修業時代 第45話 ホテルか街場か | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


夕方の空

昨日は東日本の各地はオーロラが見えたのが話題でしたが。これは夕焼けですよね。






本日定休日ですが、今週の将棋名人戦の準備などで1日準備や仕事。

名人戦が終わる今週末までバタバタです!

[別府湯〜わくメレンゲシャンテ]のご予約も多数いただいております。土日はトキハ別府店での販売も有ります



妻は1日遅れの母と

母の日ランチへ〜💐








私の修業時代 第45話 ホテルか街場か


ここまでのあらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。

横浜のホテルの菓子部門に新入社員として入社して数ヶ月、ある日深夜までケーキを焼き続け、騒動を起こしてしまったりしながら日々人生修業に励むのでした。

※私の修業時代は9年前に別ブログに掲載した記事を多少修正したもので私が実際に経験した修業時代を元に執筆した話しです。登場人物は全て仮名です。



永江ベーカーチーフに退職を言い出すのは大変気が引けました。チーフはやさしい方でしたから、私の事で問題を起こしてばかりで申し訳ないなと。


しかし、辞めたい、退職したいとなると、どこの会社や仕事でもすぐに話がまとまる事は有りません。何度も引き止められ、説得されたり…。

永江チーフとは何度も話し合い意思を伝え、分かってもらえる様に素直に話しました。


しかし簡単には受け入れてもらえませんでした。無理も有りません。入社して1年も経ってないし、、石の上にも三年、せめて1年は続けないか?となります。


永江チーフとは1年間は続けてから…と言う条件で清水料理長に話を伝えてくれる事になりました。



清水料理長は、1度退職の意向を話してからは中々2回目の話を聞いてくれませんでした。


『料理長!清水料理長〜!』と厨房で出会うと、


私を見て笑いながら逃げるんです、そうなるとさすがに凹みました。サテライトホテルの永江チーフや清水料理長はとても良い方でした。
困らせるような事を最後までしてしまい罪悪感でした。


料理長からは、
『何でだよ冨高。永江(チーフ)が気に入らないのか?平成になってはじめての退職者なんて駄目だよ〜。続けてみようよ!』と。


『先ずはクリスマスまではな…。』退職の話は料理長のとこで保留になりました。



例えが違うかもしれませんが、

付き合っていた人と別れる時、

結婚するより離婚する方が、、大変なんですよね、きっと…。会社も入社するより退職する方が難しいのかも知れません。
辞めますと言って行かなければいいのかも知れませんが、人と人との関係をお互いが納得する方向で離れるのは難しいものですね。


入社して1年も経たずに退職を決意したのは、、今となっては何故そこまでこだわったのか…あの時はなぜ退職を決断したのか、、。


ただ、がむしゃらに働きたい!と思いました。


しかし、
料理長や永江チーフからも説得され、現状に何だかんだ理由をつけて満足出来ない、ただ青い鳥を探してるだけの青い鳥症候群なのかも知れません。


ホテルでは無く、街場で、厳しい環境で働いてみたい!だんだんと転職のテーマも自分の中ではしっかり固まり、その気持ちは変わりませんでした。


〜ホテルか街場か〜

パティシエやコックさんでは、
ホテルで働いた人間か、
街場(ケーキ店やレストラン等の独立店舗)で働いた人間かで分類する事が有ります。

どちらで修業したら良いのか…。

この業界ではよく議論される話題でした。


私が転職したいのは、
街場の様な厳しい環境で働いてみたいと言うのが
一番の理由でした。。



そして今年の集大成

サテライトホテルヨコハマはクリスマスシーズンを迎え前回の[第44話 ファースト・クリスマス]に書いたように無事にクリスマスと年末年始を乗り切ったのでした。


…私が20歳の頃でした。。