不況と財政政策 | 秋山のブログ

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不況の成り立ちと財政政策の有効性に関して考察してみたいと思う。

不況は需要不足によっておこる。
例えば農業の生産性があがって、一人当りの食べる量の増加も限界に達し、少ない人数で全員分の食料をまかなえるようになると、失業者が生れる。失業者が農業以外の仕事を見つけ、その成果を分配するようになれば、問題はない。ただしそのためには農業に残った人間が、失業者の新たな仕事からその成果物を購入できるように、多く生産した分多く収入を得ていなくてはいけない(それが達成できたなら一人当りの収入と消費が増える。成長である)。ところがここで失業者が多く出たという理由で、農業に残った人間の収入が減ったりすると(現状以下になることもある)不況が起こる。別の視点から見れば、農業(この場合)における労働分配率が下がって、資本家の取り分が大きくなると不況になるのだ(売上げが減ることによる悪循環にも落ちる)。対策としてはより多くの利益を得るようになった資本家から国などが取り上げて、公務員として雇うでも仕事を発注するでもいいが、それを原資に失業者に仕事をさせるということだろう。
昨今は、取り上げるのではなくて借りておこなわれている。とはいっても効果にほとんど差はないだろう。国が投入したお金で農業(あくまでこの例の場合)の売上げが落ちなくなることがまず第一段階。それでとりあえず悪循環は回避されるだろう。しかしこれは永続的な効果はない。国が止めればまた不況であろうし、借金で賄うなら財政赤字は膨らむだけだ。
より上策として、失業をほとんど無くして労働者を取り合う状況を作ることが重要だ。生産性が上がった分まで賃金が上がらなくてはならない。もちろんこの場合もやっていたことをすぱっと止めてしまえば、再度失業が生まれることになるだろう。ただしこの場合、既に賃金が上がっているので、そこから料金でも税金でも、新たな仕事のために取って均衡を保つことは可能だろう。民間に移行できるもの(ただし暴利を貪ることができるものは不可)は移行してもいいし、国又は国関連の仕事として継続してもいい。つまりこちらは出口を考える必要が少ないのである。

上記の政策に対する反論としては、国がしゃしゃり出ると民業が圧迫されるというものがある。労働分配率を上げる政策なのだから資本家の取り分が減るということは当たり前なのだが、そうすると投資する意欲がなくなって産業が衰退してパイ全体が小さくなるということである。一見もっともらしくもあるが、投資は結局それ以外の選択との比較であって、どれだけ状況が悪化してもただ持っているよりマシであったならば投資を選ばざるを得ないということに気付いていない。そういう意味でデフレは最悪の状況であるのに、多くの中央銀行がインフレこそ悪いことで、インフレになりそうなら金利を上げて対応するという資本家にとって最も都合のいい嘘を信じていることはまことに嘆かわしい。
上記の政策を実現するために、一時的なある程度の量の財政ファイナンスをするというのが、最も賢明なやり方だろう。供給力不足で物価が上昇するところに、財政ファイナンスでお金を作って供給を求めればより供給不足になってさらに物価は上がるだろう。しかし需要不足の中でその供給力を超えるような額を投入するのでなければ、情報によって動く株価や為替は別として、物価は上昇しないだろう(円安による若干のコストプッシュインフレはありうるが、少なくともそれでハイパーインフレが起こることはない)。
上記政策の財源として消費税を考えるのは、相当筋が悪い。消費税は人々がお金を使うたびにその購買力を奪っていくので需要を激減させる。もしこれを実行するのであれば、それで増えた額の何倍も財政支出をしなくてはいけないだろう。

財政政策は有効である。ただし、失業をなくして皆が働けるように、社会を変えていくという意識を持つことが重要である。(バブルの頃は借金して贅沢していただけだという主張があるが、全体として国民は国民が働いた総量しか消費していない。他国に借金して贅沢したわけではない。土地の投機的上昇は余計なことだが、バブル期の豊かさの本質は、皆で働いて搾取される率が低かったということである)