私の修業時代 第74話 ありがとう銀座レカン
*ここまでのあらすじ*
1987年に高校を卒業し横浜の調理師学校に入学
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スペイン料理店で働きながら調理師学校を卒業
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サテライトホテルヨコハマへ入社。
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サテライトホテルヨコハマを1年ほどして退社。
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神戸へ放浪の旅(姉のアパートに居候)
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パティスリー銀座レカンに入社(ギャルソン)
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パティスリー銀座レカン新宿三越店へ(半年)
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パティスリー銀座レカン練馬Labo(厨房)配属
3年弱務めた都内のフランス菓子店。
パティスリー銀座レカンに退職の意思を伝え、退職願いを提出しました。
退職までの数ヶ月は、、勝ち負けを気にしない消化試合のようなものでした。
どこの職場でもそうですが、退社の意思を伝えてから退社するまでは居心地良くないですよね。しかしこの数ヶ月が結構大事なんですね。
結局、退社するこの数ヶ月がその人物のイメージになってしまうんですよね。
〝アイツは最後までちゃんと勤め上げたぞ〟か、
〝アイツは辞めると決まったら遅刻欠勤ばかりでしょうがねぇ奴だった〟か、
どちらに思われた方が良いかは分かりますしね。
辞めた会社に書類を取りに行ったり提出したり、結構顔を出す事も多いので、行きづらくなる辞め方だけはしない様に心がけてました。
3年弱とうい勤続期間は短いように思われますが、私の中では想定内でした。
色んな店を大体2〜3年で学んで吸収して回ろうと言うスタイルは、あの頃の(菓子)職人の世界では皆んなそうしてたように思えます。
お店との相性が合えば長期間の勤務も有りですし、骨を埋める覚悟にもなるんでしょうが、、。私の場合は、相性があまり良くなかったですからね笑
パティスリード銀座レカンに勤務しながら、横浜の西区みなとみらいに建設中の世界120ヶ国に有る外資系ホテルが遂に日本へ初上陸!そんなニュースを知りました。
そんな凄いホテルなら、
モノは試しで是非試験だけでも受けてみたい、、、。
そして、銀座レカンに勤めながら
入社試験を受験する機会に恵まれました。
約三年間、
ありがとうパティスリー銀座レカン!
やはり最後は通勤で毎日4.5時間を費やすのが負担になりましたね。レカンに入社する前は銀座かもしくは都内各地へ片道1時間と想定していました。
練馬にLaboが出来るとかは聞いていませんでしたし想定外でした。
仕事帰りに電車内で熟睡してしまい、終電の赤羽駅や大船駅で降ろされ始発まで駅の地下道で野宿したり、、。(安月給でタクシー使ったりビジネスホテル泊まる余裕無し)
レカンで勤務した約三年は、
社会情勢や流行りの歌やテレビ番組など、あまり記憶にない!それ程生活に余裕が有りませんでした。休日はくたびれて寝てばかりでした。
世の中は確か、
湾岸戦争が勃発し、プリンセスプリンセスのダイヤモンドが流れてたなぁ…。
ホテルへの転職を考えたのは、
もうちょっと人間らしい生活を送りたいと思ったんですよね、通勤時間が長すぎましたよね。。