資本の移動再び | 秋山のブログ

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法人への課税の話で、資本の自由な移動の話を書いた。そもそもどうしてここまで重要だという話になっているのだろうかと思い、ちょっと調べてみることにした。

知恵蔵2012の記述にはこうある。
『資本移動に制限がなければ、国際的な貯蓄の過不足は調整される。その結果、資本不足の国は経済開発が促進され、資本余剰国には投資収益をもたらす。』

まずおかしい点は、過不足が調整されるかどうかは、投資の採算性が全てであって、制限がないことではないだろう。様々な制限があっても魅力的な投資先であれば移動するだろうし、逆ならばしないだろう。
それは置いておいて、とにかく投資がおこなわれたとする。それによって途上国は発展するが、その発展とは生産性の向上であり、設備と技術の移転によるものである(逆から見れば、設備と技術こそが途上国が欲するものであり、それらを伴わない投資ならば百害あって一利なしである)。途上国が成長すれば当然その分の見返りは正当であろう。技術開発にもコストはかかるので、その分の見返りもあってしかるべきだろう。
さて、ここで途上国労働者の給与に焦点を当ててみよう。給与はそれをもらう人間の効率にある程度比例すべきであるから、生産性を上げた労働者はその分だけ給与をあげるべきだろう。しかし実際は、生産性が上がった程、多くの場合上がらない。資本家、経営者の取り分が増えるということがほとんどだろう。大きく生産性が上がれば、その国の経済がよくなる可能性は高いが、それは取り分の配分次第だろう。
次に出資国の方に目を向ければ、戻ってきた(そして使われた)投資収益はその国の経済を改善する。しかしここには落とし穴がある。相手国の生産性の上昇によって自国の需要が食われる、すなわち自国の失業の増加に繋がる可能性があることだ。所謂空洞化だが、これが起こった場合、投資であげた利益は失った損失にほとんど場合、遠く及ばないだろう。しかし自国にとって利益にならないことであっても、その国の資本家は自己の利益になるとあらば行動に移すことも少なくないだろうということだ。

OECDの規約概要の最初の文章を示す。
『資本、投資、サービスの国境を超える自由な流通は経済成長、雇用、開発の原動力である。これらの自由な流通は、競争と経済効率を促進して消費者に恩恵をもたらし、企業に資金と技術革新をもたらす。また、先進国と開発途上国の違いを問わず、受け入れ国と発出国の双方に恩恵をもたらす。』
これが誤りであることは、もはや疑いはないだろう。