修業時代 第73話 富ちゃんと石田君 | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


私の修業時代 第73話  富ちゃんと石田君

*ここまでのあらすじ*

1987年に高校を卒業し横浜の調理師学校に入学
スペイン料理店で働きながら調理師学校を卒業
サテライトホテルヨコハマへ入社。
サテライトホテルヨコハマを1年ほどして退社。
神戸へ放浪の旅(姉のアパートに居候)
パティスリー銀座レカンに入社(ギャルソン)
パティスリー銀座レカン新宿三越店へ(半年)
パティスリー銀座レカン練馬Labo(厨房)配属




パティスリードレカンLaboの休憩室で kawaさんと再就職の話をしていると、
『kane、冨高辞めるってよ!』とkawaさんは私と同い年のkane君に話を振りました。

『そうですか…。』とクールに答えるkane君は仕上げなどを担当しながらどこでも手伝う補助要員も兼務。

『えっ〜⁉︎ マジっすか!!』とリアクションしたのは1年ほど一緒にパート部門で働いて、今はオーブン担当でギャルソンでも一緒だった一つ後輩のisi君。彼とは合コンにも行きました笑

『まぁ〜頑張ってよ、冨高!』と笑いながら歓迎してくれたのが一緒にパート部門で働いているyosi君はひとつ先輩。yosi君はレカン退社後マキシム・ド・パリへ移り、その後渡仏しサダハルアオキへ


その他、スイスの製菓学校から帰国してレカンに入社したcobaさんや、アメリカやカナダで働いてたnakaさん。休憩時間に一緒になった職人さん達は、みんな次のステップアップをそれぞれ考えていたと思います。

クリスマスは1週間近くLaboに泊まり、朝食や昼食は若い職人達が交代で作るのも仕事でしたし、、あの頃の数年間は家族よりもレカンLaboの人達と一緒の時間の方が長かったですね。同じ釜の飯を食べた仲間ですよね。


まだまだ菓子職人としては修業の途中でしたが、その後、海外や他店で活躍したりし、私同様皆んな独立しました。

kane氏(クード・クールオーナー)、
yosi氏(パティスリールミューオーナー)は都内で独立開業し、
isi君(ドルチェメンテオーナー)は埼玉で独立する前は他数店でスーシェフを務め、外資系菓子のメーカーで働いていた時は、彼の講習会にも参加したり、展示会などでよく会えましたしね。今は友人の関口さんと同じ製菓学校で特別講師もされたり。。


その他の職人さん達も
どこかできっと活躍してる事でしょうね。


金子君(クード・クールオーナー)、
富沢さん(パティスリールミューオーナー)、
石田君(ドルチェメンテオーナー)の3人は年も近く楽しく一緒に働けました。

皆偉くなられましたが、
今でも彼らは富ちゃんと石田君です!

銀座レカンLaboの仲間たち、
彼らがいたから数年間の修業に
耐えられたんだと思います。


都内を中心に働いたパティスリー・ド・銀座レカンでの菓子職人生活もそろそろ終わりを迎え、、また横浜のホテルへの再就職へと進み始めました。。




定休日初日


1年半ぶりに大腸検査と胃カメラ検診へ


前日はこの3食のみ!


無事に検査も終了し結果もGOODでした!

先週は妻が検査し今週はワタクシ、、。


やはり健康でないと

商売は続けられませんからね。。


検査が終わり

これで自由だ〜!




午後から安心院までライドへ

本日も雨の合間に由布岳周遊ライド


トータル100キロぐらいだけど

それでも気分はリフレッシュ♪




夕飯は

検査が終わって打ち上げだ〜!



来週からは、


修業時代は横浜インターコンチ編へ


横浜インターコンチで焼いてたキャロットケーキ🥕


懐かしくなり焼いてみました。


レカン時代にティラミスが流行り、


まさか

キャロットケーキがブームになるとは、、。







人生、

何が役に立つのか

無駄のことなんかないんでしょうね。。