医療費亡国論の木を見て森を見ず | 秋山のブログ

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医療費亡国論に関しては以前も批判したが、もうちょっと具体的に批判しよう。とりあえず、原文、「医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方」はこちらである。

高齢化や技術の進歩により医療費が増加することに異論はないだろう。その他、年金等々も含めて投稿には、『租税・社会保障負担が増大し、日本社会の活力が失われるのではないか』とある。
それらの増大に対して、実質成長率の予想はせいぜい3%で、それゆえに租税・社会保障負担率があっという間に上がり、高国民負担率の先進国で見られるような社会の活気の低下に繋がるだろうという話だ。(ちなみに財務省は日本の国民負担率は他国に比べて低いので、もっと増税すべきと主張している)

上記の論理はもっともらしいが、根本的な誤りがある。成長率を社会保障等の増加と全く切り離して考えていることである。増加した社会保障等の消費は、そのまま生産の増大分として成長に寄与するのだ。負担率は低いに越したことはないと思われるが、負担率を気にして成長に抑制をかけることは馬鹿げている。
平均化してしまってその中で起こっている不均衡等、重要視すべき要素(GDPや成長率で物事を判断する時おこりがちな盲点)が見えなくなっているのも問題であろう。

国が介入しなければ、富の分配が適正におこなわれるという考えは馬鹿げている。もちろん国の間違った施策で不具合が生じたことはもちろん過去にたくさんあり、それぞれ実証も可能であるが、だからと言って介入がなかったならほぼ必ず適正配分になるという話にはならないだろう。放置の結果は歴史的に見てもむしろ真逆である。理論的にも、市場が適正化する条件はなかなか揃わないということで、容易に説明できる。著しい貧富の差は能力や業績の差ではなくて、独占等によって作られるものであるから、国が再分配することは絶対に必要である。しかしながら日本も米国と大同小異で、トリクルダウンの誤謬が蔓延し、過去には消費税増税+法人税減税という全く愚かな政策がおこなわれ、そして再びおこなわれようとしている。
少子高齢化で、負担が若干増えるのは確かだろう。しかし観察されている生産性の増加の割合から見れば、それをしっかり労働者層に賃金として還元すれば、全く問題がないレベルだ。財政に問題があるのは、トリクルダウンに基く愚行が原因なのであって、医療費や社会保障費の増加のためではない(消費されたお金は誰かの収入になるのであるから、経費認定の拡大と高累進課税こそが正解であるが、アベノミクスでは若干の改善もあったものの、これも今まで逆のことがおこなわれてきた)。

次に『このまま医療費が増えつづければ国家がつぶれるという発想さえ出ている』と書いていることについて。
国の払ったお金は消えてなくなったものとして考えてしまう誤謬によるものだろう。お金はなくならず人々の間を流れていくものである。最終的に溜め込んで貯蓄を増やしているところから再び回収するというのが適切だ。国が払う医療費がどれだけ莫大であろうとも、国家が潰れるということはありえない。(あるとするならば、全く異なる機序によるだろう)

医療費効率逓減論に関しては、全くくだらない。
実行すべき医療水準は極端に効率が下がる、つまりは提供できる限界に達する最高のものを目指すことになるからだ。例えば世界最高の成果を出している現在の産科の医療水準を落としてもよいなどと考える人間はほとんどいないだろう。それによって大幅に医療費が下がってもである。
さらに言えば、限界に到達するまでは逓増だったり、極近くまで逓増であるものも多いだろう。現状の絞りすぎは、最低必要限(諸外国と比べるとかなり贅沢)と現在の日本人が考える水準の提供を危うくしている。

医療費受給過剰論に関しては、日本の医療制度によって単純な受給関係でバランスされるよりもより需要が大きくなっているということは、以前に私が書いている通り間違いないだろう。ただし過剰であるという主張にはまったく与しない。最大限生産して、最大限消費することが、単純に言えば最大の厚生に繋がるが、消費はある程度我慢され、それに合わせて供給も調整される。現在おこなわれているのはそれを解消する上手い方法であって、需要不足対策である。逆に需要不足による不況に対しては、他の業種でもそれはできるということだ。(増税して、国が使うことをある程度肯定する話になってしまうが、どこから取るか、どこに出すかがたいへん重要である。そこを間違えば、それこそ活力を削ぐことになるだろう)

さて、医療費に対する対策法についてである。
以上のことを根拠として、『抑制』と『質のよい医療部分への医療費の重点配分』を主張している。供給力に余力がある時に、お金が循環するものであることを忘れて、お金を節約するために需要を抑制するのは、誤った考えであるが、それはさておき医療は独占的業務であるので高くなりすぎることに注意する必要は当然ある。価格を管理する上で、総枠を考えるというやり方は、悪いアイデアではなくて、他の業種でも応用はできるだろう。ただし、ここに示されている考えは抑制しすぎである。国民の所得の上昇と同じ程度の上昇しか許されないのであれば、高齢化の分、技術向上の分、医療の現場は疲弊するだろう。さらに医療現場に追い討ちをかけているのは、労働分配率の低下にともなう国民の所得の減少と、国民の所得から乖離して相対的に上昇している物価による医療での労働分配率の低下である。

この投稿の最後に最も愚かな主張がなされている。国民が歯を食いしばって我慢している時だから価格を上げるべきではないという主張だ。まさに合成の誤謬である。誰かの収入が下がっていることを理由に、自分の収入が下がることを皆が容認すれば、全体として需要はどんどん縮小していくだけである。この投稿は、まさに木を見て森を見ずをやらかしているのである。