ワード 構造改革 | 秋山のブログ

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inemuri-papaさんから面白いお題をいただいた。構造改革である。この単語は皆が何となく分ったつもりになっている要注意単語だ。

構造改革は元々、社会主義共産主義的な言葉である。ところが小泉元首相が聖域なき構造改革というスローガンで活動したためにすっかり新自由主義的な意味になってしまった。新自由主義は価値のない思想であるが、この構造改革にはいまだ騙されている人もいるだろう。ちょっと考察してみよう。

経済構造改革について、経済産業省が子供向けに出している解説のページがあった。引用する。
『 日本経済が停滞している原因は何でしょうか?  大きな原因の一つは、もうからない分野や企業に、お金、モノ、人が必要以上にとどまっていることです。経済構造改革とは、もうかる分野、企業に、もっと 金や人が集まって、経済が大きくなっていくことです。  下の図は・・(中略)・・割合の大きい業種が、第1次産業(農林水産業)→第2次産業(製造業など)→第3次産業(サービス業など)と変化しているのがわかります。・・(中略)・・言葉を換えれば、もうかる産業に人がシフトしていったことを示しています。・・(後略)』

一見もっともらしい主張であるが、どこがおかしいか説明していこう。
まず産業のシフトであるが、人は儲かるから1次から2次、2次から3次へとシフトしていくわけではない。シフトの理由は一人当りの供給可能量が増加し、供給が需要の限界(資源の限界の場合もある)を超えてしまうので、他の職業を選ばざるを得ないのだ。食料が満ち足りれば、工業製品に人々の欲求はシフトするが、この分野でも必要人数の限界にはそうそう到達する。3次に人が移るのはそういう理由であって、例えば昨今の日本では2次からより給料の低い3次への人の移動が見られているように、3次が儲かるからではない。

価格というものは活発な競争下では最低限まで落ちるものであり、大きく儲かるということはその商品に独占的な性格が備わっているために高い価格を設定できるということだ。公正な競争という意味でこれは規制されるべきはずのものである。効用の差によっても価格には差がでる(だから儲かる業種が効用の高い業種という理屈は一応一理ある)が、効用が高くても大量に生産できる競争分野ならその価格は比較的安くなり、儲けはそれ程大きくならない。儲けには、独占的性質の方が影響力が大だろう。
外国相手の場合独占的得意分野を持つことは有利なことであり、また為替が不完全な存在である以上独占をある程度利用することも仕方ないことであるが、大きな声で主張できる話ではないだろう。
独占的分野では、直接的に談合などしなくても、価格があたかも談合したかのように高止まることもある。そんな分野で就業者が増えれば、増えたにも関わらず競争による価格低下などほとんど起さずに、消費者や他業種の利益を圧迫することもありえる。米国の弁護士業務などいい例だろう。
要するに儲かる分野イコール効用の高い、配分を増やすべき分野とは限らない。米国の弁護士業務のようなことがないように、日本の保険医療のように(現状はちょっとやり過ぎだと思われる)、不当な過剰利益を抑える規制は社会のためになるが、儲けが少なくなるからという単純な発想で撤廃すれば、それは社会のためにならないだろう。

もうからない分野に人や金が留まるために不景気だという話も馬鹿げている。働く人が足りなくて困っているなんて状況には、現在の日本は程遠い(将来的にもありえない)。もうからない分野に金が留まるという話もおかしい。お金はどこかに留まることなどなく流れていくものである。むしろ、もうかる分野の方が消費に回らない率が高いのだから、経済にとっては悪影響だ。
儲かる儲からないではなくて、効用の割りに高い利益で残っている仕事もないわけでもないだろう。例えば官僚の天下りなど(その時点だけで判断すれば)その通りかもしれない。しかしこれも人が足りないならともかく、大幅に余っているのであれば多少の効率の悪さは景気に影響しない。問題になるのは道義的なことだけだろう。

ということで、新自由主義者や経済産業省が言っている構造改革は完全な誤りだ。

ところで直すべき構造というものももちろん存在する。

社会の厚生の総和は、結局全ての人間の労働の総和である。各人の能力だけでなく、仕事自体に関して効率にばらつきはあるだろう。しかしどんなに効率の悪い仕事であっても失業状態よりははるかに社会に貢献している。さらに言えば、スクラップアンドビルドの繰り返しと、それによる一定期間の失業というロスを凌駕するほど、効率の良い仕事と悪い仕事には効用面での差はない。つまり失業率が低ければ低いほど全体のパイは大きい。

自然失業率などという概念は全くの誤りであり、失業率はほとんどゼロであるべきと考えるべきだ(自然失業率より失業率が低くても経済に実質デメリットはない)。尺度としては失業率よりも平均求人倍率の方が適切なものかもしれない。平均求人倍率が1より低ければ、企業が労働者獲得のための競争をしていると見ることはできないだろう。労働者獲得競争は、労働分配率を高め景気を浮揚させる。
そのためにすべきことは、国主導でも、民間を誘導でもいいが、とにかく仕事を作ること。作るべき仕事は探せばいくらでもあるだろう。
そしてそこでの業務の給与は、十分に与えること。悪い例として介護保険ではケチりすぎて、そこで働くくらいなら働かないくらいの給与になっている(こういう理由での高求人倍率の達成には価値はない)。調度よい額にするのが腕のみせどころだろう。

中小企業などがこの程度の給与上昇の圧力にねを上げるとしたらそれは、不公正な大企業からの買い叩かれや、独占による過剰利益を得ている金融業の不当に高い金利や手数料(不況の一番の理由はおそらくこれだと思う)によって、収益が低すぎる状況になっているからで、そちらを是正するのが筋というものだろう。

儲けをあまり目の敵にし過ぎると、もちろんモチベーションの問題が出てくるが、それに対しては使うことをとにかく推奨するべきだろう。必要経費は改悪以前のように、どんどん認めていくべきだ。必要経費で納められなかった税金は、別の誰かの収益となって少なくともその一部(場合によっては乗数的に最初に取る以上になることもありえる)は税金として入る。

以上は資本家の儲けを薄くする方策だが、そうするとキャピタルフライト等の問題も出てくるだろう。これはブラジルのようにさっさと規制してしまうべきだ。自由な資金の移動は実証上、資本家以外に関しては(パイを大きくする作用はない)メリットよりデメリットが多く、守るべき概念ではない。

蛇足的だが、安倍総理が言っている、科学技術に投資し、有能な人材を集めるという方策には賛成だ。民主党の事業仕分けなどは、技術の進歩の側面と、経済的な側面の両面からみて誤りである。愚劣の極みだろう。(不況の2番目の理由は緊縮財政だ)