帰郷⑥Quatre Saisonsに入社
キャトルセゾンドパリ~Quatre Saisonsに入社が決まり、翌々日から大分市府内町のお店に通いました。杵築市の居候してるのアパートから横浜から乗って帰った250CCのカワサキのバイクで40分〜ぐらいでした。
Quatre Saisons De Parisは、
洋菓子部門と和菓子部門が有りました。
洋菓子部門がQuatre Saisons
和菓子部門は◯◯本舗
府内五番街に4階か5階建てのビルを所有していて、1階が店舗と洋菓子の厨房、2階か3階が和菓子部門の厨房だったと記憶します。もう30年程前なので記憶も朧げですが。。
Quatreで働きだして大分の菓子業界の事を少しずつ知る事になりました。二十社以上受けて駄目だった就職活動がQuatreさんのお陰でやっと働く事ができる!今でも大分ではじめて雇ってくれたお店なので感謝しています。
初出勤すると、
先ずは当日のご予約注文のケーキを作る事からスタート!バースデーケーキに力を入れてる運営でした。そのケーキを配送スタッフの方が自社のバンで配達するスタイルです。私はメッセージを書いたり、ケーキをナッペして飾りつけしたり、ひと通りバースデーケーキの仕上げを教わりました。洋菓子部門のメンバーは専務とG先輩と私の3人で、専務とGさんは京都の有名店で一緒に働いてた間柄の様でした。だからケーキも今風で都会的だったんですね。。
他に結婚式の引き菓子など、和菓子も〝一伯〟と言う銘菓を製造していました。徳川家康の孫の松平公が出家して豊後大分で茶の道に進み一伯と名乗りそれに因んだ和菓子でした。あの頃は大分市内の和菓子屋の数軒が製造していたと思います。
和洋菓子の種類は多岐に渡り入ったばかりの私じゃ把握出来ない程の種類でした。
私はG先輩のサポートですね。ゆくゆくはG先輩の片腕となりG先輩の仕事を引き継ぐ計画だったのかも知れません。
仕事もはじまり、
そろそろW君のアパートの居候も迷惑だろうと、親や兄弟から一人暮らしを勧められてました。
確かに週末は仕事も遅くなるし、
近くに引っ越したいとは思いはじめていました。が、、
『もう仕事しだしたし、アパート探す時間無いよ。』と、親に電話で伝えると、
『親戚が大分市内の宮崎に住んでて隣のアパートが空いてるって。家賃14,000円で親戚の隣だしどう?』と言う話になり、、私はその安さに即決!すぐにその大分市内のアパートに引っ越す事が決まりました。
次回 帰郷⑦ 格安アパート暮らし
今週は、、、
今週はオンライン通販や
ふるさと納税の返礼品に
週末のご予約などが活発です!
誠にありがとうございます
今週も頑張りますよ〜
休日は、、
二週続けて牧ノ戸峠へ
長者原は晴れてたけど牧ノ戸峠は、、雨☔
湯平温泉経由で帰って来ました〜
BS放送でのんびり映画を見たり、
いつものナポリタンを作り
英気を養った休日でした