修業時代 第18話 旅立ち | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


あらすじ

高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。


私の修業時代 第18話 旅立ち

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就職先も[サテライトホテル横浜]に決まり、

残り最後の学生生活を謳歌する…って訳にはいかなかったですね。

就職先が中区山下町のサテライトホテルなので、今住んでいる泉区緑園都市から入社までに中区に引っ越す事に決めました。近くだと交通費も浮きますしね。


家財道具の購入や引っ越し費用などを捻出する為、スペイン料理のバイトも入れるだけ入れてもらいました。

サテライトホテルからは専門学校が冬休みの間、就職するホテル内でのアルバイト研修を奨励するお知らせが有りました。新しい環境に早く慣れる為、田盛君を含め入社予定者は殆ど参加したと聞かされました。

私はホテル内のバイト研修には参加せず、三月までスペイン料理のバイトを続けました。

『もうサテライトに行ってもいいんだぞ。』チーフは言ってくれましたが、名残惜しかったのも有りましたし、1年間続けたかったんですよね。


年が明け調理師学校の卒業が近くなると、授業の無い日も多くなり、クラスでは卒業旅行に出かける人も多いようでした。

私は田盛君の友人に誘われ引っ越しの短期のバイトも始めました。内容は川崎や都内のオフィスビルの会社の引越しなんですが、依頼先の会社の業務が終了後の引越し作業。21時〜22時から、未明や翌朝に終わる夜間のオフィスの引っ越しでした。

時間帯が辛いだけで業務は単純でした。何十人ものバイトで椅子やテーブルなどオフィス用品を人海戦術でエレベーターで運び、トラックに積み込むまででしたから。

自分の引っ越しを進めながらスペイン料理店のバイトに入り、調理師学校にも必要な授業には出て、尚且つ夜は不定期で引っ越しのバイト。


働き過ぎかも知れませんが、
私の実家は水産業で小さい頃から家業の手伝いは当たり前でしたし、小学校四年生から中学を卒業するまで新聞配達をするのが兄弟の習わしでした。厳しかったですが生きる意味を教えてくれた両親には今でも感謝しています。

水産高校に行って実家を継ぐと思ったら、、今度は横浜の調理師学校へ行かせてくれですからね…。

実家は三つ子の兄が継いだのでいいんですが、三つ子のもう1人が大学生で私が専門学校。それ以外の上の兄弟三人も皆んな大学行ってますから両親は学費も仕送りも大変だったと思いますね。

高校時代はボート部のレガッタで鍛えてますし体力だけは自信有りましたからね。でも眠気には勝てなくて…。

ある日、
深夜のバイトから帰ってアパートで寝てると、田盛やクラスメートが訪ねて来ました。


『トミタカ〜、トミタカ〜!』ドアの向こうからの田盛の声で起こされました。


『まだ寝てたのかよ! 卒業式来なかったなぁ…』

そう言えば、

深夜のバイトが専門学校の卒業式の前日に入り、


田盛と私はバイトを優先、翌朝バイトが終わってから仮眠をとり、、起きれたら卒業式に出よう!って話になっていました。


私は眠気には勝てず、、と言うか、卒業式にはまったく参加する気がありませんでした。


既に春からの働く職場に旅立ってるクラスメートも何人かいましたし、もう気持ちはサテライトホテルや新生活に移っていましたね。
セレモニーにもあまり興味無かったですね、謝恩会には顔を出しました。どんな料理が出るか仕事柄興味ありましたから。


スペイン料理のお店では、

一月の成人式には出席せず、私や松本君、町田の調理師学校の鈴木君は皆んな二十歳でしたが仕事をしていましたね。
成人式には大学生や一般の社会人が参加する行事で、私達のような料理人などの職種の人間はおもてなしする側と、自覚と責任が皆んなありましたね。


『成人式にお店休んで行け!』て言われた方が嫌でしたね。自分は店から頼られて無いんだなって。
成人式に働いてる方が頼りにされてるんだ!って嬉しかったですね。

蒲江の実家の方では夏に成人式が有り、写真を観ると羨ましい気持ちもちょっとは有りましたが、修業の身ですし、それが当たり前の時代でした。

この職業を選択すると言う事は、料理人、職人になる事はそれらの事を最優先する覚悟を持ててるんだろうなと。昭和60年代の話ですね。。


今は二十歳の子達は成人式に行かせますよね。
シェトミタカでも二十歳の子達を雇っていた時は皆んな成人式に行きましたね。今はそれが当たり前の時代ですからね。時代は変わりますから。


専門学校では最後に卒業作品展が行われます。卒業生が創作料理を展示する行事なんですが、この料理を作らないと卒業出来ないんです。


*中華料理

*フランス料理

*日本料理

以上のいずれかを一品作るのが決まりです。


私が卒業作品展に作って展示したのが、
スペイン料理のパエリアでした!


私は決められた料理を作らない理由を、
『1年間スペイン料理店で一生懸命働いたので、スペイン料理しか考えられません。』と説明しました。


坂本先生は
『しょうがないなぁ、トミタカらしいよ〜』と笑って許してくれました。


35年程前の話ですから、
パエリアもまだまだ珍しく、スペイン料理を作ったとか聞いた事ないよと言われました。




横浜調理師専門学校の担任の坂本先生には大変お世話になり、『私はトミタカの母親代わりだからね〜』とよく叱っていただきました。


スペイン料理店の白鳥チーフやコックさん達には、料理人や職人になる覚悟を教わったんだと思います。


アルバイトと専門学校の二重生活の1年間も無事に終了。終わってみればたくさんの方々に大変世話になっているのに気づき、ちょっと驚きました。

皆様 本当に有難うございました。



そして三月の終わり、

日本交通グループの新社会人研修へ、
サテライトホテルヨコハマの新入社員一同で静岡県伊東市へ向かいました。