私の修業時代 第72話 1990 桜木町駅
*ここまでのあらすじ*
1987年に高校を卒業し横浜の調理師学校に入学
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スペイン料理店で働きながら調理師学校を卒業
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サテライトホテルヨコハマへ入社。
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サテライトホテルヨコハマを1年ほどして退社。
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神戸へ放浪の旅(姉のアパートに居候)
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パティスリー銀座レカンに入社(ギャルソン)
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パティスリー銀座レカン新宿三越店へ(半年)
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パティスリー銀座レカン練馬Labo(厨房)配属
東京都練馬区富士見台にあるパティスリー・ド・銀座レカンLaboで働きだして2年が経ちました。1990年の頃でした。
ある日、休憩時間に先輩が新聞を広げて、ため息をつきながら話しかけてきました。
『冨高、湾岸戦争 が遂に始まっちゃったなぁ…。』
『これからの時代は何が起こるかわかんねぇよなぁ⁉︎ やりたい事はやっといた方がいいよ。』
埼玉県出身のkawaさんは、兄貴の様に歯に絹着せず何でも遠慮無く言ってくれる先輩でした。
kawaさんは文字通りプラハにひとり旅に行ったりアクティブな人でした。
『お前、横浜の新しく出来るホテル、受けるの⁉︎』
私は、横浜の桜木町に建設されてるホテルを毎日横目に見ながら、電車通勤をしていました。
横浜の石川町駅から練馬の富士見台まで、電車を3回乗り換え、約2時間から2時間半の通勤時間に飽き飽きしていた日々でした。
通勤時間は読書にあててました。パールバックの大地、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ、片岡義男、、、色々読みましたね。。
『はい、ホテルに願書は出しました。ここにいてもチーフとも合わないですしねぇ…。』と、kawaさんに答えました。
毎日、通勤電車から見える桜木町の膨大な敷地が少しずつ整備され、奇抜なホテルが建設されつつ有りました。
あの頃の1980年代終わりの電車から見える桜木町は、何もない港町でした。広い造成された土地の中にコスモワールドと言う観覧車のある小さな遊園地があるだけでした。。