ペルーのハイパーインフレ | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

ピノチェトがフリードマンの言う通りにして国を散々な状況にしてしまったのに対して、ペルーは新自由主義的な経済政策が奏効してハイパーインフレが抑えられ経済がうまくいくようになったと言われてもいる。いったいどうして上手くいったのか興味があって調べた。いろいろな意見がある中、非常にすばらしい資料を見つけた(興味がある方は是非ご一読願いたい)。

フジモリがやったことは、各省経費の削減、公務員の勧奨退職推進、補助金の撤廃、公共料金等の大幅な価格変更等により財政赤字の幅を縮小、国営企業の民営化、輸入付加税の廃止と関税の引き下げ、銀行の民営化、為替市場の自由化、外国通貨預金の凍結解除、外国投資の環境整備等々である。

収入が増えなければ価格が上がった商品を買うことはできない。ハイパーインフレは、財政ファイナンスで大量の紙幣を国がばら撒かなければおこりえない。インフレにおいて心理的要素はたいへん大きいが、ハイパーと言えるほどのインフレは大規模な財政ファイナンスがあって初めておこりうるものである。したがって支出を減らし、財政を均衡させようとすれば自ずと物価の上昇は抑えられるだろう。
日本の医療で見られるように、価格を強制的に抑えることが全体の利益に貢献することもある。しかしこの当時のペルーの状況では、低い公共料金が他の商品の価格を上げ易くしていたと考えられる。公共料金の値上げは財政均衡に繋がると同時に、省経費の削減同様、物価上昇の抑制に働いただろう。

ハイパーインフレがおこるもう一つの重大な要素に、供給力の著しい不足がある。当時のペルーといえば、内戦状態と言えるほどゲリラが跋扈していたわけであり、まともにものが供給できるわけもなかった。フジモリのテロ対策こそハイパーインフレ対策のうちの最も重要なものであったはずだ。
需要不足の状況であれば特に重要であるはずの労働者の賃金も、著しい供給不足によるハイパーインフレなら抑える必要がある。当時のペルーのストは、日本の春闘のような労使双方が極力生産性を落とさないようにするというものではなく、大幅に生産性を落としていたのであるから、この状況に限って言えば抑制して正解だろう。
鉱山やら電話やら政府から利権共々譲り受けることは、資本家にとって多大な利益に繋がることだ。まさにレントを貪ることが可能になる。しかし当時のペルーに関してもこれは正解だと思われる。一つは、ペルーの負債を返す原資となって、ペルーの他国からの信頼を取り戻すことができるからである。当時のペルーは技術と設備が足りないので、外国から資本を提供してもらってそれらを導入する必要があった。そしてもう一つは、当時のペルーの政府関係の腐敗ぶりと、前述の技術不足も含めての非効率性だ。多くの先進国の政府関係の仕事が、民間に比べて遜色ないのに対して、これはさすがに官から民へと言っても間違いでないだろう。

通貨の信認に関することは、デノミ(フジモリ以前もおこなわれている)と財政再建というニュース(ドイツの場合は有効だったという話もある)だ。財政再建至上主義者ならこの部分を過剰評価するところであろう。しかし普通に考えれば、商品の価格決定者が若干の財政再建の方向性を見て急に大幅に値上げするはずだったものを止めるなんてことはありえないだろう。日本の現状のように先立つものが抑えられる状況なら、どのような心理状況になろうともある程度以上には上がるわけはないのである。(インフレターゲットの限界もここにある)

がっちりと物価が抑制された理由が他にもある。ペルーの通貨が高く維持されたことだ。外国の安く価格が安定した商品が流入してくれば、商品の価格は上げようがない。(自由貿易は物価抑制に有効だろう)

こうして詳細に検討してみれば、当時のペルーの状況においてするべきことが、新自由主義的な政策と一致しただけであって、新自由主義的な政策が普遍的に正しいから成功したわけではないことが分る。例えば、ただで技術を移転してくれて、十分な整備をしてくれる国があれば(日本以外にそんな国もないだろうが)、生産性は向上することができて、利権を渡さなくてもインフレの抑制と経済発展は不可能でもなかったはずだ(もちろんいろいろなハードルがある)。重要なことは、結果だけ見て常に正しいものと勘違いしないことだ。参考にするなら、現在の日本の状況との違いを、十分に考慮しなくてはいけない。