修業時代 第78話 インターコン横浜Aチーム | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


私の修業時代 第78話 インターコン横浜Aチーム


*ここまでのあらすじ*

・1987年高校卒業
・横浜スペイン料理店でアルバイト(1年間)
 (バイトしながら横浜調理師専門学校卒業)
・サテライトホテルヨコハマ勤務(約1年間)
・パティスリー銀座レカン勤務(約3年間)
・1990年
・横浜みなとみらいの外資系ホテルへ転職



みなとみらいの外資系ホテルのペストリーキッチンは、ベーカリー部門とペストリー部門に分かれていました。わたしはペストリー部門ですが、ペストリー(菓子)部門は、

・バンケット(宴会)
・グラッスリー(氷菓)
・ショコラ
・仕込み、仕上げ
・オーブン(焼成)などに分かれていました。グラッスリーとショコラは専用の個室が完備されて、オーブンはベーカリー(パン)部門と同じフロアで、ペストリー部門に隣接していました。ペストリーは15名程、ベーカリーは12.3名。ペストリー部署は総勢25、6名の大所帯でした。


1991年にみなとみらいに開業した帆船の帆をイメージして建設されはヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル。






今でもみなとみらいの象徴的な建物ですが、当時はセゾングループが展開する事業でした。

…都内を中心に集められたパティシエやキュイジーヌはプリンス系のホテルから多く集まっていました。
ペストリーキッチンでは、ヒルトンホテル、センチュリーハイアット、ザ ホテルヨコハマ、わたしがパティスリー銀座レカン、東京会館、、その他セゾングループ系のホテルなどから集められたメンバーでした。

先ずはどのポジションをやるか、、。

アイスクリームとチョコレートはもう最初から決まっており、(ほとんどのスタッフが系列ホテルの出身でエグゼクティブシェフが声をかけて連れて来たらしい)

それぞれが仕込みグループや仕上げグループなどに自然と分かれ、シェフが出したレシピを見ながら試作に取り掛かりました。


私は東京会館から来た2つ年上の関口さんと2人で、オーブンを担当する事になりました。
オーブンはペストリーキッチン隣にあり、ベーカー部門なのであまり冷房は効いてないし、やや離れてるので誰も手を挙げず、、。じゃあ俺たちでやろうかとホテル出身でない私達2人が自発的にオーブンへ。。

私達2人は中堅クラス。上司と部下に挟まれ、遂にペストリーキッチンが稼動しはじめました!!



オーブンの仕事は、、
仕込みや仕上げ部門からオーダーが入るジェノワーズやビスキュイを焼き上げる事。さらに、、オーストリア人エグゼクティブシェフのフェリックス氏のスペシャリテのザッハトルテのウィーン菓子やドイツ菓子の試作を繰り返し習得する作業です。。