして不正を小さくしようと言うのは、再分配を小さくすることになって本末転倒である。

すべき方針は簡単である。独占寡占、情報の非対称等々の利用によって搾取がおこなわれないように、規制をおこない、不公正な分配を再分配で是正し、政府等の不正はおこなわれないように努めるというのを、必要な分だけおこなうということだ。その結果、大きな政府になろうが、小さい政府になろうが、関係ない。社会の状況によって、どちらになるかは変わってくることだろう。

大きな政府がいいとか、悪いとかは、価値のないイデオロギーなのだ。大衆を騙す手段なのである。

さらに澁谷氏はこんなことまで言っている。
P26『私は、この大きな政府問題が不平等問題よりもより深刻な状況を引き起こすことになると考えている。』
P26『大きな政府は、国民から集めた税収を政治目的のために無駄に使ってしまう危険を伴う。必要のない箱物を建設したり、必要のない(後略)』
P27『また大きな政府は、民間企業をクラウディング・アウト(追い出し)する。』

これは全くの誤りである。新古典派を盲信している典型的なパターンである。
現在の世界的な不況や低成長は、まさに不平等によって引き起こされたものだ。ほとんどの国民が搾取されて働いたほどは収入を得ていないために、十分な購入ができない状況になり、その結果有効需要不足になって起こっていることである。生産性をあげてもその分搾取されるために成長率が上がらないのである。
新古典派は、供給力限度で需要と供給が均衡していると仮定している。均衡しないこともあると言いながら、実際の考察時には全くに近く考慮しない。その枠組では、不平等は何の影響もないことになる(影響を考慮できない)一方、クラウディング・アウト(供給力が最大限発揮されているところで政府がさらに新たな供給をもとめておこる現象であり、現代ほとんど観察されない)を信じたりもする。
必要のない云々のくだりは、昨今の税金の無駄遣いの問題とリンクしてもっともらしく見えるかもしれないが、それは前述したように、不正の取り締まりの問題であって、大きいから悪いというのは間違っている。さらに言えば、お金が富裕層の懐に収められて、使われずに自己増殖するよりは、例えそれが無駄な穴掘りであっても、使われて流れていく(お金は消滅しない)のがよいのである。

蛇足であるが、澁谷氏の提言したノブレス・オブリージュ政策というのは、悪くはない(方策のひとつにはなるだろう)。私のいつも主張である、大いに控除を認めた高累進課税と同じように経済がまわっていくようにもなるし、社会全体の厚生、生産性を向上させることにもなる。ただ問題がないこともない。使う対象の選別に関して国の関与が必要になってくることである。さらに、その後の選択も偏ったものでないという保証もできないだろう。富裕層の方が官僚より公正で賢いという根拠はどこにもない(取引きの速度は国にまかせるより速く、それは経済に好影響だろう)のだ。