修業時代 第69話 クリスマスの記憶 | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997



私の修業時代 第69話 クリスマスの記憶

*ここまでのあらすじ*

1987年に高校を卒業し横浜の調理師学校に入学
スペイン料理店で働きながら調理師学校を卒業
サテライトホテルヨコハマへ入社。
サテライトホテルヨコハマを1年ほどして退社。
神戸へ放浪の旅(姉のアパートに居候)
パティスリー銀座レカンに入社(ギャルソン)
パティスリー銀座レカン新宿三越店へ(半年)
パティスリー銀座レカン練馬Labo(厨房)配属




パティスリー銀座レカンの製造部門に入っての
はじめてクリスマス。

1週間程、レカンLaboに泊まり込みました。

新築で完成したばかりの
パティスリー銀座レカン練馬Laboは3階建て

1階が製造拠点
2階がアイスクリームルームと包装室。
3階が従業員用のスペースでした。和室の部屋が男女2部屋有りクリスマス中はその和室に泊まりました。


その和室はロッカーや更衣室代わりで、出勤したらそこでコックコートに着替えてました。

3階には休憩できる大きな和室も有り、テレビにちゃぶ台なども有り、出勤して時間までそこで寛いだり、昼食もここや横に有るダイニングルールで摂っていました。昼食が終わってしばらくすると皆仮眠を取ってました。その頃の習慣が今でも身についてて、15分程の仮眠は今もやってますね。

仮眠後は頭も身体の疲れもスッキリ!車の中でも何処でも15分位寝ちゃいます笑

レカンLaboでの昼食は、私達見習いメンバーと女性従業員さんが交代でパートさんと2人で作ってました。

予算内ならメニューは何でも自由!
私はパートさんと和食を作ることが多かったかな。。

デザートとかも作るメンバーもいて、杏仁豆腐とか作ってました笑 賄いの昼食作りに熱中し当番の日は賄いばかり作ってデザートとか作るヤツと、メニューだけ決めてほとんどパートさんに頼むヤツなど、、いろいろいましたね。。

クリスマスは午後10時頃には終了し、
イブの前日は1時、2時までやってました。

徹夜する程ではありませんでしたが、皆でやると辛く無かったですね。レカン以外の職場でのクリスマスは何となく覚えてるんですが、レカンのクリスマスは仕事以外の方が記憶に残ってますね。

1週間寝食を共にすると、、もうレカン練馬Laboの方が愛着湧いちゃって。クリスマスが終わっても泊まり続けてる人とか、、。


今日帰るの面倒くさくなったから泊まろ!とか、、。夜中に数人でピザを作って食べたりね。その時は私達パート(生地)部門に内緒でオーダーが入るんですよね。

仕事よりそんな記憶がレカンLaboのクリスマスの記憶ですね。。

当たり前ですが、皆一流のパティシエをめざして
全国や海外の修業先から集まって来てるので、クリスマスケーキを作り続ける事に何の苦痛?も感じない変態ばかりですよね。むしろ楽しい!(※苦痛に感じてた人はいたかも。個人的な見解です)

いつもヤラせて貰えない仕事を間近で見れたり、先輩達の一挙手一投足から目が離せないですよね。

あの仕事演ってみたい!とか、今度演れって言われたら出来るように目を皿のようにして見てました。

ですから
クリスマスは私達見習いにはチャンスなんですよね。。

しかし、
数年に一度は辛くて夜逃げしてそのまま帰って来ない人もいましたね。

ある意味特殊な人達の集まりでした。。

私は仕事漬けの日々を送りたかったので、ゆとりあるサテライトホテルから転職して来たので望みが叶いましたね笑(※1980年代の話です)


クリスマスはフランス語でNoël

レカンではクリスマスケーキはMerry Xmasでは無くNoëlだったので、シェトミタカも28年間クリスマスはNoëlを飾っています。。