修業時代 第44話 ファースト・クリスマス | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997

本日母の日でした
無事に終了しました

ご利用誠にありがとうございました



母の日はマカロンが人気ですが

来週の将棋名人戦を祝って王将マカロンを販売


母の日でも人気でしたダルマ


今年の母の日は

シンプルなバスクチーズやサンマルクのホールケーキが人気でした。母の日らしく明るい色で飾り立てたデコレーションは以外と出ない、、のでカットしてショートケーキに🍰


シェトミタカではシンプルなデザインのケーキが

好まれる傾向ですね。。




私の修業時代 第44話 ファースト・クリスマス


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。

横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。

※私の修業時代は9年前に別ブログに掲載した記事を多少修正したもので私が実際に経験した修業時代を元に執筆した話しです。登場人物は全て仮名です。




サテライトホテルでのはじめて迎えるクリスマス。


ケーキ屋のクリスマスと言えば、作っても作っても終わらない…ってイメージで泊まり込みも覚悟で挑みました。

クリスマスケーキ作りは確かに数量も多く大変なんですが、逆にクリスマスケーキを作ると言う大義名分があるので、

*クリスマス期間は◯◯の商品はお休みさせて頂きます*

って事が出来るので、クリスマスケーキの製造に集中できる様に他の仕事を調節します。

また、レストランのコックさん達もイチゴを飾ってくれたり箱に入れたり手伝ってくれました。
流れ作業で皆んなで作ってるとなんかパワーをもらえましたね。チームワークで乗り切った感じでした。

確かベーカー4名で300台位作ったと記憶しています。コックさん達も何人も手伝ってくれましたから4名+アルファですね。





クリスマスを経験して思ったんですが、やはり計画や段取りがとても重要なんですね。クリスマスは泊まり込み覚悟で臨みましたが、、
結果、泊まり込みをする事無かったのは永江チーフが今のベーカーの戦力、対応能力を分析し、それ以上の無理な予約や台数は調節したんだと思います。
永江チーフは三日間程サテライトホテルに泊まり込んでたようですからね。泊まり込むって言ってもホテルですから客室に泊まれますし、、私も泊まり込んでフラフラになるまで働きたかった!

『私も泊まらせて下さい!』とはチーフに言えませんでした。その泊まりたい程の真剣さを曝け出すのが、何マジになってるの?って思われないか恥ずかしかったんですかね…。


21日、22日は夜の10時までには終わりましたし、

一番忙しい23日の夜も11時位には終わりましたね。


12月24日が予約のピークですから、前日が一番忙しく、24日のクリスマスイブはケーキを1台買って夜の9時過ぎには退社出来ました。


見栄もあってか大きなケーキを1台買ったはいいんですが、アパートに帰っても1人ですからね…。


たまに遊びに行く調理師学校の同期の 友人宅にケーキを持って遊びに行く事にしました。


板前の友人はまだ仕事が終わらないみたいで、帰って来てないのよ。と、家族の方から聞きました。


クリスマスにケーキ職人がもう仕事が終わっていて、板前さんはまだ仕事に励んでるんですね…。
なんとも虚しいクリスマスでしたね。


これじゃあいかんのじゃないかな。この環境で果たしていいのか…。


クリスマスケーキは結局食べずに、板前の友人宅に差し上げてきました。



クリスマスも終わり、年末年始はベーカーの他のスッフは正月休み。
大晦日も元旦も正月はずっと仕事に出ました。草刈さんや伊南さんは正月に休めて喜んでいました。私は実家も遠く帰るつもりもないですしね。


ホテル特製のお節料料理にアップルパイが加わるので、年末はアップルパイを焼き続けました。


元旦の仕事初めは厨房でお屠蘇で乾杯してのスタートでした。
が、1月末でサテライトホテルを退職する事に決まっていました。