医師不足と国の介入 | 秋山のブログ

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日本の医師は明らかに足りない。先進国の中でも人口辺りの医師数はかなり低い。その理由の一つは待遇悪化をおそれた日本医師会が増加に抑制をかけてきたことと、増えても賃金がある程度以下には下がりにくい医師が増えることで総費用が増えることをおそれた支払い側の思惑が一致したことだ。もちろん医師を増やすためには莫大な投資(未来のための負担の意)も必要であるから、積極的に増やそうとしなければそうそう増えないだろう。

足りないおかげでいかなる業界にも負けない程医師は激務になった(もちろん他の業界でも負けず劣らずひどいところは山程あるだろう)。過労死も身近な問題だ。しかし多くの医師は、使命感(若しくはそんなもんだろうという思い込み)からそれを黙々とこなしてきた。
もちろん最近は変わってきた。ネットの発達等による情報の共有と、さらに悪化する環境にさすがについていけなくなってきたことで、医師も変革をもとめるようになってきた。

医師の養成には相当時間がかかる。医師免許をとるのはスタート地点で、一般的にはそこから10年でなんとか一人前になる。今足りない分を一気に増やそうとするのも無理があるし、時間的制約は乗り越えようがない。このままではあちこちで必要な医療の提供ができない状況が生れるだろう。(ちなみに、医師は足りていて偏在が問題なのだという誤った指摘がある。実際は、日本程偏在していない国はない。日本では、全ての科、全ての土地において足らない中で、少し足らないところと、ものすごく足らないところがあるだけだ)

破綻(経済学上はしばしば無視されている概念である)は、それにともなうロスが非常に大きい。批判の対象になり易いこともあり、国もなんとかしなくてはいけないと思いいろいろな手を考えた。
例えば、病院の役割分担による効率化だ。これは地方によってかなり差があるようだが、専門性の高い大病院に患者がふらりと行った場合診療を断わられたりすることも起こるようになった。まあ、これは悪い方法ではないだろう(以前ならとても考えられなかったやり方で、今もって許されない地域もある)。

他におこなわれたことで、病院を潰して、あぶれた医師や医療従事者を残った病院が吸収しようとするといったこともおこなわれた。しかしこれは最悪の方法であって、何も改善はしない。近くに病院がなくなったことで、受診に二の足をふむ人間も若干いるかもしれないが、需要はほとんど変わることはない。むしろ病気の治療は早期におこなうことが肝であり、重症化してから受診すれば余計に医療資源を消費するのだ。(あぶれた医療従事者も思惑通りには動かない)
いくつかの地域で、県の指導によりこれがおこなわれたが、その通りにして得られたものはなにもなかった。以前より大きく赤字になった自治体もあり、病気の対応も当然悪くなった。逆に指導に従わなかった自治体には当然何も悪いことはなかった。つまり完全な誤りであったということだ。

これはまさにソ連型の失敗だろう。愚かな計画と、公正でない扱いとその強制。うまくいくはずもない。
市場には、独占や情報の非対称が蔓延っており、そこにどんどん介入していく必要がある。それはシカゴ学派の言い分とは真逆だが、多くの研究に裏付けられた紛れもない事実だ。だからといって、市場機能を放棄してしまうやり方は正しくない。つまり、国等行政がやるべきことは、公正な競争がおこなわれるように環境を整えることだろう。(マイクロソフト分割の話題が昔あったように、以前の米国はその正しい考えを理解していたと思われる。しかし、このような正しい介入すら、社会主義的、共産主義的だとレッテルを貼るというシカゴ学派の戦略が功を奏したか、むしろ後退している)

医師不足の正しい解決策はある。タスクシフトだ。医師でなくてもできる仕事を、医師以外の人間にやってもらうということだ。どうしても医師でなくてはいけないところだけ、医師がおこなうことで、無理なく医師一人当りのこなせる患者数が増加するのだ。実際その成果をあげている病院もある。私のところでもそれなりにやって、それなりに成果を出している。

実はそれに気付いている人は多いのだが、あまり進んでいない。その理由は、二つ。
一つは医師及びその周辺が、ほとんどの業務に関して委譲することに抵抗があるということだ。委譲を無責任に感じるということもあるだろうし、人にしてもらうより医師がやった方が、はるかに手際もよかったりするからだ。しかしこれは比較優位の例え話で出てくるように、効率のために委譲すべきだろう。
もう一つは、コストの後ろ盾がない、もしくは、よりコストがかかることへの抵抗である。
前述の病院は、国の基準上、患者一人当りの単価が高い医療をおこなっており、それゆえに医師(及び看護師)以外の職を雇う余力もある。タスクシフトが進んでいるため、かえって効率的であることも多々ある。(国定なので、これももし価格を下げられれば不能になる)
別の例として、医師の事務補助者に対して、いくらかのコストが支払われることになった。これ自体は、この流れに沿った正しいことである。しかしいつものことながら、雇用を支えるのには程遠い低い額なのだ。結局何の意味もない施策になってしまった。
医師の給与を下げて、その分で人を雇えばよいという意見もある。しかしこれはまともな計算をしていない浅い意見だ。増やすべき人間の数を考えれば、その人間が最低賃金で働いたとしても全く(医師の給与をマイナスにしても)足りないのだ。まともな医療を構築しようと思えば、コストはどうあってもかかるのである。

少子高齢化が問題視され、医療費が増えることがさも問題であるように思い込んでいる人間は多い。しかしそんなことは全く問題ではないのだ。日常生活では、お金は使えばなくなってしまうものだろう。しかし経済全体では、なくならずに流れていくものだ。混同してはいけない。失業者が医療で何らかの職を得て、その分医療費が増えたならば、それは国全体のGDPが増えたということでもあり、まさに成長である。日本が現在失業ゼロで、医療職に重要な産業の人間が転職せざるを得ず、それで全体の厚生が下がるというのなら問題だろうが、生産性が高すぎて、需要が追いつかなくて困っている現在、そんなことはありえない。(医療は需要過多、社会全体では供給過多)

今の生活でも苦しいのに、医療費が上がるのはよろしくない、だから医療費を上げるなという意見も、正しくない。正しい主張は、医療費が上がるように我々の給与も上げろ、もしくは、上がるべきところが据え置かれてきたところを正せである。払うべきところに適正に払わないことは、とにかく正しい生産と分配を歪ませる。

政府の役割は、公正な競争の環境整備の他に、どうしても生じる市場の不完全さ由来の搾取から税金で召し上げて、それを再分配するというものがあるはずなのだが、搾取した方から取るのではなく、搾取されている方から取り上げて分配しようとしている。トリクルダウンという全く馬鹿げた思想ゆえだ(安倍総理も騙されているので頭が痛い)。政府に対して皆で声をあげていく必要があるだろう。