ステグリッツ教授はかく語りき(銀行) | 秋山のブログ

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この書籍の中で最も多く問題が指摘されている存在、それは銀行である。いろいろな視点からの指摘が多々あり、そのどれもが重要な話なのでどうまとめるかかなり難渋した。

一つ一つ説明していこう。

銀行は、特にその資産の大部分を占めるような大銀行は、きわめて独占的立場にあるだけでなく、ほとんど全ての人間、企業と関係がある。つまりはレントを作って、まるで国が税金で徴収するように、あらゆるものから吸い上げることができるのだ。

P95
『ア メリカ経済の多くのセクターには、かなりの数の企業が存在しており、競争性が働いているはずだという推測は成り立つ。しかし、実態は必ずしもそうなってい ない。銀行業界を例にとってみよう。アメリカには数百の銀行があるが、銀行資産の点で見ると、四大銀行が全体のおよそ半分を保有している。。。(中 略)。。。競争性が極めて小さいとき、価格は競争水準を大幅に上回りやすい。』

銀行は銀行の役目がある。日本で企業が企業の役割を逸脱してしまったように、銀行はその役目から逸脱してしまったようだ。

P159
『たとえば、自社に巨利をもたらす銀行家は、たっぷりと報酬をふところに入れてきたが、何度も指摘するように、これらの利益は一過性で、”実体”経済の持 続可能な成長にはつながらなかった。何かが間違っているいることはあきらかだった。金融セクターは残りの全セクターに”奉仕”するのが使命とされており、 逆であってはならない。しかし、世界金融危機の前でさえ、金融セクターは企業収益総額の四〇パーセントを占めていた。クレジットカード会社が徴収する手数 料は、加盟店の儲けを上回ることもあった。』

銀行が本来の役目を適切に果たすように国の監視と規制は必須だろう。

P79
『世界大恐慌以降の四〇年間、すぐれた金融規制によって、アメリカと世界は大きな危機を回避してきた。しかし、一九八〇年代に規制が緩和されると、その後の三〇年間は、危機が立て続けに起こるようになった。』
P139
『ジェームズ・ガルブレイスは、金融セクターの規模が大きい国ほど不平等水準が高いことと、この関連性が偶然でないことを実証している。』

規制に反対する奇妙な学説や、その間違った意見を通そうとする動きがある。

P372
『フリードマンは銀行規制についても持論があった。ほかの大半の規制と同じように、経済効率の妨げになっていると考えていたのだ。フリードマンは”自由な 銀行経営”、つまり銀行に対する規制は事実上撤廃されるべきだという考え方の支持者だったが、この考え方は一九世紀に試されて失敗に終わっていた。。。 (中略)。。。そういう経験にもかかわらず、金融市場は独力でうまく機能するから政府は干渉すべきでないという見解は、過去四半世紀のあいだに最も有力な テーマとなり、すでに見てきたように、グリーンスパンFRB議長と歴代財務長官によって強力に推し進められた。』
P97
『規制に何らかの役割を果たしている人々全 員に、銀行を規制すべきではないという主張を受け入れさせるため、これまで銀行業界は大量のロビイストを送り込んできた(推定では連邦議員一人あたりニ・ 五人)。。。(中略)。。。”取り込み済み”の人々が規制当局者に任命されるよう、政府に対して猛烈な働きかけを行なっているのだ。逆に、考え方の違う 人々が任命されそうになると、候補者が同じ業界の出身者であろうと、銀行家たちは拒否権を発動しようとする。』

さて、話はちょっと変わって。
日本でも米国でも銀行に対する救済を経験している。銀行業務は経済の心臓であり、機能が損なわれることは全体にとって大きなマイナスだ。税金の投入も当然のことだ。しかし、日本にしろ米国にしろ、あんなやり方は正しかったのか?

P252
『金 融危機が広まったとき、銀行がいかにして認識を操作してきたかがわかった。わたしたちは、経済を救うためには銀行を救わなければならないと告げられ た。。。(中略)。。。もちろん、スウェーデンのように、過去に別のやりかたをした国もあった。スウェーデンなどは”資本主義”のルールにのっとり、通常 の財産保全手続に入るには資産が不足している銀行を、(銀行にとっては)破綻にひとしいプロセスに乗せて、預金者を保護し、銀行資産を”保全する”ことに 焦点をあてた。』

日本の場合はまだ米国よりましではあるが、新生銀行など、大量の税金を投入した上で、禿鷹ファンドにくれてやるという愚行がなされている。禿鷹ファンドは、まさに日本政府から大きなプレゼントをもらったということだ。これは政府から贈り物をもらう典型的な方法である。
例えば、P76の鉄道王たちの財産の作り方が、『線路の両側の広大な土地』の政府の無償の払い下げだったりすることとか、P89のロシアの新興財閥が国有資産を市場価格より安く仕入れた後独占力を通じて収益を確保しつづけていること等たくさん記述されている。

米国の国債は、銀行に対するプレゼントようなものである。日本も大同小異。

P356
『FRB は銀行にきわめて低い金利で、特に危機の時期には市場金利よりはるかに低い金利で資金を貸し付ける。銀行がゼロに近い金利で資金を借りて、仮に三パーセン トの利子を生む長期国債を買えば、何もしなくても三パーセントという高収益を手にすることができる。銀行に年一兆ドルを貸し付けるのは、つまり三〇〇億ド ルの贈り物をするのと同じことだ。』

銀行業というのは、かくもおいしい。もしこのおいしい吸い上げを肯定するとするならば、過剰に吸い上げたら吸い上げたで、還元する方法を考えなくてはいけないだろう(日本の場合、吸い上げに妙に甘い財務省に、天下りの臭いがプンプンする)。
そもそも民営でなくてはいけない理由だってないだろう。大きくて潰せないとか、中小企業を考えた融資とか、公務員よりずっと高い給与だとか、公立にする理由はたくさんある(新銀行東京は趣旨は正しいと思われたが、郵貯のようにはなれなかった。既存の銀行の悪意が垣間見える)。国有化したものを民間に払い下げるということは、前述のように誰かに大きなプレゼントをするに等しい。

結論。
銀行に、レントを意識した規制や税金は必要。
国営化もあり。公立銀行による民業圧迫も、レントを意識する限りあり。