国語の授業で読んだ文章に,「分(わか)る」という表現が使われていました。
生徒から「分(わ)かる」ではないのかという質問を受けたので,今回は送り仮名(特に単独の語の送り仮名)の付け方について簡単に説明します。
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【活用する語】=動詞・形容詞・形容動詞
■大原則■
活用のある語…活用語尾を送る
→「ない」「ます」「た」などを付けたとき,変わらない部分=語幹,変わる部分=活用語尾
[例]
・走る+ない→走らない〔語幹=「走」,活用語尾=「る」「ら」〕
・読む+ます→読みます〔語幹=「読」,活用語尾=「む」「み」〕
・長い+た→長かった〔語幹=「長」,活用語尾=「い」「かっ」〕
◎動詞
走る 読む 座る 知る 起きる 浴びる 食べる 増える
(注意)語幹と活用語尾との区別がつかないもの
見る 似る 射る 出る 得る 経る 来る する
(許容1)次の語は,活用語尾の前の音節から送ってもよい
表す=表わす 著す=著わす 現れる=現われる
行う=行なう 断る=断わる 賜る=賜わる
(許容2)読み間違えるおそれのないものは活用語尾以外の送り仮名を省いてもよい
生まれる=生れる 押さえる=押える 当たる=当る 終わる=終る
◎形容詞
長い 丸い 幼い 暑い 良い 淡い 白い
(例外)語幹が「し」で終わるもの(「○しい」)は「し」から送る
美しい 楽しい 嬉しい 優しい 正しい 新しい 涼しい 怪しい
◎形容動詞
粋だ 雑だ 嫌だ 主だ
(例外)活用語尾の前に「か」「やか」「らか」を含むもの…
「か」「やか」「らか」から送る(「○かだ」「○やかだ」「○らかだ」にする)
確かだ 厳かだ 鮮やかだ 賑やかだ 朗らかだ 安らかだ 速やかだ
((例外))次の語は次のように送る
◎動詞
明らむ 味わう 哀れむ 慈しむ 教わる 脅かす(おどかす・おびやかす)
食らう 異なる 逆らう 捕まる 群がる 和らぐ 揺する
◎形容詞
明るい 危ない 危うい 大きい 少ない 小さい 冷たい 平たい
◎形容動詞
新ただ 同じだ 盛んだ 平らだ 懇ろだ 惨めだ 哀れだ 幸いだ 幸せだ 巧みだ
■原則■
活用語尾以外の部分に他の語を含む語…含まれている語の送り仮名の付け方によって送る
◎動詞の活用形またはそれに準ずるものを含むもの
・動詞
開ける〔動詞「開く」が含まれている〕 飛ばす〔動詞「飛ぶ」が含まれている〕
・形容詞
誇らしい〔動詞「誇る」が含まれている〕 恐ろしい〔動詞「恐れる」が含まれている〕
・形容動詞
晴れやかだ〔動詞「晴れる」が含まれている〕 忍びやかだ〔動詞「忍ぶ」が含まれている〕
◎形容詞や形容動詞の語幹を含むもの
・動詞
懐かしむ〔形容詞「懐かしい」が含まれている〕 欲しがる〔形容詞「欲しい」が含まれている〕
確かめる〔形容動詞「確かだ」が含まれている〕
・形容詞
重たい〔形容詞「重い」が含まれている〕 古めかしい〔形容詞「古い」が含まれている〕
柔らかい〔形容動詞「柔らかだ」が含まれている〕 細かい〔形容動詞「細かだ」が含まれている〕
・形容動詞
楽しげだ〔形容詞「楽しい」が含まれている〕 怪しげだ〔形容詞「怪しい」が含まれている〕
◎名詞を含むもの
・動詞
汗ばむ〔名詞「汗」が含まれている〕 春めく〔名詞「春」が含まれている〕
・形容詞
男らしい〔名詞「男」が含まれている〕
【活用しない語】=名詞・副詞・連体詞・接続詞(・感動詞)
■大原則■
◎名詞…送り仮名は付けない
山 川 空 火 風 車 人 愛
(例外1)次の語は最後の音節を送る
辺り 哀れ 勢い 幾ら 後ろ 傍ら 幸い 幸せ 互い
便り 半ば 情け 斜め 独り 誉れ 自ら 災い
(例外2)単位が「つ」の数詞…「つ」を送る
一つ 二つ 三つ 幾つ
◎副詞・連体詞・接続詞…最後の音節を送る
・副詞
必ず 更に 少し 既に 再び 全く 最も
・連体詞
来る(きたる) 去る
・接続詞
及び 且つ 但し
((例外))次の語は次のように送る
・副詞
大いに 直ちに
・連体詞
明くる
・接続詞
並びに 若しくは
又(←送り仮名なし)
■原則■
◎活用のある語が転じたり,活用のある語に接尾語が付いたりしてできた【名詞】
…もとの語の送り仮名の付け方によって送る
・活用のある語から転じたもの
祭り〔動詞「祭る」が転じた〕 狩り〔動詞「狩る」が転じた〕 当たり〔動詞「当たる」が転じた〕
答え〔動詞「答える」が転じた〕 群れ〔動詞「群れる」が転じた〕
近く〔形容詞「近い」が転じた〕 遠く〔形容詞「遠い」が転じた〕
(例外)次の語は送り仮名を付けない
話〔動詞「話す」が転じた〕 光〔動詞「光る」が転じた〕(以下同様)
謡 虞 趣 氷 印 頂 帯 畳 卸 煙
恋 志 次 隣 富 恥 舞 掛(かかり) 肥
係 組 巻 並(なみ) 割 折
※「係」「組」「巻」などは“グループとしての意味”のときに送り仮名がない
(=動詞の意識が残っているような使い方のときには送り仮名が必要)
○「クラスの係」 ×「クラスの係り」 ○「赤と白の組」 ×「赤と白の組み」
(許容)読み間違えるおそれのないものは送り仮名を省くことができる
祭り=祭 狩り=狩 当たり=当り 答え=答 群れ=群
・活用のある語に接尾語(「さ」「み」「げ」など)が付いたもの
高さ〔形容詞「高い」+接尾語〕 美しさ〔形容詞「美しい」+接尾語〕
重み〔形容詞「重い」+接尾語〕 親しみ〔形容詞「親しい」+接尾語〕
惜しげ〔形容詞「惜しい」+接尾語〕
◎他の語を含むもの…含まれている語の送り仮名の付け方によって送る
・副詞(副詞的表現)
例えば〔動詞「例える」が含まれている〕 絶えず〔動詞「絶える」が含まれている〕
少なくとも〔形容詞「少ない」が含まれている〕 必ずしも〔副詞「必ず」が含まれている〕
・接続詞
従って〔動詞「従う」が含まれている〕(←全て平仮名で「したがって」と書くのが普通)
詳しくは,『送り仮名の付け方』を参照してください。上記以外の送り仮名についても書いてあります。
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漢字が苦手な人にその理由を聞くと,筆順・画数や部首,あるいは読みや意味など,難しいものが多いからだというものが目立ちます。確かに,小学1年生で習う漢字は「日」,「田」,「王」のように単純な形をしたものが主ですが,学年が進めば進むほどそれは複雑さを増していきます。ましてや,「承る」や「著しい」など,子供にとって日常生活であまり馴染みのない単語であれば,より一層困難を覚えたとしても無理はないでしょう。正直,大人でさえ怪しいところです。
しかし,当然のことながら,書き手によって送り仮名の付け方が人それぞれだと,読み手が悩んでしまいます。特に,「上(あ)がる」と「上(のぼ)る」,「触(ふ)れる」と「触(さわ)る」のように,1つの漢字に複数の読み方・送り仮名があるものは,なおさらです。もっとも,「汚(けが)れる」「汚(よご)れる」や「辛(から)い」「辛(つら)い」のように,読みは違うのに送り仮名が同じというものもありますが。いずれにせよ,送り仮名の付け方に一定の決まりがないと,それを覚える苦労以上の混乱や問題が起こりうるわけです。
そこで,この“ルール”の登場です。
送り仮名の付け方については,文部科学省が『送り仮名の付け方(内閣告示第二号・三号)』というものを発表しています。これは,法令や新聞・雑誌など,一般の社会生活で使われる漢字(常用漢字)の送り仮名を定めたもので,国語の教科書や辞典などもこの決まりに従って送り仮名を扱っています。いわゆる,送り仮名の付け方の“目安(よりどころ)”です。
今は文部科学省や文化庁のホームページでもこの『送り仮名の付け方』を簡単に閲覧できるようになりましたが,学年によっては国語の教科書や便覧などでも確認できます。国語辞典であれば,巻末の付録のページに収録されています。一度確認してみるのもいいかもしれませんね。
ただし,文字は表現のために自由に使える道具です。漢字も然り。その自由さは送り仮名だけに限られず,読みさえも表現者に委ねられます。文学作品やJポップの歌詞では,必ずしもルールに従ってはいない表現がふんだんに用いられています。今やJapanese pop cultureの代表であるマンガに目を通すと,多くの当て字に気づきます。固有名詞や専門用語においても例外ではありません。
送り仮名であれば,『送り仮名の付け方』は,あくまでも“目安”という存在です。これに違反する漢字の使い方をしたからといって,何か罰せられるわけではありません。自由な扱いが許されるというのも,文字の便利なところです。
現代社会では,文字をパソコンやスマホで入力する機会が増え,手書きでの文章作成は昔と比べると圧倒的に少なくなってきました。一方,学校の課題や企業の業務書類など,文章作成の機会そのものはそうでもありません。いいえ,インターネットの普及に伴い,メールやSNS・ブログなどが身近な存在となった今日,文字による発信はむしろ増えてきたと言っても過言ではありません。そして,それらの多くが,機械の自動変換によってなされているわけです。
そのような自動変換に頼っている日常ですから,漢字1つ1つの使い方に対して意識が働かないとしても,なんら不思議ではありません。せいぜい,同音異義語や同訓異字など候補が複数ある場合に,どの漢字が適当かを悩む程度でしょう。それさえも考えず,ただただ最初に変換された候補をそのまま確定していることも,往々にしてあります。
自動変換のせいで漢字を書けないくなったという話をよく耳にしますが,それはカーナビを過信するあまり道を覚えられないことに似ています。カーナビに頼らず道を自由に進んでみると,ある日思いがけない遭遇があるように,漢字も能動的に使ってみると,そこには意外な発見があるかもしれません。
話を「分る」に戻します。
同様の表現に,「終わり」を「終り」と表しているものや,「気持ち」が「気持」になっているものなどがありますが,いずれも教科書や教材・模擬試験で取り扱われている,小中学生が実際に読んでいる文章の中で見つけたものです。
これは,一見すると誤字,あるいは脱字のように感じます。しかし,『送り仮名の付け方』によれば,これは「読み間違えるおそれのないもの」の扱いになり,「分かる」でも「分る」でもよいということになっています。現に,「分る」と書いてあっても,それが「分かる」であろうと読めているわけですからね。上の解説で言う,「動詞の許容2」に相当する表現です。筆者がそういう選択をしただけであり,決して間違いではありません。
しかしながら,こういう選択は,いわゆる“表現の自由”に関わる場合に限定すべきです。漢字はその読みさえも表現者に委ねられます。送り仮名も同じで,使い手がそれでよければ,多少原則から逸脱しても構いません。しかし,実際のところ,「分る」には独特の妙な違和感があり,「分かる」の方が自然だろうという感覚があります。であるならば,一般社会における文章においては,ルールを守るべきだろうと思います。
『送り仮名の付け方』は守らなくてもよいどうでもいい目安などではありません。原則従うべき大切な規則であるという認識が本来でしょう。ことさら,漢字の問題や作文の宿題,企業の報告書や提出書類においては,この原則は遵守すべきだと考えます。