私の修業時代 第43話 秋風
ここまでのあらすじ
1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。
サテライトホテルの永江チーフがよく言っていたのが、
『カスターが炊けて、スポンジが焼けて、ナッペが出来たら菓子屋はどこでも雇ってもらえるよ。』
今では無謀とも言えるかも知れませんが、昭和のあの頃の菓子作りは非常にシンプルでした。ベーカーペストリー(菓子職人)もまだまだ人気職業でも無く、料理人の陰にかくれてた存在の様でした。
永江チーフは早く基本を習得してもらいたくて、
『基本を習得したらどこでも勤めれるよ。』そんな意味で言ったんでしょうが、私は勝手に解釈し、
「自分はカスター(クレームパテシェール)、スポンジ、ナッペも練習して基本的な事は出来るようになったから他のお店(ホテル)でも働けるんじゃないか?
いや、働いてみたい!!」と思うようになりはじめました。今はホテルベーカーで生活は安定してますが、菓子職人と言うよりも会社員、ホテル従業員です。
仕事も定時に終りサラリーマンの様に安定はしていますが、安定より手に職を付け菓子の職人に早く成りたかったんです。
しかし、サテライトホテル以外のホテルやパテスリー、レストランなどの知識は有りませんし、何も知りませんでした。
土岐さん宅に遊びに行くと、流行りの服の雑誌や洋書、英字新聞、、いろんな書籍が有り退屈しませんでした。料理の専門書や情報誌も有り、知らない店ばかりでしたが…。
どんどんと大きくなる他で働きたい気持ち。
山下公園やサテライトホテル周辺の山下町の街路樹に紅葉が始まる頃だったと思います。永江チーフにサテライトホテルをいずれ退職したい心境を相談しました。